戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man

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なかなか面白い論説記事が数日前のヘラルドトリビューン紙に載っておりました。

内容を簡単に言うと、麻生首相が先日靖国神社に「真榊(まさかき)」を奉納したことを中国が激怒したというニュースについて、NYタイムズ傘下のヘラルドトリビューン紙が論説記事で噛み付いたというものです。

一見すると、まるでNYタイムズが日本を擁護するような内容に見えますが、実はもっと深い事情があります(笑

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EDITORIAL

China Can’t Have It Both Ways

(中略)

Mr. Aso, a pugnacious nationalist, revived the controversy on Tuesday by offering the Shinto shrine a potted plant. Mr. Aso’s spokesmen insisted that this was not the same as a visit, and in any case would not affect his scheduled visit to China next week.

China was furious, telling the Japanese that “the question of history is highly sensitive.”

In the other statement, China demanded that the United States cancel a visit by the Dalai Lama (he arrived on Friday for a two-week tour). The Buddhist religious leader, a recipient of the Nobel peace prize who is respected around the world, says he is seeking only autonomy for his homeland, Tibet. China vilifies him as a separatist and regularly lambastes countries and leaders who receive him.

“We oppose the Dalai Lama going to any country to engage in splittist activities under any pretext,” said Jiang Yu, the same Foreign Ministry spokeswoman who had earlier found history to be so sensitive.

Mr. Aso’s offering to Yasukuni was blatantly provocative and offensive, even if all he offered was a potted sakaki evergreen, and his explanation — that he was just expressing “appreciation and respect” to Japanese who gave their all — was disingenuous.

We understand China’s frustration. But it only makes Beijing’s repression of Tibet and its attacks on the Dalai Lama all the more hypocritical.

As it carves out an ever greater role in the world, Beijing will have to learn that it cannot have it both ways. China cannot be the aggrieved victim in the morning and the bully in the afternoon.

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この論説記事のポイントは、中国が麻生首相の行為に怒った同じ日に、ダライラマの外国訪問を「分裂主義的な行動だ」と大々的に批判した、という点です。

つまりNYタイムズは「日本に対する怒りは分かるが、そういうあんたたちはチベットに対してそんなこと言える立場にあんのか?」と言っているわけです。

これを読むと、「おおっ、NYタイムズは日本を擁護してくれるような記事を書いてくれてんじゃん!?」と勘違いしてしまいそうになりますが、実はちょっと違います。

なぜ違うのかというと、この記事で言われていることで重要なのは、

●「日本の歴史的行為」

●「中国の人権侵害」

という二つを両方とも否定することにより、このNYタイムズ(及び西洋人側)が、(意識的/無意識的に)自分たちが正義の味方であり、倫理的に有利に立とうとしている、という点だからです。

これからの国際紛争は「いかに道徳観(世界観/歴史観)で有利に立つか」というプロパガンダ戦という形で争われるわけです。

この記事はこういう傾向がけっこうわかりやすく現れているという意味で、とっても重要です。

我々日本人はこのようなメディアを通じて行われているプロパガンダ戦の実態をもっと自覚すべきなのかも知れません。
by masa_the_man | 2009-04-30 00:56 | ニュース | Comments(28)
今日の甲州は昨夜の寒さに比べればだいぶ暖かくなりました。それにしても昨夜は寒くてびっくりでした。

さて、コックスの話の続きを。

彼はセオリーには二つのタイプあって、一つ目は「問題解決理論」であると言ったことまではお話しました。

この問題解決理論、わかりやすいところでは拙訳『大国政治の悲劇』の著者である、ジョン・ミアシャイマーの「オフェンシヴ・リアリズム」などがまさにその典型です。

ミアシャイマーは、まず自身の理論を「記述的」(descriptive)であると同時に「処方箋的」(prescriptive)な理論であると説明しております。

これはどういうことかというと、まず「記述的」というのは、その名の通り、ある複雑なものごとや現実をわかりやすく説明するための理論、ということになります。

具体的には、「冷戦世界は二極構造のシステムである」みたいな感じですね。

ところがもう一方の「処方箋的」というのは、「どうするべきか」という政策や対策などを導き出すためのものなのです。

これをミアシャイマーの例で言えば、「中国は覇権国になる」→「だから封じ込めなければならない」という答えが出てくるわけですね。

ちなみにミアシャイマーは中国については「もう封じ込めるには手遅れだ」と悲観的なのですが(苦笑

このミアシャイマーの二つの理論、実はコックスからみればどちらも「問題解決理論」ということになります。なぜならこれらの二つは、どちらも一つの問題の存在があり、それを解決(記述/処方)しようとしているからですね。

