戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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カテゴリ:戦略学の論文( 38 )

前のエントリーの続きです。

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規律と直感のはざま

●多くの意味で、「合理的な連続性」というのはたしかに可能なものである。

●国家安全保障会議(NSC)は元々はこのような問題を解決し、国防政策を作成するプロセスにおいて秩序を適用することを意図して組織されたものだ。

●ところがこのような組織でも、目標に集中する政治リーダーたちと、軍事作戦に集中する軍のリーダーたちが、戦略を別々の二つの方向に引っ張って行こうとする現実に影響を受けてしまうのだ。

●今日われわれが知っている国家安全保障会議というのは、元来目指されていたものとはかなり異なるものである。

●ジェームス・フォレスタル(James Forrestal)の元々の狙いは、大統領が走り回って思いついた命令をその場で下すようなものではなく、主な省庁の考え方を体系的に考慮するようにするよう大統領に迫ることにあった。

●国家安全保障会議の主な狙いは、大統領に知らせるための戦略的な討議を行い、性質の異なる省庁の官僚や、国務省、国防省、統合参謀本部、そしてインテリジェンス界の専門家たちを集め、議論する場を提供することであった。

●NSCも自分たちでこのようなことを独自に行っているが、実際にはわれわれが思いつくような役割を果たしてはいない。この会議は実質的に四人のメンバー、つまり大統領、副大統領、国務省長官、そして国防省長官(それにCIAの長官と議長が法定アドバイザーとして加わる)によって構成されている。

●この会議は以前のような役割の重要性を失っており、多くの人々はNSCのことを会議ではなく、単なるスタッフであり、大統領にたいする国家安全保障のアシスタントだと考えているほとだ。

●このような状態は「国家安全保障法」(the National Security Act)が制定されてから十年ちょっとの間存在しただけだ。彼らはNSCを「大統領に制約を与える組織」ではなく、大統領が省庁にたいして自らの意志を強要するための出先機関、というイメージに変えてしまったのだ。
 
●時期によっては、省庁間の相違が激しくなったこともある。たとえばこれが最も明らかに出たのはリチャード・ニクソンの政権の時であり、大統領は国務省を無視してホワイトハウスに対外政策を実行させ、そのためにヘンリーキッシンジャーを使ったのだ。

●このようなトップからの強力な指示というのは、戦略の「線的なモデル」に確実に当てはまるものであり、ニクソン政権におけるビジョンはモスクワとのデタントや中国との関係改善という劇的なブレイクスルーを実現したのだが、これらは通常の政治のチャンネルを通じた駆け引きや推測ではここまで決定的かつ迅速には動かなかったはずだ。


●トップからの強力な指導は政軍間で深刻な緊張を生まなかったのだが、この理由は、大統領が外交を強力にコントロールしていたにも関わらず、軍に対してはそれほど強力な指令が出されなかったことにある。

●ホワイトハウスとメルヴィン・レアード国防省長官は、統合参謀本部と国防省にたいして大きな外交や予算の上限という制約があっただけで、行動の自由度は大きかったのだ。

●これはジョン・ケネディおよびリンドン・ジョンソン大統領がロバート・マクナマラ国防長官と共に、海軍や空軍があまりにもひどいと感じるほど軍事行動に口出しした、一九六〇年代の政軍間の摩擦の後のことである。

●一九六〇年代の民主党政権と一九七〇年代の共和党政権では、それぞれ階層的で連続的な、強いトップダウン型の政策システムが目指されていた。

●この両者の違いは、共和党政権のほうではホワイトハウスが軍事行動を政策の方向性とそれほど統合しようと思っていなかった点にあり、政策と軍隊の行う仕事を分担して離すことを許していたことだ。

●実際のところ、いくつかの例外を除けば、ニクソン政権における戦略面でのブレイクスルーは基本的に対外政策の分野のものであり、軍事行動は含まれていなかったのだ。
by masa_the_man | 2012-11-12 00:00 | 戦略学の論文 | Comments(1)

まえがき:その2

ところが広範囲にわたる文献を収集するうちに、私は全く同じテーマを扱っているのに異なる意見や正反対の結論を言っている著者たちの、対照的な様々な見方に途方にくれるようになった。このような文献についてどのように考えればいいのだろうか?

