戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

<   2018年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

今日の横浜北部は蒸し暑い真夏日でして、外に出るとまるで暖房が入っているような錯覚を感じました。


さて、サッカーのワールド・カップが終わったタイミングで、知的好奇心をそそられるような記事がありましたのでその要約です。


おりしもZOZOの前澤社長が新球団をつくりたいと発表して話題になっておりますが、スポーツとはどういうものであり、チームとファンの関係、そしてそこで使われるマーケティングなどを考える上で、1つのヒントになるような記事です。


====


スポーツは幸せを破壊するとイギリスの経済学者が証明

By アンドリュー・ヴァン・ダム

2018-7/17


「スポーツは世界をより悲しい場所にする」というのは本当だ。われわれにはそれを証明するデータがある。


幸福感をモニターするアプリを使った300万の反応と、数年分のイギリスのサッカーの試合の場所と時間に関するデータを使って、サセックス大学の経済学者であるピーター・ドルトンとジョージ・マッケロンは、ファンたちがチームが勝った時に感じる幸福感の量は、チームが負けた時に感じる悲壮感の量のたった半分にしかならないと計算している。


これはつまり、両チームのファンの数がほぼ同数であると想定した場合、先日のフランスとクロアチアの間で戦われたワールドカップの決勝戦は、その前日の状態よりも、世界をやや不幸にしたということになる。


実質的な量という観点から見れば、サッカーは人間の幸福感を破壊するものなのだ。


これを証明するために、この二人の研究者たちは一日に32,000人(といっても正確な数は日によって変わるが)からアプリに送られてくるデーターを解析し、その人々たちに対して幸福感を100点満点で表現し、誰と一緒にいて、何をしていたのかを尋ねた。


この反応には情報の位置情報が含まれており、これによって試合が行われたスタジアムにいたか、スタジアムに行った経験があるかがわかってきたのだ。二人はこの結果を、日中の時間帯や週の中の日によって幸福感が違うことを踏まえた上で修正したのだ。


この二人はそれぞれ個人の幸福感の平均レベルが異なることを調べたために、常に気分が悪いか良いという人間がいることも説明できた。ところが彼らはアプリのユーザーが国全体よりも若年層に偏りがちであることに関しては修正できていない。


応援するチームが勝利した直後には、ファンたちは通常よりも幸福感が3・9ポイント上昇している。これは音楽を聞いた時と同じくらいの上昇だ。


ところがチームが負けた直後のファンたちは、通常より幸福感を7・8ポイント失うことになり、これは仕事や勉強、そして列に並んで待った後に失った幸福感の、ほぼ2倍以上となる。


この研究者たちはこの結果を「かなり劇的なもの」と表現しており、しかも時間に納得できるようになったと述べている。なぜならサッカーの試合後の悲しみは数時間残るものであり、その反対に勝利の幸福感はすぐに消えてなくなってしまうものだからだ。


負け試合は、勝利によって得られたはずのファンの幸福感を、結果的には4倍も奪うことになるという。しかもこのインパクトは、ファンが実際に試合会場に足を運んでいた場合にはるかに大きくなるという。


ドルトン氏はこのデータは自分自身の体験にも当てはまると言っている。応援しているニューキャッスル・ユナイテッドは、彼が知っている限りでは一度もよい結果を残していないのだ。


彼は「実際の体験として、私は自分の応援しているチームがウェンブリー・スタジアムで行われた重要な試合で7回も負けたのを目撃しているのです。つまり私は他のどのフットボールのファンよりも敗北感を経験しているはずなのです」と言っている。


ドルトン氏は自分と同じような仲間がいて、しかも彼らもサッカーによって感情的に打ち砕かれていることを知ることができてホッとしたという。「私がそれほど奇妙な存在ではないことを知ることができて本当に安心しました」とは彼の弁だ。


それではなぜ人々はスポーツのファンであることをやめないのだろうか?


この二人の研究者によれば、その理由の1つは、人間は自分たちの応援するチームの成功についての予測がうまくないからだという。


たとえば、もしあなたが「うちのチームは5試合のうち3試合は勝つはずだ」と考えるタイプの人間であれば、負け試合が勝った試合よりも2倍あなたを悲しくするとしても、試合を観戦しつづけることは極めて合理的であると言える。


同氏たちは「ファンというのは自分の応援するチームの勝率に関して、体系的に過大評価するものであり、実体験の後でもその予測を決して修正しないし、学ばないのです。多くのサッカー・ファンたちはあいかわらず試合を見にいって、この試合だけは自分たちの勝利の予測を裏付けてくれると期待しがちなのです」と記している。


また、彼らはその他にもスマホのアプリにはうまく反映されないが、それでも幸福感を上昇させる要素がある可能性を指摘している。それは、自分のチームが点をとった時の瞬間的な幸福感の上昇(試合には結果的に負けたとして)や、同じような好みを持つ人々との仲間に加わった嬉しさ、そして試合そのものの緊張感や美しさなどである。


これについてドルトン氏は、「決勝ラウンドで負けるまでのイングランドのワールドカップでの活躍は、スポーツが持つ素晴らしい効果を証明してくれた」と述べている。つまり「経済に対してかなり大きな効果を及ぼしました。自国のサッカーチームが快進撃をしている時の高揚感は何にも代えがたいもの」だったのだ。