ところがコックスのいう二つ目のセオリーは、これよりももうちょっと物事を根本から見るものです。

これを彼は「批判理論」(critical theory)と呼びます。

この批判理論で問題になるのは、前日のエントリーで説明したように、すでに存在している秩序や問題解決の手順などであり、それを根本から疑うからです。

この理論の有利なところは、あえて言えば視点がデカいということでしょうか。

たとえば問題解決理論のほうが「問題」と「その解決法」のような、ある意味で部分的/局所的なところしか見ていないのに対して、批判理論はその全体的な構造の由来や現実が変化したあとのことまでフォローすることができるという意味で、視点が総体的(ホリスティック)なのです。

鋭い方はすでにお気づきかも知れませんが、これは地政学の大きな学問的な二つの流れと一緒です。つまり

「問題解決理論」= 私が現在研究している「古典地政学」(classical geopolitics)

そして

「批判理論」= 私が最初に受けた政治地理学で主流だった「批判地政学」(critical geopolitics)

という風に対応するわけです。

実際に世界政治の現場で使われているのは「古典地政学」であり、その逆にアカデミック界ではどうしても「批判理論」が強くなりますが、これはコックスの言うように、古典地政学が問題解決に「使える」ものであり、その逆に、批判地政学は批判理論であるために「批判的な意見」意外には何も具体策を導き出してくれないからです。

私は元々このような批判理論の勉強から地政学に入ったのですが、実際にやってみると、やはり問題解決理論である古典地政学のほうが実際的でなかなか面白いんですね。

ただしどちらかに偏ることでなしに、両方からバランス良く見るということが一番大事なのでしょうが・・・。

そういえば学者と実務家の両方の経験を持つジョセフ・ナイ次期米国駐日大使が「理論と現実の両方の間を行き来することが重要だ」みたいなことを言っていたと記憶しますが、これはある意味でこの「問題解決」と「批判」の間を行き来することの重要性につながってくるような気が。

人間、やはりバランスが大切ですね。
by masa_the_man | 2009-04-29 01:13 | ニュース | Comments(6)
今日の甲州はよく晴れたんですが、なんだかやたらと寒かったですね。知り合いの人が最近イギリスから帰ってきたらしいのですが、向こうはとっても暖かかったらしいです。

それにしても豚インフルエンザ(スワイン・フルー)で海外のメディアでも大騒ぎですね。私はけっこう本気でイギリス行きをとりやめようと考えているんですが(苦笑

コックスの話の続きをする予定ですが、まずは簡単にお知らせを。

実は現在翻訳プロジェクトを二つ(地政学の論文集と戦略学の本)、そして久々の著書二冊分(新書?)も同時進行で進めておりまして、翻訳に関しては一番早くて六月末か七月末に出ることになりそうです。

著作のほうも夏までには出ることになると思われるのですが、なにせ論文を書きながらですので時間がいくらあっても足りません。ま、やるしかないんですが。

ここで皆さんにお願いなんですが、また翻訳本のタイトルを、そのうち本ブログで募集することになるかも知れません

もちろん採用の方には献本させていただきますのでぜひご協力いただけますようお願いします。

さて、コックスの話のつづきを。

セオリーが生まれる背景には時間と地理というコンテクストがあり、しかもある現実に対処するための問題意識から発生するものであるために、どうしても特定のイデオロギーや思想のようなものの影響を受ける、というところまでお話しました。

これを踏まえてコックスは、

「セオリーの一つの大きな役割というのは、我々の心を目の前の現実に正しく対処できるようにするために、これらの問題を明確にすることにある」

(A primary task of theory is to become clearly aware of these problems, to enable the mind to come to grips with the reality it confronts.)