ところがコロンビア大学のバトラー図書館で座っている時に、私の頭の中で何かがひらめいた。今はかなり黄色くなってしまった紙切れに、私はその時に思いついた、国際関係を研究する際に使われている「分析の三つのレベル」を急いで書いたのだ。私はこのテーマについて何度も使われている議論をまとめて分類してくれる鍵を見つけたのであり、それを忘れないように自分の心の中にしっかりとどめておくことを誓った。

ヴァージニア州のフォート・リー基地に四ヶ月間滞在している間に、私は自分が書くことになる博士号論文のアウトラインを書いた。およそ一五ページの中で、私はユートピアから地政学、そして予測される人口爆発などのあらゆるトピックを扱っており、これらをすべて三つに分類したのである。

私はこのアウトラインをフォックス教授に送り、陸軍の休暇でニュージャージー州の北部にいた時に教授に会いにいった。私の提案書に対する教授のコメントは「いつか私が教えるコースに使えるかもしれない」というものだった。教授は博士号論文の概略を三・四ページほど書くよう提案してくれたので、私はさっそくそれを書いた。そして何週間もあとに韓国に派兵されていた私の元に、大学の幹部の教授たちは私が何を書こうとしているのかはよく理解できなかったが、とにかく博士号論文を書くことは許可してくれた、という内容の手紙が届いた。

一九五二年の秋に私はニューヨーク市に戻ったのだが、この時点ではいくら教える仕事に空きがあっても遅すぎた。ところが幸運なことに「戦争と平和研究所」の所長となっていたフォックス教授は、この研究所の助手として私を雇ってくれたのだ。

ここで私は自分の時間の半分を論文の執筆に費やし、あとの半分を歴史家のアルフレート・ファークツ(Alfred Vagts)の原稿をまとめる時間に充てた。研究所の机の上に置かれていた原稿は、その高さが二七センチほどあった。一九五四年の春に、私は博士号論文を書くことと、一年間の国際政治のコースを教えることを終了した。また、私はその夏の終わりまでにファークツの原稿を出版できるほどの分量まで編集し終えることができた。そしてその五年後に、私の博士号論文は本書である『人間、国家、そして戦争:ひとつの理論分析』として出版されたのだ。

これが本書の誕生秘話だ。これ以降のページに書かれていることは、この時の研究成果を反映したものである。

この論文を書いていた当初の私は、国際政治の成り行きの主な原因と想定されるものの位置を特定するために「分析のレベル」(level of analysis)という言葉を使っていた。ところが私の妻は、より正確で優雅な「イメージ」(image)という言葉を使うよう説得してくれた。なぜ正確なのかというと、「レベル」という言葉を使ってしまうと、レベルを選ぶ際に、単なる「どのようなものがテーマに当てはまりそうだろう?」というものや、「自分の想像には何が合いそうなのだろう?」という問題だ、という安易な考え方に陥ってしまいがちだからだ。

また「イメージ」というのは、国際政治のいくつかの問題においてはたしかに分析的な考え方が適切なのかもしれないが、その問題全般について理解しようとする場合には体系的なアプローチが必要とされることを思い起こさせてくれるのであり、まずサード・イメージの効果に注目させてから三つのすべての「レベル」を把握させてくれるのだ。
by masa_the_man | 2011-05-12 00:00 | 戦略学の論文 | Comments(0)

まえがき:その1

私が「戦争の原因についての理論における、人間、国家、そして国家システム」という名前の博士号論文を書いてから、ほぼ五十年が過ぎた。これだけの時間が過ぎた後に、この本の由来やその経過について思い出すことは楽しいものである。

一九五〇年に妻と私はコロンビア大学の大学院生であったが、この時の私は二つの大きな仕事、つまり、研究者としての人生の運命を決する二時間の口頭試験のための準備と、われわれの最初の子供の誕生を見届けるために陸軍への召還を遅らせることに直面していた。一九五一年の四月までに私は副専攻科目であった国際関係論のほうの準備を終え、残りの数週間を専攻科目であった政治理論の復習に当てようと計画していた。