ところがその効果にも二面性がある。ドルトンは、アメリカのプロフットボールの6つチームの結果を解析した、アメリカ在住の二人の研究者たちの分析を指摘している。それによれば、予期されていたよりも悪い負け方をした場合と、その地域での発生した家庭内暴力の件数の間には、相関関係があるという。


ドルトンは「このような結果は非常に重要です、それらはあらゆる効果の1つのマーカーとなるからです」と述べている。


===


よく読んでみれば、サッカーファンたちの試合後の幸福感と喪失感を、アプリを使ってビッグデータ的に解析したものですが、これはここ二十年ほど流行しているプロスペクト理論などを輩出してきた、いわゆる行動経済学の1つの研究結果のようですね。


データ的にはかなり主観的な部分(100点満点で答える)もあって微妙ですが、研究の着眼点は面白い。


なぜ私がこの記事の内容に興味を惹かれたのかというと、なんといってもこの「スポーツ」の部分を「戦争」に置き換えても成り立つ話だと感じたからです。


ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、戦争学や戦略学の分野では戦争をスポーツの一種としてとらえる考え方がありまして、もし上記のスポーツ観戦における「負けた時の心理的インパクトの強さ」と「勝ちを期待してしまうファンの心理状態」というのが正してければ、これはそのまま、


なぜ人類は戦争をやめられないのか


という根本的な問いに対しても、実に大きな示唆を持つことになります。


そしてこれはどうやら、リアリズムの識者たちが繰り返し指摘している「人間本性」(human nature)からやはり発生したこと、と言えそうですね。


本質的に欠陥を抱えている人間たちによって、われわれの世界はなんとか回っております。だからこそスポーツも戦争もこの世に存在し、われわれはその結果に一喜一憂するわけです。


そう考えると、ある飲料メーカーの「このろくでもないすばらしき世界」というのは、なかなか言い得て妙ですね



b0015356_22274835.jpg
(珍しいアパート)



===

▼〜あなたは本当の「戦略」を知らない〜

奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』

b0015356_07412195.jpg





▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らない〜

奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD
b0015356_07411043.jpg






▼〜あなたは本当の「孫子」を知らない〜

奥山真司の『真説 孫子解読2.0』CD

b0015356_07383130.jpg






▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略〜
奥山真司の『未来予測と戦略』CD

b0015356_07403719.png





▼奴隷の人生からの脱却のために
戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから!
b0015356_07411313.png





▼〜これまでのクラウゼヴィッツ解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の現代のクラウゼヴィッツ『戦争論』講座CD
b0015356_07412534.jpg





▼〜これまでの地政学解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の地政学講座CD 全10回

b0015356_07411781.png








by masa_the_man | 2018-07-18 22:31 | 日記 | Comments(0)
今日の横浜北部も相変わらずの夏日でした。唯一の救いは午後少し曇ったことでしょうか。

さて、昨夜の番組でも少し触れた、米海軍大学の教授による新たな中国のシーパワー分析の記事の要約です。

===

中国のシーパワーの可視化

By ジェームズ・ホームズ


海軍力を増強させるあたって、中国は様々なアイディアを使っており、それは時代の新旧だけでなく、洋の東西をも問わないものだ。


そして中国の海軍面での野望を理解しようとしている米軍のリーダーたちは、たとえば現代の車にもれなく備わっている「クランプル・ゾーン」(crumple zones:クラッシャブルゾーン) という防御システムを思いうかべることによって、この戦略をイメージできるかもしれない。


また、中国がシーパワーを蓄える際に研究している思想の中身や、人民解放軍海軍やその他の兵力が作戦・戦略面での目標を達成するために準備している実際の兵力や方法論を見ることによって、米軍のリーダーたちはその海洋戦略を理解できるはずだ。


過去の偉大な思想家たちの考えは、中国の戦略、作戦、そして戦術面の異なる面を浮き彫りすることによって、この理解の助けとなるだろう。


▼中国のシーパワー:人民解放軍海軍以上のもの


シーパワーはその国のもっている艦隊だけで考えるべきものではない。それは海軍だけの領域の話ではなくなっているからだ。空軍、陸軍、そして戦略ロケット軍などは、次第に外洋へとリーチを伸ばしており、シーパワーの陸上手段のような役割を果たしつつある。


「海軍」(Naval)とは「海洋」(maritime)の一部を構成したものであり、端的にいえば、「海洋」面での力を構成するツールの数は多いのだ。それらはすべて中国のさらに大きな「軍事戦略」の下位に属するものであり、さらには中国軍が仕えている「政治目的」に従ったものだ。


ところが常にこれがそのような状況であったわけではない。過去においては、遠い海を進んでいた艦隊同士が、制海権と、それがもたらす果実をかけて争っていた。艦隊同士は沿岸砲(射程は数マイルだった)が届かない数マイル沖で衝突しており、その指揮官たちは沿岸から離れて外洋での活動に集中していた


たとえばホレイショ・ネルソン卿のトラファルガー海戦における勝利(1805年)は、陸地から離れた水域で起こったものだ。それは純粋な「海戦」だったのだ。ところが帆船時代においても海軍の指揮官たちは沿岸砲の潜在性について少しは考えていた。英国の海戦の「神」であるネルソンでさえ、船は陸上の砦を倒すには向かないとアドバイスしている。


