2013年 07月 03日
「ソーシャルメディア」は昔からあった? |
今日の横浜北部は曇りがちでしたが、それでも雨はほんの少し降った程度でした。過ごしやすいですね。
さて、本ブログのもう一つの大きなテーマである「テクノロジーと社会の変化」というテーマで久々に面白い記事が出てきましたので要約を。
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17世紀の「ソーシャル・ネットワーキング」
By トム・スタンデージ
●ソーシャルネットワークは「生産性の敵だ!」として批判されている。
●あるサイトの調査によれば(といってもその正確さについては議論はされているが)、FacebookやTwitterをはじめとするサイトの使用によるアメリカ経済全体のコストの無駄は年間6500億ドルにものぼるという。われわれの集中力は阻害され、テストの点数は下がるのだが、これらはすべてこのような「大量破壊兵器」のせいだというのだ。
●ところがこのような懸念は前にも出てきたことがある。1600年代のイギリスでは、これと似たような新しいメディア共有環境が問題になったことがある。これは若い人々の勉強や仕事への集中力を阻害するものだとされた。
●そのメディア環境とは、コーヒーハウス(喫茶店)である。これはその当時の「ソーシャルネットワーキングサイト」であった。

●コーヒー豆と同じく、コーヒーハウスというのはアラブ世界からの「輸入品」であった。イギリスの最初のコーヒーハウスは1650年代初期にオックスフォードではじまり、すぐに似たような店がロンドン中に広まった。
●人々はコーヒーハウスにコーヒーを飲むためだけではなく、最近の記事や新聞を読んだり、それに噂やゴシップなどを入手するためにそこに向かったのだ。
●コーヒーハウスは郵便局のような役割も果たしていた。顧客たちは好みのコーヒー屋に一日なんどか郵便が届いていないかチェックし、店に来ている人間(友人/見ず知らずの人々)たちと最新情報を仕入れたりするために立ち寄っているのだ。
●いくつかのコーヒーハウスは特定の話題について議論するための場所となっており、科学や政治、文学、それに運送などが議論された。客の移り変わりとともに情報も動いたのだ。
●ある官僚の日記には「そしてコーヒーハウスへ」という記述が連続して記されているし、彼の日記の中身からは店であらゆる話題が議論されていたことを物語っている。たとえば1663年11月の日記には「二人の医者たち」がローマ史について議論していたことや、ビールの貯蔵の仕方や新しい艦船の兵器、そしてすぐに始まる裁判について議論されていたことなどが記されている。
●これらの議論は非常に活発なものであったため、社会の階層の壁は気にされなかったとされている。顧客たちはあらゆる階層の知らない人との議論にも積極的に参加することが奨励されていたくらいであり、詩人のサミュエル・バトラーは「紳士、機械工、伯爵、悪党など様々な人々」が混じり合っていたと書いている。
●もちろんこれに反対していた人々もいる。教会の人々は彼らの伝統的なビールをやめて外国のコーヒーに人々が向かってしまうことについて不満を述べていたし、コーヒーハウスは人々の生産性を奪うと論じている批評家たちもいた。
●そのような最初の批判は1677年に発せられており、オックスフォードの学者のアンソニー・ウッドは「なぜ真剣な学びが失われ、大学に行く人が減少したのだろうか」と問いかけている。これについての答えは「コーヒーハウスでみんなが時間をつぶしているからだ」というものだった。
●ケンブリッジの弁護士であるロジャー・ノースも「新奇なもののために膨大な時間が失われている。コーヒーハウスのやかましさの中で何かに集中することができるのだろうか?コーヒーハウスは若く将来のある紳士や商人たちの墓場」であり、「イングランドの懸念を証明している」と1673年に書いているのだ。
●これらの警告は現代の多くのコメンテーターたちも言っている。彼らの共通の懸念は「新しいメディア共有プラットフォーム」であり、それが若い人々に悪影響を及ぼすというものだ。ところがコーヒーハウスの実際のインパクトである、教育とイノベーションという意味ではどうだったのであろうか?