ところがこの時、私の国際関係論の審査官となるはずだったナサニエル・ペッファー(Nathaniel Peffer)教授が体調を悪くして副専攻の生徒たちを審査する委員会に参加することができなくなってしまったのだ。そこで私はペッファー教授の代わりにウィリアム・フォックス(William T. R. Fox)教授にお願いして、ペッファー教授のやりかたに従ったまま、「国際法や国際機関などにはほとんど触れずに、主に「帝国主義」や「ヨーロッパ外交史」のような特定のトピックについて論じる」ということで了解を得た。

あらゆることを知っている学部の秘書であるエディス・ブラック(Edith Black)女史に電話を入れてそのようなことが可能であることを確認してから、フォックス教授は私に向って優しい声で「もし国際関係論で試験を行うというのであれば、細かいことを調べて特定のトピックに集中するよりも全体を見渡すようなものものがよい」という内容のことを言ってくれたのだ。

もし状況が違っていれば、私は秋まで試験を延期せざるをえなかったかも知れない。というのも、生徒たちの間では三分の二の人間が口頭試験で落第しているという噂があったからで、この計画変更は賢明な判断と言えたのだ。

ところが私は秋頃にまた陸軍に戻ることになった。学院生たちはフォックス教授が書いた『超大国』(The Superpowers)という時代を象徴することになった本の題名からとって、彼のことを「超大国フォックス」と呼んでいた。したがって妻と私は国際関係における「パワー」というとらえがたい概念について書かれた、ありとあらゆる本を集めはじめたのだ。
by masa_the_man | 2011-05-11 12:57 | 戦略学の論文 | Comments(1)
ではもし「処方の証明」という問題についての経験面での解決法がない場合には、他にどのような解決法を使えばいいのだろうか?

「処方」というのは、実は「分析」というものと論理的に切り離すことができないものだ。したがって、「世界全体の平和」を実現するためのあらゆる「処方」というのは、われわれの国際関係についての三つのイメージのうちの一つか、もしくはそれらの組み合わせたものと関係してくることになる。

各イメージの分析の仕方を理解できると、処方の許容/拒否について、さらに二つの可能性を加えることになる。

(1)誤った分析をもとにした処方は望ましい結果を生み出すことはない。「人間そのものを処方された方法で改善すれば、平和の推進につながる」という想定は、つまり「国際関係のファースト・イメージが正しい」というのは、さらに別の想定にのっとったものだ。そうなると、後者の想定は、前者の想定よりもまず先に検証されるべきことになる。

(2)「処方」というのは、その「分析」との論理的なつながりがなければ受け入れられない。たとえば扁桃腺炎にかかった人にいくら素晴らしい盲腸の手術を行っても意味はないのと同じで、もし国家間の暴力は人間のもつ悪い性質が原因で発生するならば、国内の改革をいくら行っても意味はないのだ。そして、もし国家間の暴力が国際的なアナーキーの産物であったとすれば、いくら個人を改革してもほとんど意味はないことになる。これは、ある人間の予想が、他の人間の処方を混乱させてしまうのと一緒だ。

もしこれらの「イメージ」の妥当性が証明されれば、「処方」と「イメージ」の間にある決定的なつながりのおかげで、その「処方」の妥当性を検証できることになる。ところが、そこにはこの事態をさらに複雑化させている要素がある。

われわれの三つのイメージ(そのうちのたった一つだけによるものではなく)の組み合わせは、国際関係の正確な理解のために必要となるのは確かであろう。おそらくわれわれは、患者の病気が扁桃腺炎と盲腸のどちらかだという風に、単純に判断できるような状況にはないのだ。なぜなら両方とも炎症を起こしているかも知れないし、またそのどちらか一方を取り除いてしまうと、患者の命は危険にさられてしまうからだ。

これをいいかえれば、一つの原因によると思われる結果を正しく理解できるかどうかというのは、実は他の原因との関係を理解できるかどうかにかかっている、ということだ。原因の相互関係(の可能性)というのは、さまざまな処方の効果の可能性を推測する難しさを、さらに難しくしてしまうものなのだ。 ではその効果を判断する基準は、一体何なのだろうか?