沿岸の砦を回避するのは、蒸気船の時代に入っても懸命な手段であることに変わりない。ユトランド沖海戦(1916年)ももう一つの艦隊同士に限定された戦いであり、イギリスの「大艦隊」はすべての船を北海に持ち寄り、ドイツの「大洋艦隊」もすべてのアセットをつぎ込み、砲撃戦を行っている。


ところが将来トラファルガーやユトランドのような戦いが起こるかというと、かなり疑わしい。長射程の精密誘導火力の出現によって、むしろ将来の戦いは、七五年前のソロモン諸島の戦いに似たものとなるだろう。この戦いでは、日米両国が半年にわたってガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を巡って、陸海空すべての軍事力をつぎ込んで争っている。


この飛行場のコントロールをできた側は、南太平洋全域にわたる敵の海上輸送と島の基地を攻撃するための最初のポイントを獲得できるようになるのだ。陸上ベースのシーパワーは、ソロモン諸島の戦いの最大の目的であると同時に、それを戦うための最大の手段の一つでもあったのだ。


誘導ミサイル時代の到来は、陸上ベースのシーパワーの時代の到来や、そのリーチの拡大、精密誘導性、そしてその破壊力を早めただけだ。中国の戦略では、この火力革命を自らの優位としつつある。人民解放軍は、海洋面での使用可能なすべての力を中国の前進的な沿岸防衛に注ぐことになるだろう。


中国の海軍力には、空母や誘導ミサイル駆逐艦のような、戦闘艦隊を構成する目立った艦船が組み込まれている。その他にも、短距離用だが高速の警備船や、対艦巡航ミサイルを搭載したディーゼル電池式の潜水艦などがある。陸にある飛行場から飛び立つ、ミサイルを運搬する航空機も一定の役割を担うことができるし、トラックから発射する対艦ミサイルも、それと同様に「シーパワー」のツールの一つとして数えることができる。


人民解放軍は毛沢東式の「積極防衛」戦略を編み出しており、それを近年に「沖合水域防衛」と名前を換えているが、これらの海と陸をベースとしたシーパワーのツールを、「砦としての中国」やその沖合を、アメリカとその同盟国たちから守るための、一つの鋭い兵器として融合させている。


では彼らはこのような兵器をどのように準備するのだろうか?中国共産党の指導層がまず最初に考えるのが、東アジアと太平洋西部である


戦略とは、そもそも優先順位を設定すると同時に、それらを勇気を持って実行するためのアートである。そこから考えると、主要戦域――この場合は国土と接続水域のことだが――を、はるか遠い海での副次的な取り組みのために犠牲にするという考えは、合理的とはいえない。つまり、中国にとっての「アクセス」とは、本土から始まるのだ。


ところがもし人民解放軍の指揮官たちが本土を守ることができて、しかも中国が太平洋において陸上配備型の兵器やディーゼル潜水艦、そして高速攻撃船に興味を持っているとすれば、人民解放軍のリーダーたちは、海軍の水上艦隊のかなりの部分を犠牲にして、中国の地理的近郊の外へと繰り出すこともできるのだ。


時の経過とともに、これは遠洋において北京の対外政策の実現に貢献する、「遠征艦隊」へと発展する可能性もある。政治のリーダーたちが沖合の海での防衛に自信を深めつつある今、彼らは遠征的な目的に注目し、そこにエネルギーを注ぎ込みつつある彼らは海軍力を分割して「外洋防護」に回すこともできるし、本土で不要なリスクを背負わずに同様の任務を行うことができるのだ。


そして実際のところ、中国のリーダーたちは、域外への展開のために知的な面と物理的な面の両方において準備を進めている。これは注目に値する。なぜなら、外洋防護やその他の遠征的な展開というのは、戦略家や政治指導層が最も懸念する海域を支配下においてから、ようやく海軍がとりかかる任務だからだ。


北京は、インド洋をはじめとする海路への取り組みを気楽な気持ちで開始できたのであり、これは本土近くの海域における積極防衛を実行する上での海、空、そしてミサイル部隊を統合した能力について、指導層が自信を持ったことを示している。


これらはアメリカの国防計画担当者や、その地域にある同盟国・友好国たちにとってどのような意味を持つのだろうか?


これは、中国が地域の水域や空域における支配について段々と自信を深めているということだ。さらにこれは、アメリカと東アジアにおける同盟国・友好国が、中国の沖合の水域における防衛戦略に対抗するために不可欠なハードウェアを土台とした戦略を作成しなければならないことも示している。


もしこれができれば、アメリカは同盟国へのアクセスを確保して、アジアにこれらの国々を「戦略的ポジションを持たない状態」から救い出すことができる。太平洋西部でうまく競合できれば、人民解放軍海軍に対して中国本土だけを守るようシグナルを出すことができるのであり、間接的にはインド洋やその他の係争海域における中国からの圧力を緩和できる。


同盟関係を強化し、中国の拡大主義的な地域外における海軍のプレゼンスを抑制するためには、アメリカは戦略的な焦点を東アジアに移さなければならないのであり、海洋面でのエネルギーとリソースをこの地域に注がなければならないのだ。


▼目標:沖合の「クランプル・ゾーン」


中国には「接近阻止・領域拒否」(A2AD)戦略があることはよく言われていることだが、これをわかりやすくいえば、海と陸をベースにした兵器を使うことによって沖合に「クランプル・ゾーン」をつくろうとする試み、ということになる。