と書いております。

ところがここで問題になってくるのは、この「我々が直面する現実」というものが変化してしまうというところです。

これをウォルツの理論でいけば、彼の想定していた米ソによる「二極構造」という現実が、冷戦終了と共にモデルとして使えなくなってしまった、ということです。

いいかえれば、セオリーが説明していたコンテクストが変わり、セオリーのモデルが使えなくなってしまったということですな。

コックスはこれを踏まえて、一般的に言われているセオリーというものには実は二種類のタイプがあるんじゃないかと提案しております。

まず一つ目は、ある問題があって、それを説明したり処方箋を導き出すことによって解決しようとする「問題解決理論」(problem-solving theory)です。

このセオリーの目的は、あるトラブルがあって、それをなるべくスムーズに解決できるような方針や政策を導き出すことなんですが、ここで問題になってくるのは、それを解決しようとする側の力関係や制度などが全く疑問に思われない、ということ。

たとえば「国家は不当に解雇された派遣労働者を救済しろ!」という要望があったとすると、その要求をしている人は、ものすごく単純にいえば

「国は国民を保護するものだ」

というセオリー(というか前提)を持っていることになるわけです。

しかもこの要望は、このセオリーに従って考えられた場合には、

「国は解雇された派遣労働者を保護すべし」

という風に「問題解決」しようとするわけです。

ところがここでコックスが問題視するのは、この問題解決理論から導き出される答えではなくて、そもそもなぜそのような問題が解決されなければならないのか、というメカニズム的な部分なのです。

ようするにここで何の疑問もなくスルーされているのは、

「なぜ国家が派遣労働者を保護しなくてはならないのか」

という根本的な疑問の部分なわけです。

なぜならこのセオリーに働く力関係についての疑問(この場合は「国家の役割」)というものが、このセオリーの場合は全く考慮や疑問の対象にはならないからですね。

「国家が弱者を救うのは当たり前だ!」

というのは我々のようなリベラルなメディアに毒された(?)日本人としては当然の「セオリー」に聞こえるかも知れませんが、このような考えは、たとえばアメリカに行くと全く事情が違ってきます。なぜって、彼らの中には

「俺の払った税金で、関係のない人間を救うな!」

と考える人々がいるからです。

現在アメリカのメディアで連日報道されている銀行救済法案やGM破綻を救済するかどうか、そして税金反対の「茶会」などで行われている議論を少し考えてみると、実はこの「問題解決理論」に対する批判的な見方と似たような考え方がアメリカ国民の中に染み付いていることがよくわかります。

これをいいかえると、彼らはまさに「批判理論」の考え方に従って(?)「問題解決理論」の背後にある力関係や既存の制度というものに疑問を差し挟むということをやっているわけです。

ここまで書いて時間切れです。続きはまた明日。

もちろんこの詳細についてはこちらでさらに詳しく論じるつもりです。
by masa_the_man | 2009-04-28 01:24 | 日記 | Comments(6)

大会に参加してきました

今日の東京は朝からよく晴れましたが、夜になって一気に冷え込みました。新宿で帰りの電車を待つ間、かなり冷えてしまってびっくりでした。

昨日のことですが、私がお世話になっている戦略研究学会の第七回年次大会に出席して参りました。

去年に京都で開催された時に裏方的なことを少しやらせていただいたおかげで少し知り合いができまして、また本ブログの読者の方々数人ほどにもお目にかかることができましたので、とてもリラックスして過ごすことができました。

朝十時から夕方六時まで講義を聞き続けたわけですが、どれもなかなか興味深いテーマで、あまり飽きずに聞くことができました。

個人的に印象的だったのは、私の目の前で若い女性の方が『戦略論の原点』(二刷版)を(私が横にいることを気付かずに)購入してくれまして、その瞬間の現場を人生はじめて生で目撃できたことでしょうか(笑

その他にもブログや訳本を読んでいるよと意外な方々に声をかけていただきまして、なんだか恐縮でした。実感したのは、この業界(?)は狭いなぁということです。

そういえば豚インフルエンザがアウトブレイクしているらしいですが、私は来月後半にイギリスに行く予定なので、その頃にヒースロー空港(ターミナル3)がどうなっているのかちょっと心配です。

無事に入国できるのか?そして無事に帰国できるのか?自分の身に影響してくる可能性があるので、かなり気になるところです。

次のエントリーからまたコックスの理論の話を再開する予定です。
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by masa_the_man | 2009-04-27 00:34 | 日記 | Comments(6)
今日のことですが、戦略研究学会の第七回大会に朝から参加します。