●実はコーヒ―ハウスというのは「産業界の敵」というよりも、創造性のるつぼだったのである。なぜなら人間とアイディアの両方をミックスすることになったからだ。
●イギリスの科学協会の先駆けである「王立協会」はコーヒーハウスに行って議論の続きを行うことが多かった。その入場料(一杯1ペニー)の安さのおかげで、科学者たちはコーヒーハウスで実験をやったり講義を行ったりしている。このおかげでコーヒーハウスは「ペニー大学」と呼ばれていた。
●アイザック・ニュートンは同僚の科学者たちとコーヒハウスで行った議論を元に現代科学の基礎となった主著「プリンピキア・マテマティカ」を書き上げている。
●コーヒーハウスはビジネスのプラットフォームでもあった。商人たちはコーヒーハウスを会合場所に設定しており、そこで新しい会社や新しいビジネスモデルが誕生した。ロンドンのジョナサンズというコーヒーハウスの特定のテーブルで取引をはじめ、これがロンドン証券取引所になったのだ。
●エドワード・ロイドのコーヒーハウスは船の船長や船主や貿易業者の溜まり場であり、これがロイズの有名な保険のマーケットになったのだ。
●そして経済学者のアダム・スミスは『富国論』のほとんどをスコットランドの知識人たちが集まる「イギリスコーヒーハウス」で書き上げており、ここでその初期の草稿をみんなに読んでもらって議論している。
●もちろんコーヒーハウスで過ごす時間が無駄になることもある。しかしそのメリットはロスよりもはるかに大きい。そこは活発な社会・知的環境を用意してくれるのであり、これによって現代社会を作り上げたイノベーションの数々が生まれたのだ。コーヒーが今日においてもまだコラボやネットワーキングにおいて使われる伝統的な飲み物になっているのは偶然ではない。
●コーヒーハウスの「精神」は、われわれのソーシャルメディアのプラットフォームという形で復活している。このプラットフォームはあらゆる人に開かれているのであり、どの階級の人も出会えるし、議論できるし、友達かそうでないかに関係なく情報を共有できるのだ。
●これによって新しいコネクションが生まれ、新しいアイディアが生まれる。これらの会話はもちろんネット上で交わされているのだが、現実の世界に変化をもたらす莫大な潜在性をもっているのだ。
●もちろんボスのうちの何人かは仕事場で「ソーシャル」を使うことを嫌うかもしれないが、見識のある会社は、Eメールの代わりに会社同士のコラボを進めるようなサイトを使って、自分の会社の中にいる隠れた才能や知識を発見することを奨励したりしている。
●去年コンサル会社のマッキンゼーが発表した報告書によれば、会社同士のソーシャルネットワーキングの利用は「知的労働者」の生産性を20%から25%増加させたという。
●教育の分野で判明しているのは、生徒は他の生徒と一緒に学べばその学習効率が上がるとしている。その例が「オープンワーム」であり、これはある人がTwitter上でつぶやいたことから始まった生物学をオンラインで学ぶプロジェクトだ。彼らは現在Google Hungouts上で交流している。
●このようなインターネットというグローバルなコーヒーハウスで他にもイノベーションが行われているのは確実だ。
●新しいテクノロジーが出てくると、常にその「修正期間」が出てくる。数年かかるこの変遷期には、「新しいテクノロジーは現在のもののやり方を破壊する」という意味で批判されるものだ。
●ところがコーヒーハウスの歴史からわかるのは、現在のソーシャルネットワーキングの危険にたいする恐怖も心配のしすぎであるということだ。実際のところ、このようなメディアには長い歴史がある。マルチン・ルターは宗教改革の時にパンフレットを配っており、これは「アラブの春」における新しいソーシャルメディアの役割を教えているものであり、これはフランス革命前のゴシップ的な詩の流行と現在の中国におけるマイクロブログの使用にも共通するところがある。
●新しいテクノロジーによって出てきた問題に対処する上で、われわれは過去から多くのことを学ぶことができる。
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著者はエコノミストの電子版の編集長です。彼はこのような「ソーシャル」の歴史について興味深い本を出版するそうです。期待できるかと。