車の先端のエンジンがある区画や、後ろのトランクの部分というのは、いわゆる「クランプル・ゾーン」を構成している。これらは「堅い盾」としてつくられたわけではなく、衝撃があるとうまく壊れるように設計された、犠牲的な構成部品なのだ。車の設計の最大の狙いは、車会社が最も価値をおいているものを守ること、つまり車内にいる「乗客の身の安全」である。


もし「クランプル・ゾーン」が完全に堅いものであれば、衝突した時の力は車内、そしてその中にいる人間に直接伝わることになり、彼らを死に至らしめる可能性が出てくる。「クランプル・ゾーン」はそのかわりに、衝突のエネルギーを吸収してやわらげる働きをするのだ。


近接阻止のメカニズムもこれと似ている。本土とその近海の安全は、北京が最も懸念するものである。ところが人民解放軍の指揮官たちは、自分たちが太平洋西部を「進入禁止地帯」にできるとはもちろん考えていない。彼らはアメリカの太平洋艦隊を域内の水域から完全に排除するための防衛線を設けることは無理であると知っているのだ。


軍事史では、長距離に広がった前線を守ることは極めて難しいことが示されている。「万里の長城」でさえ難攻不落の構造物ではなかったし、そもそもそれを建設した人々もそういうつもりで作ったわけではない。


どの軍隊も、このような防衛線のすべての線上において潜在的な敵に対して強い状態をつくることはできない。防御側は配備を分散させ、各個の戦闘力を薄くしなければならないのであり、この分散状態は、表面上は弱い敵部隊の集団でも、その線の一部では優位な状態になり、そこからの通過を許してしまうことになる。


▼海に向かうクラウゼヴィッツ


守る側にある人民解放軍がやろうとしているのは、日本やその他の同盟国や、すでにこの地域に前進配備している米軍への救援のために西進している米太平洋艦隊の増援に対して、なるべく高い(といっても完全にムリなものではないだろうが)コストを与えることだ。


そういう意味で、中国の沖合の水域の防衛について参考となる最初の思想家は、戦略思想の賢人の一人であるクラウゼヴィッツのものとなる。


クラウゼヴィッツは戦時に勝利する方法として三つ挙げている。これを簡潔にいえば、相手を粉砕すること、威圧すること、もしくは破産させることである。クラウゼヴィッツによれば、戦争においては「非常に勢力に開きのある国家間」に戦争があるのは一般的であり、力の弱かった方が勝者になることも往々にしてあることだ。


彼はつづけて「現実の戦争に講和の動機をもたらすものが二つある。第一は、以後の勝算が全然立たない場合、第二は、戦勝を得るための犠牲があまりにも大きい場合である」と述べている。


いいかえれば、もし中国が敵に自信をなくさせることができたり、もしくはワシントンが太平洋西部に侵入する「価格」を支払えないほど引き上げてしまえば、中国は大規模な艦隊同士の戦いで相手を倒すことなく勝利することができることになる。


このような海戦は、そもそも遠く離れた外洋での保護任務を必要とし、ここ二十年間で北京が大胆に投資してきた人民解放軍海軍の水上艦隊を、わざわざリスクにさらすことになる。


よって、人民解放軍の上層部は、アメリカの政治リーダーたちに対して、「活動中の太平洋艦隊を危険にさらし、アジアだけでなくユーラシア大陸周辺におけるアメリカの国益を守る米海軍の能力を危機にさらすような大きな損害を被るリスクを本気で背負えるのか?」と宣告できるようになる。


これに対してホワイトハウスは、高い代償の支払いや、海での敗北のリスクにうろたえるかもしれない。もしうろたえることになれば、北京は危機の際にきわめて貴重となる「時間」をかせぐことができるだろう。


クラウゼヴィッツは、心理学的な効果のために軍のハードウェアを展開するこの中国のやり方に、賛意を表明するはずだ。


▼毛沢東の積極防衛


強靭な能力があれば、中国は抑止や強要ができるようになる。中国のシーパワーの次の顔は、毛沢東の睨んだ表情として言い表すことができる。


2015年に発表した最初の公式な軍事戦略として、中国の指導者層がわれわれに教えたのは、毛沢東式の「積極防衛」が、いまでも中国の戦略の作成に重要であるばかりでなく、「積極防衛という戦略概念こそが(中国共産党の)最大のエッセンスである」ということだ。


これが意味するのは、人民解放軍は固定化された防衛線を守ろうとしていないし、太平洋の外洋で決戦をしようとしているわけでもない、ということだ。


彼らは撤退戦をやろうとしているのであり、これはつまり、海域を譲りつつ、その合間に「クランプル・ゾーン」の内部のどこかで海軍による作戦行動を準備するために、米艦隊に断続的な攻撃を加えて分断化しようというのだ。


この「曲がるが折れない」というアプローチは、陸戦にルーツを持つ中国共産党の伝統に則したものだ


毛沢東は自身の考えを説明する際に比喩表現を喜んで使っており、たとえば中国の内戦時には紅軍の指揮官たちに対して「(強い敵軍を)深みに誘い込み」、敵の戦力を少しずつ削り取って分離し、小さくなった部隊からつぶすべきだと進言している。