日時 平成21年4月26日
共通テーマ 「政軍関係」
会場 明治大学駿河台キャンパス

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今回も少しお役を頂いてお手伝いさせていただくつもりですが、去年よりも純粋な聴衆者として参加できそうです。

個人的にも興味深い研究発表がいくつかあるので、今回は特に楽しみにです。

本ブログをお読みの何人かも会場にいらっしゃるとのこと。お会いできるのを楽しみにしております。
by masa_the_man | 2009-04-26 00:42 | 日記 | Comments(0)
今日の東京は日中暑かったのですが、夕方になってけっこう冷え込みました。夜になって甲州に帰ってきたわけですが、薄着で出たことをやや後悔。

今日のニュースでは 中国の覇権獲得への動きが目立ったもの
ばかりでしたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

さて、コックスのセオリーの話の続きを。

セオリーというものには、それが生みだした「時間」と「場所」という「コンテクスト」があるということまでお話しましたが、このようなコンテクストがあるということは、つまりセオリーそれ自身だけで成り立つものではない、ということになります。

なぜなら、このようなセオリーというものは「時間」と「場所」というスコープに限定されてしまうものだからです。

もちろん自然科学の分野では「重力」(gravity)のように時間も場所も関係のないように思えるものがありますが、それでも相対性理論などの登場により、完全に普遍的とはいえないのでは?という疑惑も出てきております。

これが社会科学のセオリーの場合はそれが生み出されたコンテクストというものに左右されることが大きくなるわけですが、ここで重要になってくるのはすでに述べたように

セオリーには一つの見方がある

ということでありまして、実はこの「見方」というものは「誰かのための」、「何かの目的」があるために、やや極端にいえば、

一つのイデオロギーや思想を抱えている

ということになります。

ではこの「イデオロギー」や「思想」というものはなぜ生まれるのかというと、コックスはこれについて

そこに一つの問題意識が存在するからだ

というのです。

これをまたウォルツの理論が出て来た背景から説明すると、ウォルツが自分の理論によってやろうとしていたのは

「冷戦構造という現実(the reality)を、社会科学の理論としてスマートにモデル化して説明したい」

という問題意識でした。

そこから出てきたのが「アナーキー」と「サヴァイバル」という仮定(assumption)を元にした、アメリカとソ連による「二極構造」というシステム・モデルなわけです。

ここまで書いてまた時間です。続きはまた明日。
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(西郷どん)
by masa_the_man | 2009-04-25 01:56 | 日記 | Comments(11)
昨日の甲州はとにかく暑かった。よく日が照って、しかも盆地のせいか、東京よりも気温は高いかも知れません。

さて、コックスの話の続きを。

「セオリーとは、常に誰かのための、何かの目的のためのものだ」

とコックスが論じていたことは前回のエントリーで書いたわけですが、もちろん彼はさらにセオリーについて色々と面白い分析をしております。

たとえばこのフレーズのすぐ後の二つのセンテンスで出てくるものに、

すべてのセオリーには一つの見方がある
(All theories have a perspective.)

このような見方というのは、ある特定の時間と空間、特に社会的/政治的な時間と空間に由来するものだ
(Perspectives derive from a position in time and space, specially social and political time and space)

というなかなか鋭い分析があります。

もちろんコックスがこの論文で想定しているのはケネス・ウォルツのネオリアリズムの理論なわけですが、この理論はまさにウォルツがこの理論を発表した一九七九年という米ソ冷戦の最中という時代背景(時間)と、それが一方の超大国であるアメリカ(空間)で出て来たという事情が如実に反映されているものです。

これを最近の英米系のアカデミック用語で言い換えてみると、それは

どんな理論にも、それが生み出されたコンテクスト(context)がある

ということになりますが、みなさんに注意していただきたいのはこの「コンテクスト」という言葉。

我々が普段よく見かけるのは、このコンテクストというものを、単純に「前後の文脈」という意味で解釈したものです。

ところが本当に重要なのは、このコックスの最初の言葉でもわかるように、コンテクストには「時間の前後」という意味だけではなく、そこに「空間」、つまり「場所=地理」というものも関係してくるという点です。