ここで

「“悪い”国家が戦争を起こし、“良い”国家は互いに仲良く平和に生きるものだ、したがってわれわれは、国家を処方されたパターンと一致(つまり良い国家に)させなければならない」

という議論を再び考えてみよう。これを正しく考えるためには、以下のような、いくつかの質問を考える必要がある。

(1)ここでの最終提案(国家を、処方されたパターンと一致させること)は、本当に実行できるものなのだろうか?もしできるとすれば、どのように行うのか?

(2)処方とイメージと間には論理的な一貫性はあるのか?これをいいかえれば、その処方は、その特定された原因に正しく対処しているのか?

(3)ここで使われている「イメージ」は本当に適切なものなのだろうか?もしくは、分析している人間がただ単に最も目立つ原因、もしくは最も操作されやすいものに目を奪われていて、それ以外の同等、もしくはそれよりも重要な原因を無視しているだけではないのだろうか?

(4)この処方を行おうとすれば、その他の目標にどのような影響を与えるだろうか?

この最後の質問は重要である。なぜなら、単なる「平和」というのは、最も平和主義的な人間や国家にとっても「唯一の目標」となるわけではないからだ。

たとえばある人は「世界政府」と「恒久平和」を全く同じものとして考えているかもしれないが、その一方で、「世界政府」は「世界独裁主義」につながるから、「恒久平和」の見込みのある世界政府よりも、「恒久的な戦争」の危険のある「国民国家システム」のほうがマシだ、と考える人も出てくるのだ。

われわれはここで提起されたような質問に対して答えなければならないのであり、このためにはまず各イメージを厳密に検証し、それからイメージの相互関係を考慮すべきであろう。

これを行うために、本書の第二章、第四章、第六章では、それぞれ「ファースト」、「セカンド」、そして「サード」という順番で、主に政治哲学の伝統に沿いながら、各イメージの基本的な分析を行っている。

第三章、第五章、第七章では、各イメージのさらなる説明や例証など行っている。そして第八章では各イメージの相互関係についての簡潔な議論を行っており、同時に本書の結論が述べられる。

(了)
by masa_the_man | 2011-03-10 00:00 | 戦略学の論文 | Comments(1)
コリングウッド(R. G. Collingwood)は、哲学者たちの著作の内容を理解する最もよい方法は、「彼らが答えようとしている疑問を見つけることだ」と提案している。

ここで暗示されているのは、国際政治の理論を検証する最も良い方法は、最も重要となる質問を打ち出し、それに対する可能な答えを見つけることだ」というものだ。もちろんこの「答え」を政治哲学に求めようとする人はいるはずだ。

では戦争の主要な原因はどこに見つけることができるのだろうか?その答えはさまざまであり、それぞれ混乱して矛盾に満ちたものばかりだ。

ところがこの答えは、大きくわければ三つの「見出し」の下にまとめることができる。つまり、「人間の中」、「各国家の構造の中」、そして「世界の国家システムの中」である。この区別の基本的な構造や、それが国際社会の動きとどのような関連性を持っているかという点に関しては、すでに本章で触れた通りだ。

本書では、これ以降からこれらの三つの原因の見積もりについては国際関係の「イメージ」(images)と呼ぶことにする。それぞれのイメージにはその順番ごとに番号が振られており、各イメージは、戦争の原因が存在する場所によって定義されている。

本章で議論されたことにすでに示されたのは、一つのイメージによって構成されている見方というのは、他のイメージのものと矛盾するように、その内部でも矛盾することがある、ということだ。

たとえば「人間というのはどうしようもなく悪いので、戦争は不可避である」という議論と、「人間を変えることができるから、戦争を終わらせることはできる」という議論が互いに矛盾していることはお分かりいただけるはずだ。ところがこの二つの議論では、「人間に原因がある」と考えられているわけであり、したがって両方とも「ファースト・イメージ」(the first image)に分類されることになるのだ。