そういや日本語で彼のこんな本やこんな本も出ているんですね。
それにしてもヨーロッパだと確かにカフェ文化は濃いですな。私も大陸のほうのカフェが好きで何度も行ったことありますが、あれは非常にいいです。あそこで仕事したらはかどりそうですな
さて、本ブログのもう一つの大きなテーマである「テクノロジーと社会の変化」というテーマで久々に面白い記事が出てきましたので要約を。
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17世紀の「ソーシャル・ネットワーキング」
By トム・スタンデージ
●ソーシャルネットワークは「生産性の敵だ!」として批判されている。
●あるサイトの調査によれば(といってもその正確さについては議論はされているが)、FacebookやTwitterをはじめとするサイトの使用によるアメリカ経済全体のコストの無駄は年間6500億ドルにものぼるという。われわれの集中力は阻害され、テストの点数は下がるのだが、これらはすべてこのような「大量破壊兵器」のせいだというのだ。
●ところがこのような懸念は前にも出てきたことがある。1600年代のイギリスでは、これと似たような新しいメディア共有環境が問題になったことがある。これは若い人々の勉強や仕事への集中力を阻害するものだとされた。
●そのメディア環境とは、コーヒーハウス(喫茶店)である。これはその当時の「ソーシャルネットワーキングサイト」であった。

●コーヒー豆と同じく、コーヒーハウスというのはアラブ世界からの「輸入品」であった。イギリスの最初のコーヒーハウスは1650年代初期にオックスフォードではじまり、すぐに似たような店がロンドン中に広まった。
●人々はコーヒーハウスにコーヒーを飲むためだけではなく、最近の記事や新聞を読んだり、それに噂やゴシップなどを入手するためにそこに向かったのだ。
●コーヒーハウスは郵便局のような役割も果たしていた。顧客たちは好みのコーヒー屋に一日なんどか郵便が届いていないかチェックし、店に来ている人間(友人/見ず知らずの人々)たちと最新情報を仕入れたりするために立ち寄っているのだ。
●いくつかのコーヒーハウスは特定の話題について議論するための場所となっており、科学や政治、文学、それに運送などが議論された。客の移り変わりとともに情報も動いたのだ。
●ある官僚の日記には「そしてコーヒーハウスへ」という記述が連続して記されているし、彼の日記の中身からは店であらゆる話題が議論されていたことを物語っている。たとえば1663年11月の日記には「二人の医者たち」がローマ史について議論していたことや、ビールの貯蔵の仕方や新しい艦船の兵器、そしてすぐに始まる裁判について議論されていたことなどが記されている。
●これらの議論は非常に活発なものであったため、社会の階層の壁は気にされなかったとされている。顧客たちはあらゆる階層の知らない人との議論にも積極的に参加することが奨励されていたくらいであり、詩人のサミュエル・バトラーは「紳士、機械工、伯爵、悪党など様々な人々」が混じり合っていたと書いている。
●もちろんこれに反対していた人々もいる。教会の人々は彼らの伝統的なビールをやめて外国のコーヒーに人々が向かってしまうことについて不満を述べていたし、コーヒーハウスは人々の生産性を奪うと論じている批評家たちもいた。
●そのような最初の批判は1677年に発せられており、オックスフォードの学者のアンソニー・ウッドは「なぜ真剣な学びが失われ、大学に行く人が減少したのだろうか」と問いかけている。これについての答えは「コーヒーハウスでみんなが時間をつぶしているからだ」というものだった。
●ケンブリッジの弁護士であるロジャー・ノースも「新奇なもののために膨大な時間が失われている。コーヒーハウスのやかましさの中で何かに集中することができるのだろうか?コーヒーハウスは若く将来のある紳士や商人たちの墓場」であり、「イングランドの懸念を証明している」と1673年に書いているのだ。
●これらの警告は現代の多くのコメンテーターたちも言っている。彼らの共通の懸念は「新しいメディア共有プラットフォーム」であり、それが若い人々に悪影響を及ぼすというものだ。ところがコーヒーハウスの実際のインパクトである、教育とイノベーションという意味ではどうだったのであろうか?