「十本の指を傷つけるよりは一本の指を切り落とした方がよく、敵に対しても、一〇個師団を撃破するよりはその一個師団を殲滅した方がよい」と言っている。つまり指は一本ずつ切り落とせということだ。


毛沢東によれば、紅軍は手慣れたボクサーのように振る舞うべきだという。これについては1974年の「キンシャサの奇跡」においてモハメド・アリが対戦相手で筋骨隆々のジョージ・フォアマンに初期のラウンドで打たせて疲れさせ、最後のラウンドで自分はカウンターパンチをしかけて倒した例を考えてみればよい。


一時的な戦略的後退は、モハメド・アリや毛沢東の紅軍に役立ったのだ。今日の人民解放軍にも使えないわけがない。


実践的な面からいえば、人民解放軍は米海軍を数百マイル沖合で攻撃できるような兵器を集めており、太平洋におけるトラファルガーに先駆けて疲弊させておこうというのだ。これができれば、弱者である中国は、アメリカと対等に立てることになる。


人民解放軍が持つ実に多くの対艦ミサイルは、潜水艦や警備艇、そして「クランプル・ゾーン」を動き回る戦術航空機と相まって、そこに大胆に攻撃をしかけようとしてくる米軍に対して処罰を与えようとするものだ。


もし中国の「接近阻止」防御が強力になり、米太平洋艦隊に対して許容できないコストを与えることができるようになれば、北京は海軍戦闘部隊を温存できるようになるかもしれない。港を出ずに目的を達成できるのであれば、わざわざ大事な艦隊を近海に展開させてリスクにさらす必要もなくなるのだ。


クラウゼヴィッツや毛沢東は、このような戦略に賛同するはずだ。


▼マハンと砦


中国のシーパワーの次の二つの顔は、アルフレッド・セイヤー・マハンとテオフィル・オーブである。この二人の海軍士官は、自分たちがそれぞれ生きていた時代に長射程の精密度が上がっていた時に海洋における戦術を見通していた。


マハンは日露戦争時に、ロシアの司令官たちが太平洋艦隊を旅順港の沿岸砲の射程内で守ろうとしていたことを非難している。「要塞艦隊」は、海戦においては「急激に時代遅れ」になっており、この考え方のおかげで戦艦の作戦行動範囲が限定されつつ、指揮官たちに小心さを生じさせているというのだ。


しかし、旅順港の沿岸砲の射程が伸ばされて、黄海や日本海決戦が行われた対馬海峡まで攻撃できるようになっていたとすればどうだっただろうか?おそらく東郷平八郎の連合艦隊は、ロシアの大砲のおかげで自由な行動ができなかっただろうし、そうなれば結果はわからなかったはずだ。


もし沖合へ数百マイル射程が伸びていれば、おそらく戦争の結果は違っていただろうし、「要塞艦隊」の戦略は誤りでもなかったはずだ。そしてこれは中国にとっても、明らかに取るべき選択肢となる。


▼オーブ提督と「青年学派」


オーブ提督はマハンとは正反対の人物であった。彼は大英帝国の王立海軍のような、外洋型の覇権者に対抗しようという、19世紀の海軍戦略の派閥である「青年学派」の生みの親だ。


彼らによれば、フランスのように海洋面では後塵を拝する勢力は、魚雷、機雷、潜水艦、そして水上警備艇という形の「非対称的なテクノロジー」を使うことによって、沖合の海域から王立海軍を追い払うことができるというのだ。このような艦船や兵器は、軽量で安価なのだが、沿岸近くの戦艦や巡洋艦を相殺することはできた。フランスのような大陸国家にとっては、このような兵力でも十分であった。


オーブの生きていた時代のこのアイディアは、現在の状況にはさらによく当てはまる。テクノロジーは潜水艦や水上艇をかなり強力にしたのであり、これは「青年学派」の戦略に新たな息吹を吹き込んだと言える。


この「青年学派」と「要塞艦隊」のコンセプトを合致させれば、沿岸に火砲をおいて、これに小規模かつ安価でミサイルや魚雷で武装した水上艇などと組み合わせれば、海洋面での覇権者、つまり米海軍に対して対抗できるのだ。かくして、中国は沖合の水域における防御を遂行できるようになる。


▼ルーズベルトと「身軽な」艦隊


そして中国のシーパワーの最後の「顔」は、セオドア・ルーズベルトである。海軍大学が1908年に開催した「戦艦カンファレンス」の前に、ルーズヴェルト大統領はランドパワーとシーパワーの共生について長々と演説している。


彼にとって、この二つは軍事力を互いに補いながら強化してくれる存在であった。沿岸砲の砲手と小艦艇の乗組員たちは、海からの襲撃から港を守る任務を協力して担わなければならないのであり、これを行うことを通じて戦闘艦隊を外洋での敵艦隊との戦闘に集中させることができるのだ。


つまりこのような統合的な任務の分担によって艦隊を「身軽」にすることができるのであり、「敵艦隊の捜索と破壊」に集中してもらおうというのだ。ルーズベルト大統領によれば、この敵艦隊の破壊こそが「艦隊の存在を正当化できる唯一の機能」である。