ようするに「時間」という横軸と、「地理」という縦軸(?)が交差して、そこからコンテクストが成立する、ということですね。

しかも理論というものはそのようなコンテクストが存在して、その中から生まれてくる、というのがコックスの言いたいことなのです。

そうなると気になるのは、たとえばリアリズムのような、なんとなく「普遍性」を持ってそうなセオリー。

たしかに(私の先生を含む)リアリズムの提唱者というのは、大抵の場合は「リアリズムには二千五百年の歴史がある」と言うわけですが、これも実はよく考えてみるとある特定のコンテクストによって流行したり、そうでなかったりという(人気の?)波があります。

これについてコックスは、

「(ネオリアリズムのように)洗練されたセオリーというのは、それが洗練されたものであればあるほどそれが生まれた当初の見方というものを越えているように見えるが、それでもセオリーの中に内包されて、表現されるものである」

と見ております。なかなか鋭い。

と、ここまで書いて時間が来たので、続きはまた。

何度も言うようですが、この辺については五月十六日の講演会のほうで徹底的に分析していくつもりですので、興味のあるかたはこちらまで(笑
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(オバマんじゅう)
by masa_the_man | 2009-04-24 01:52 | 日記 | Comments(12)

コックスの「理論」論

今日の甲州は朝からよく晴れていて気温もぐんぐんあがっております。まるで初夏の陽気ですね。

さて、自分の論文と来月のスパイクマン(スピークマン)についての講演会の準備のために、先週あたりからリアリズムの理論をおさらいしておりまして、そこで気がついたことを少しここにメモっておきます。

リアリズム、特にネオリアリズムの理論を英米系の大学で少しかじったことのある方々ならご存知かも知れませんが、理論書としてはかなりスタンダード(というか古典)な部類に入るものとして

Robert O. Keohane (ed.), Neorealism and Its Critics, (NY: Columimbia University Press, 1986)

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という本があります。

これはいわゆる「ネオネオ論争」の初期の集大成とでも言える論文集でして、ウォルツやギルピンなどがリアリズムを擁護し、それに対して批判的なラギーやアシュレイなどが挑戦を挑むという形になっております。

しかもこれはウォルツの古典『国際政治の理論』(一九七九年:未邦訳)の中から何章か抜き出して書かれているし、しかも批判に対するウォルツの反論も載っているというので、お金のないIR系の学生には「一粒で二度おいしい」本として有名なわけです(ウォルツの原書の方は異様に高いですから)。

この中では「セオリーとは何か」という根本的な問いかけが論じられているんですが、その中で私がいつも感心するのはウォルツの説明よりも、このウォルツを批判したロバート・コックス(Robert W. Cox)が第六章で書いた論文の中の有名な一節です。

コックスはまず社会科学で使われるセオリー(theory)というものは一体どういうものなのかということを論じるわけでして、これを彼は

「セオリーとは、常に誰かのための、何かの目的のためのものだ」
(Theory is always for someone, and for some purpose.) p.207

と書いております。このフレーズではIRの理論業界(?)では結構有名なフレーズです。

と、ここまで書いて時間がなくなってしまいましたので、続きはまた後ほど。

また、この辺については講演会のほうで徹底的に分析していくつもりですので、興味のあるかたはこちらまで(笑

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by masa_the_man | 2009-04-22 14:30 | 日記 | Comments(8)

中国が新しい原潜を披露

温度差があるのか、ただ単に発信された情報の時間の違いなのかわかりませんが、中国の新しい原潜についてのメディアでの反応に違いがあります。

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China to show new subs, says no threat to region

By KEN TEH, Associated Press Writer

QINGDAO, China – China plans to show off its nuclear submarines at a major international naval gathering this week, state media reported Tuesday, the first known public display of some its most potent seaborne weaponry.

The People's Liberation Army, controlled by the Communist Party, has traditionally kept its best weaponry tightly under wraps, but recent years have seen a growing openness as it seeks to take its place among the ranks of modern, professional militaries.

Vice Adm. Ding Yiping, the navy's deputy commander, said the submarines would appear at Thursday's international fleet review in the northern port city of Qingdao, but did not specify the types of vessels.