●実はコーヒ―ハウスというのは「産業界の敵」というよりも、創造性のるつぼだったのである。なぜなら人間とアイディアの両方をミックスすることになったからだ。
●イギリスの科学協会の先駆けである「王立協会」はコーヒーハウスに行って議論の続きを行うことが多かった。その入場料(一杯1ペニー)の安さのおかげで、科学者たちはコーヒーハウスで実験をやったり講義を行ったりしている。このおかげでコーヒーハウスは「ペニー大学」と呼ばれていた。
●アイザック・ニュートンは同僚の科学者たちとコーヒハウスで行った議論を元に現代科学の基礎となった主著「プリンピキア・マテマティカ」を書き上げている。
●コーヒーハウスはビジネスのプラットフォームでもあった。商人たちはコーヒーハウスを会合場所に設定しており、そこで新しい会社や新しいビジネスモデルが誕生した。ロンドンのジョナサンズというコーヒーハウスの特定のテーブルで取引をはじめ、これがロンドン証券取引所になったのだ。
●エドワード・ロイドのコーヒーハウスは船の船長や船主や貿易業者の溜まり場であり、これがロイズの有名な保険のマーケットになったのだ。
●そして経済学者のアダム・スミスは『富国論』のほとんどをスコットランドの知識人たちが集まる「イギリスコーヒーハウス」で書き上げており、ここでその初期の草稿をみんなに読んでもらって議論している。
●もちろんコーヒーハウスで過ごす時間が無駄になることもある。しかしそのメリットはロスよりもはるかに大きい。そこは活発な社会・知的環境を用意してくれるのであり、これによって現代社会を作り上げたイノベーションの数々が生まれたのだ。コーヒーが今日においてもまだコラボやネットワーキングにおいて使われる伝統的な飲み物になっているのは偶然ではない。
●コーヒーハウスの「精神」は、われわれのソーシャルメディアのプラットフォームという形で復活している。このプラットフォームはあらゆる人に開かれているのであり、どの階級の人も出会えるし、議論できるし、友達かそうでないかに関係なく情報を共有できるのだ。
●これによって新しいコネクションが生まれ、新しいアイディアが生まれる。これらの会話はもちろんネット上で交わされているのだが、現実の世界に変化をもたらす莫大な潜在性をもっているのだ。
●もちろんボスのうちの何人かは仕事場で「ソーシャル」を使うことを嫌うかもしれないが、見識のある会社は、Eメールの代わりに会社同士のコラボを進めるようなサイトを使って、自分の会社の中にいる隠れた才能や知識を発見することを奨励したりしている。
●去年コンサル会社のマッキンゼーが発表した報告書によれば、会社同士のソーシャルネットワーキングの利用は「知的労働者」の生産性を20%から25%増加させたという。
●教育の分野で判明しているのは、生徒は他の生徒と一緒に学べばその学習効率が上がるとしている。その例が「オープンワーム」であり、これはある人がTwitter上でつぶやいたことから始まった生物学をオンラインで学ぶプロジェクトだ。彼らは現在Google Hungouts上で交流している。
●このようなインターネットというグローバルなコーヒーハウスで他にもイノベーションが行われているのは確実だ。
●新しいテクノロジーが出てくると、常にその「修正期間」が出てくる。数年かかるこの変遷期には、「新しいテクノロジーは現在のもののやり方を破壊する」という意味で批判されるものだ。
●ところがコーヒーハウスの歴史からわかるのは、現在のソーシャルネットワーキングの危険にたいする恐怖も心配のしすぎであるということだ。実際のところ、このようなメディアには長い歴史がある。マルチン・ルターは宗教改革の時にパンフレットを配っており、これは「アラブの春」における新しいソーシャルメディアの役割を教えているものであり、これはフランス革命前のゴシップ的な詩の流行と現在の中国におけるマイクロブログの使用にも共通するところがある。
●新しいテクノロジーによって出てきた問題に対処する上で、われわれは過去から多くのことを学ぶことができる。
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著者はエコノミストの電子版の編集長です。彼はこのような「ソーシャル」の歴史について興味深い本を出版するそうです。期待できるかと。
そういや日本語で彼のこんな本やこんな本も出ているんですね。
それにしてもヨーロッパだと確かにカフェ文化は濃いですな。私も大陸のほうのカフェが好きで何度も行ったことありますが、あれは非常にいいです。あそこで仕事したらはかどりそうですな

by masa_the_man
| 2013-07-03 19:47
| 日記