このような洞察は、それから百年後の毛沢東主義者たちを喜ばせている。セオドア・ルーズベルトと毛沢東というのは、戦略においては実に奇妙な共通項をもっているのだ。ルーズヴェルトの沿岸砲と軽量の戦艦のように、人民解放軍が太平洋西部における沖合の防御で十分に密集的な群れをつくることができれば、人民解放軍海軍の水上艦船は「身軽」になるだろう。


これこそが沖合の水域での防御における最大の目標となる。人民解放軍は主に「要塞艦隊」と「青年学派」的なプラットフォームを使って本土を守るだろうし、これによって外の水域で水上艦隊のほとんどを(常設的ではなくても)定期的なプレゼンスに回すことができるはずだ。


したがって外洋での保護は、太平洋西部での積極防衛がうまくいくかどうかに左右されることになる。もし北京が「クランプル・ゾーン」を手渡しても負けることはないと考えるようになれば、中国の海洋周辺部の外での任務のために大規模なタスクフォースを自由に派遣できる、と感じるようになるはずだ。


▼まとめ:中国の戦略に関するアイディア


一つの戦略を構成するこれらの概念について、アメリカやその同盟国、そして友好国たちは、深刻に受け取るべきだ。中国のシーパワー――これは単なる現在の人民解放軍海軍の存在だけの話ではない――は今後も存在するものだからだ。


では米海軍の指導者たちはどうすべきなのだろうか?


第一に、ここで明確にされた中国の海洋戦略を突き動かすアイディアについて、真剣に考え抜くことだ。過去の良いアイディアは、精密誘導兵器やセンサー技術の進化のおかげで、その有用性が認められつつある。


クラウゼヴィッツ、マハン、オーブ、そしてルーズヴェルトという中国のシーパワーをあらわす五人の顔は、人民解放軍の指揮官たちの戦略的企図を瞬間的に理解させてくれるものだ。


第二に、米軍は中国の「クランプル・ゾーン」を突破するための編成と対抗策を考え抜かなければならない。もちろんこういうのは単純であるが、やはりクラウゼヴィッツが指摘したしたように、人間の意志の争いにおいては単純なものこそ難しいのだ。


第三に、中国の作戦行動のパターンを研究すべきだ。もし人民解放軍海軍が地域外に一定数の水上艦隊を長期にわたって展開するようになれば、これは中国が積極防衛に自信をつけてきたことを示すことになる。


インド洋に永続的に船団を展開できるようになれば、北京が沖合の水域での防衛を十分なものだと感じている証拠となる。そしてこれは、アメリカやその同盟国、そして友好国たちにとって、克服し難い圧倒的な障害物となるだろう。


北京が南アジアの港湾へのアクセスをどれほど求めているか、その態度だけでもその兆候はつかめるはずだ。船というのは兵站面での支えがなければ本土から遠い場所で長期にわたって活動できないものだからだ。北京が基地の権利に関する交渉を増やせば増やすほど、人民解放軍海軍の海外における行動の自由は増えていくからだ。


端的にいえば、中国の船乗りと飛行機乗りたちの広い世界における行動の仕方が、共産党のリーダーたちの「クランプル・ゾーン」における信頼度の高さを物語るのだ。そしてこれによって、このゾーンの突破のための方法論や、そのために必要となるハードウェアなどが示される可能性もある。


===


いかがでしょうか。

アメリカの典型的な中国脅威論を前提とした「中国のシーパワー分析」の論文でしたが、ここでの特徴は、中国の戦略をあらわすためにここ十年ほどでよく使われている「A2AD」という概念をわかりやすくするために「クランプル・ゾーン」と言い換えたことと、五人の戦略思想家のアイディアを使って、そのシーパワー論の全体像を説明したという点です。

アメリカでこのように中国の脅威を喧伝してくれるのは、日本の立場からするとやはりありがたいと思うわけですが、私がここで少し気になるのは、このホームズの分析がやはり「アメリカ人向け」のものであるという点です。

中国の歴史や文化にそれほど関心のないアメリカ人にとっては仕方のない部分はあるのですが、拙訳『真説孫子』でも指摘されたように、やはりもう少し中国の戦略思想のバックグラウンドの部分はおさえておいて欲しかった、というのが正直なところです。毛沢東だけではなんとも物足りないわけです。

ただし、五人の戦略思想家を使った分析などは意外に斬新であり、個人的に気になったのは、クラウゼヴィッツ系の人はあまり引用しない、『戦争論』の第一編第二章のいわゆる「コストインポージング」的な言葉をあえて引用してきている部分と、オーブの「青年学派」という「弱者がいかに強者に対抗するか」という基本的な戦略的アイディアを持ってきている部分でした。このようなアイディア勝負の論文は、やはりアメリカ人ならではのものかと。

これを訳したあとの私の率直な感想としては、中国はさておき、日本も中国に対しては「弱者」の側に立って「青年学派」的な装備や戦略を追求することを真剣に考える時期に来ているのではないか、というものです。

もちろんアメリカという強力な「矛」があるために、日本は「盾」だけを考えていればよかったのでしょうが、どうもその「盾」も、著者のホームズが指摘するように、近年のテクノロジーの進化(とりわけ長射程化と小型・安価・軽量化)によって、大きく状況が変わってきております。