The submarine display, on the 60th anniversary of the People's Liberation Army Navy, is a sign of growing confidence in the navy's rapid adoption of sophisticated new vessels and weapons systems, an upgrade that has spurred unease among its neighbors in the region.

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外国艦艇も初参加 中国海軍60周年で観艦式 (04/21 07:39)

 【北京20日高山昌行】中国海軍の創設六十周年を記念する観艦式が二十三日、北海艦隊司令部のある山東省青島沖の海上で開かれる。中国の観艦式としては初めて、米国、ロシアなどの外国艦艇が参加する。中国海軍は、初の空母建造計画を進めているほか、日本との領有権問題を抱える東シナ海などでの作戦能力向上に力を入れており、胡錦濤政権が海軍の威容を国内外に誇示する狙いがある。

 米国のイージス艦「フィッツジェラルド」をはじめ、ロシア、インド、フランスなど十四カ国の艦艇二十一隻が参加、日本の海上自衛隊幹部を含む二十九カ国の代表が出席する。ただ、日本の艦艇は招かれていない。中国海軍は、大型駆逐艦や原子力潜水艦を披露する見通し

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日本の記事だと、「これだけ?」って感じが。立場が違えば見方も変わるということなんでしょうか。
by masa_the_man | 2009-04-22 00:37 | ニュース | Comments(0)
ランド研究所に今月初めのミサイル発射事件の見解について記事が出ておりましたので、最初の部分だけ。

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N.K. Provocation Suggests Regime in Trouble


By Bruce W. Bennett

North Korea spent weeks preparing to launch a ballistic missile that could reach the United States. It argued that the launch was intended to put a satellite into orbit. But a space launch vehicle is a ballistic missile used for a modestly different purpose. The missile launch was intended to travel over Japan and out to a range that would allow it to reach the United States -- a clear provocation against Japan and the United States. The North Korean regime's desperation has led it to action that imperils the regime as well as regional and global peace.

This launch presents the United States with four important questions: Why did North Korea do this? What have we learned from the results? How will the world react? And what does this provocation suggest about future North Korean behavior?

Why did Kim Jong-il carry out this provocation?

Most of the international media focus has been on external reasons for the North Korean action: Setting conditions for negotiation with President Obama, pressuring the Republic of Korea to return to a "sunshine" policy, and forcing the world to pay attention to North Korea.

More importantly, North Korean leader Kim Jong-il presumably hoped that the Taepodong-2 rocket would actually work, putting the United States within range of North Korean nuclear weapons and thereby adding greater leverage to subsequent North Korean coercion of the United States. North Korea has insisted that the United States treat North Korea as a nuclear "peer." A demonstrated ICBM capability would move North Korea a long way in that direction.

North Korea apparently wanted to split the international reaction. The launch was a clear violation of U.N. Resolution 1718 that directs North Korea to "not conduct any further nuclear test or launch of a ballistic missile" and "suspend all activities related to its ballistic missile program." By claiming that this was actually a satellite launch, North Korea hoped to avoid censure under this resolution, or at least win support from sympathetic states that wish to treat a missile as something different depending upon its payload. But the U.S. position is clear: a missile is still a missile, whatever its payload.

North Korea's claim of a satellite launch also sought to legitimize the launch so as to avoid a U.S. attempt to intercept a missile. In addition, North Korea warned in strong terms that it would carry out counterstrikes against any intercept.

Still, the North Korean regime has historically carried out provocations more for internal North Korean reasons than external reasons.

Internally, the Kim family regime has seriously damaged the viability of North Korea, driving the economy into failure, starving its people, and denying them basic human rights. Neither the regime nor the state has failed yet, and both might continue to survive in some form for many years to come.

Still, even small external pressures have escalated North Korea's internal economic and related problems and forced the regime to take some kind of action.

Other governments have learned to compromise with the outside world when they have faced such troubles. With North Korea, there is no such option. If a North Korean leader were to compromise under external pressure, he would appear weak and ripe for overthrow. He is therefore forced into provocations that make him appear empowered. He can then drive at an international agreement that he can describe as a favorable result of North Korean coercion and empowerment, even if it involves a little compromise.

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簡単にいえば、北朝鮮は内部に弱さを抱えているために、外に対して虚勢をはることによって国内に権威をみせる、という分析です。
by masa_the_man | 2009-04-22 00:26 | ニュース | Comments(11)