しかしこれは自戒も込めて言うのですが、もしかしたらこのような「現実はすでに大きく変わっている」ということに気づいて、それに対処するための行動を実際にとることのほうが、国防においては最も重要だといえます。よって、この論文のような新しいアイディアについて、われわれはもっと敏感であるべきなのかもしれません。



b0015356_00445265.jpg


(ダーウィン港入り口)

===

▼〜あなたは本当の「戦略」を知らない〜

奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』

b0015356_07412195.jpg





▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らない〜

奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD
b0015356_07411043.jpg






▼〜あなたは本当の「孫子」を知らない〜

奥山真司の『真説 孫子解読2.0』CD

b0015356_07383130.jpg






▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略〜
奥山真司の『未来予測と戦略』CD

b0015356_07403719.png





▼奴隷の人生からの脱却のために
戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから!
b0015356_07411313.png





▼〜これまでのクラウゼヴィッツ解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の現代のクラウゼヴィッツ『戦争論』講座CD
b0015356_07412534.jpg





▼〜これまでの地政学解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の地政学講座CD 全10回

b0015356_07411781.png









by masa_the_man | 2018-07-12 01:19 | 日記 | Comments(2)
今日の横浜北部は朝から小雨が降ったりやんだりで、昨日に引き続いて南風が強いです。

さて、今週の番組でも触れた話題ですが、アメリカで自殺率が上昇している点に関して、実に興味深い心理学的な見地からの意見記事がありましたので紹介します。


===

自殺の増加は「存在にかかわる危機」?

By クレイ・ラウトリッジ


最近のことだが。政府機関である「アメリカ疾病管理予防センター」が、米国内の自殺数が台頭していることを示す、実にショッキングな統計結果を発表した。これによると、ほとんどの人種や年齢層で、1999年から現在まで自殺率が25%も上昇しているということだ。


この数字は、明らかに一つの「危機」であることを示しているのだが、では果たしてその「危機」の性質とはどのようなものなのだろうか?


多くの識者たちはこれが「メンタルヘルスケアの危機」であり、国民は必要なサービスを受けることができていないと論じている。よって彼らが提案する解決法は、より良いセラピーや、さらに効果的な抗うつ剤、そして治療へのアクセスの拡大となる。


もちろんこの分析は正しいのかもしれない。しかし自殺率は、鬱や不安感を解消するための治療を求める人が増え、しかもこれらの症状に対する治療法が増えているにもかかわらず上昇しているのだ。さらなる説明が必要であろう。


「意義の必要性」を含む、人間の基本的な心理学的欲求を研究している行動主義派の学者として、私はアメリカの自殺危機の原因の一つとして「意義喪失の危機」が挙げられると確信している


まずこれを論じるにあたって、近年のアメリカ社会の変化――無関心への方向性と集団への従属感覚の低下――が「実在的な絶望のリスク」を増加させているのかを理解していただく必要があるだろう。


その他の生き物と同じように、人間は「生き残り」と「繁殖」というゲームの中にいる。われわれは生きることに対して強い欲望――つまり死を逃れようとする傾向――を持っている。


ところがこの「生き残り」を助けてくれる神経系統は、われわれを極めて黙想的な状態にもする。われわれが自らの可能性を考えたり、過去や未来について考えたり、抽象的な考えに取り組むための能力というのは、同時にある種の「不快な真実」へとわれわれを導くものだ。それはつまり、


われわれは自分たち、そして大切に思っている人々がすべて年を重ね、衰えて、最後は死ぬことを知っている


ということだ。われわれは人生が不確実なものであり、痛みや悲しみがわれわれの人生の一部であることを理解している。よって人生にそもそも意味はあるのか、ということだ。


このような実在的な不安感を払拭するために、われわれは「自分たちの人生には意味がある」という感覚を見つけて維持しなければならない。人類というのは、単に「生き残る」だけでなく「意義」を懸命に目指す種なのだ。


われわれは人生を意義あるものにしようと考えるのであり、人間は人生の意味を維持できないと感じた時に、心理的に最も追い込まれるのである。


これは実証的にも妥当であるとされている。「人生に意味を感じられない」という感覚は、アルコールや麻薬の中毒、鬱、不安感、そして自殺に関係しているとされている。そして喪失感やストレス、もしくはトラウマを感じたとき、この苦境に最もよく対処できて乗り越えられるのは「自分の人生には目的がある」と感じる人々なのだ。


〜〜〜


ではわれわれの人生の意味と目的を発見するにはどうすればいいのだろうか?多くのやり方があるが、心理学関連の文献が示唆しているのは「他の人々との親密な関係」がわれわれが持つ最大のリソースであるということだ。


社会階層、年齢、性別、宗教、国籍に関係なく、人々が「人生の経験の中で個人的に最も意味を持つもの」と実感する経験には、その典型として、愛する人間が関わってくるという。


さらに重要なのは、これらの研究から、人間は単に「他人と一緒にいること」や「他人に好かれること」だけでは十分ではない、ということが示唆されているという点だ。


われわれは「他人から存在価値を認められている」と感じる必要があり、「自分は世界に重要な貢献をしている」と感じる必要があるのだ。


ここからわかるのは、なぜ人々が常に良い扱いをしてくれる他人に囲まれているにもかかわらず、孤独や無益さを感じることがあるのか、という点だ。単に快適で楽しいだけの社会的な交わりでは、失望感の解消には不十分なのである。


〜〜〜


ここで問題となるのが、アメリカで変化しつつある国内社会の構造だ。


ご近所同士の付き合いの低下や、家族の縮小、そして宗教の役割の低下について嘆くのは、まるで気難しい老人の不満のように聞こえるかもしれない。ところが心理学の研究の観点から見ると、これらの変化は、それをあなたがどう捉えるかはさておき、人生の意味にとって深刻な脅威を及ぼしている


過去の世代と比べるとわかるのが、現在のアメリカ人は、近所の人々との付き合いが少なく、他人は全般的に信頼できるものという考えが薄れ、個人レベルでも信頼していると感じる人が少なくなってきているという点だ。


このような傾向は、実在論的な観点からは懸念すべきものだ。研究で示されているのは、どこかの集団への帰属感覚が強ければ強いほど、人間は人生を意味あるものであると認識するということだ。別の研究でも、孤独を感じている人々は強い関係性を持っている人々よりも人生を意味ないものとして見ていることが示されている。


家族の規模が減少している点にも、これと似たような懸念がある。今日のアメリカ人は結婚して子供を持つまでにいままで以上に時間をかけており、子供の数も少ない。多くの人々にとって、このような状態は望ましいものかもしれない(といってもアメリカ人女性は出産数が自ら望んでいる数よりも少ないらしいが)。


それでも研究者たちがつきとめたのは、子供を持った大人のほうが、子供を持たない大人よりも人生の意味について関心が高く、子供を育てるような活動に従事している親は、人生の意味の充実感が高いという点だ。


また、長年にわたって制度的・社会的に人生の意味の土台となってきた宗教も、劇的にその影響力を落としてきている。今日のアメリカ人、とりわけ若い世代は、自分たちの宗教的な帰属を失いつつあり、教会に行く回数は減り、その他の宗教活動への関わりも薄れてきている


ところが私の研究でもわかるように、これまで宗教が提供してきた人生の意味についての感覚は、非宗教的な環境では簡単に代替できないものだ。


アメリカ人はたしかに伝統的な信仰の場所を去ったのだが、逆に彼らはその代わりとなる「宗教的」とも呼べる体験(おばけや宇宙人のようなアイディアを含む)を探すようになっている。そしてこれによって、自分たちは「より大きな何か」の一部であり、短い人生よりも意味を持った存在であるかのように感じたいのだ。


アメリカの存在論的な危機が、われわれの政治面での分断状態に貢献している可能性もある。研究でわかっているのは、実在的に脅威を及ぼしてくるアイディア(たとえば命に限りがあることを思い起こさせることなど)にさらされた時、人間は自らの持つ世界観に対してより偏見を持つようになるということであり、これはとりわけその他の情報源を通じて自分たちの人生の中に何らかの意義を見つけられなかった場合には強まるという。


このために、われわれの怒りこもった政治文化というのは、単なるイデオロギー面での意見の不一致だけではなく、すべての迷える魂に対して何かしらの意味をもたらすものを発見するための、必死な探求によっても突き動かされていると言えよう。


===


アメリカの保守派はこのような「危機」について、保守的な立場から以前から積極的に論じておりましたが、私はこれが戦略で重要な「世界観」におけるフィクションの重要性と近い、と解釈しました。


個人だけでなく、人間は集団としてどちらかの方向に何かを成し遂げようとする際に、重要になってくるのが(細かく検証すればかなり怪しい)フィクションの存在であり、社会学系ではこれを「ナラティブ」(物語)という言葉で表現したりしております。


ところがこのようなナラティブというものは、80年代から言説解析のような形で実証的な解明が進み、学問の世界ではその虚構性、つまりフィクション的な部分がクローズアップされ、いわば幻滅(disenchantment)させられた部分が出てきております。


私も最初の本で批判地政学を紹介する際に、このような言説の解説部分にかなり感銘を受けていたところがあったわけですが、書いていて気になったのが、その分析している彼ら自身が、古典地政学にありがちな「ナラティブ」や「虚構性」を暴きつつも、自分たちも分析するという「使命感」(これまた虚構性の一種)に突き動かされているという点でした。


このような点を踏まえて私が至った結論は、人間には、個人レベルでも集団レベルでも、その良し悪しは別として、人間が何か動きを起こすためには一定の「フィクション」が必要であるという点です。


上の記事では「人生の意味」という言葉で言い換えられていますが、その実態は「フィクション」とも言えます。これについては私もCDなどで解説しておりますので、よろしければぜひ。




b0015356_10222558.jpg
(ウィーンの某カフェ)


===

▼〜あなたは本当の「戦略」を知らない〜

奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』

b0015356_07412195.jpg





▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らない〜

奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD
b0015356_07411043.jpg






▼〜あなたは本当の「孫子」を知らない〜

奥山真司の『真説 孫子解読2.0』CD

b0015356_07383130.jpg






▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略〜
奥山真司の『未来予測と戦略』CD

b0015356_07403719.png





▼奴隷の人生からの脱却のために
戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから!
b0015356_07411313.png





▼〜これまでのクラウゼヴィッツ解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の現代のクラウゼヴィッツ『戦争論』講座CD
b0015356_07412534.jpg





▼〜これまでの地政学解説本はすべて処分して結構です〜
奥山真司の地政学講座CD 全10回

b0015356_07411781.png








by masa_the_man | 2018-07-05 10:57 | 日記 | Comments(5)