同様に、「サード・イメージ」の分析では、それが世界政府の創設のような誤った楽観主義や、「権力政治」(Realpolitik)の立場のような、誤って定義されることの多い悲観主義に行きついてしまうことがある。

したがって、イメージごとの意見の違いだけでなく、各イメージの内にもさまざまな意見の違いがあり、またイメージごとの「処方」というのはそこで目指されている目標や分析の仕方に影響を受けるので、イメージごとの「唯一の処方」というものは存在しないことになる。

ところがイメージと目標の組み合わせかたによっては、「論理的」なもの、もしくは「非論理的」なものという風に、それぞれ違う処方が出てくることはここでしっかりと指摘しておくべきであろう。

もし予測された結果が出なかった場合、この彼の示した「処方」が間違っていると論じることもできる。しかしこの処方が本当に正しく実行されたのかどうかということまでは誰にもわからないのだ。

たとえばよく「国際連盟は失敗しなかった。なぜならそれは本当に実験されたわけではないからだ」ということが言われる。そして、このような議論は論破できないものだ。

しかし実際に経験的な反証を示すことが可能であったとしても、本当に効力のある処方が出せるかどうかという問題は残るのだ。これは十個の別々の薬を試した病人が、一体どの薬が本当に効いたのかわからないのと同じだ。どれが本当に効いたのかどうかを見極めるのは、責任のありかを非難することよりも難しいものだ。

ある歴史の研究でA国の経済が発展する前には必ず関税の税率が上がっていることがわかったとすると、見る人によっては高い関税が経済発展の原因となることが証明された、ということになる。ところが他の人から見れば、この二つの要因は三つ目の要因によるものであり、また他の人にとってはまったく関係がないことになる。

したがって、経験的アプローチというのはたしかに必要ではあるが、これだけで十分であるとは言いきれないのだ。つまり、ある二つの出来事の間に相関関係があったとしても、それは無意味であるか、少なくとも他の分析がなされないままに「何かを意味するものだ」と結論づけてはいけないということだ。
by masa_the_man | 2011-03-09 00:33 | 戦略学の論文 | Comments(2)
これについては、その答えを「仮説」として設定し、それを調査して経験的に検証すれば良い、という人もいるだろう。しかしこれは難しい。

第一次世界大戦当時のイギリスのもっともリベラルだった人々は、ウィルソン大統領と同じように、軍国主義的で専制主義的なドイツ国家の性格が、すぐに世界中に広がった戦争をドイツに起こさせたと言っている。

ところがその頃のリベラルの中には、ロウズ・ディッキンソン(G. Lowes Dickinson)に代表されるように、「どの国家も単独で有罪というわけではない」と論じていた人々もいた。彼らは、リーダーとなる国々が従来の道徳・倫理観をあまり考慮しないで行動することがある「国際システム」という存在(もしくはその欠如)を理解できた時にだけ、われわれは戦争が生み出されるプロセスを正しく検証して理解することができる、と論じたのだ。 ディッキンソンは、この当時の支配的だった内部構造から外部を説明するのとは正反対のことを言っていたために、リベラルと社会主義者たちに徹底的に批判されている。

このようなテーマについての説明の受け入れや拒否というのは、大抵は説明者の技量や、聴衆のムードによるところが大きい。もちろんこれらは明らかにそれを判断する基準とはならないのだが、それでも「データを細かく検証するだけで一つの説明理論を構築できる」と論じるのは愚行である。なぜなら、異なるグループというのは、全く同じデータを見ても全く別の結論を出すものであり、これは、彼らが心に抱いているイメージによって、データの選び方と解釈の仕方に違いが出てくるからだ。

リベラルたち仮説を理解するためには、われわれはなんとかして関連する可能性のある多くの要素の相互関係についてのアイディアを得なければならないのであり、しかもこのような相互関係というのは、われわれが分析するデータには始めから与えられているわけではないのだ。われわれは自分たち自身でそのような関係性を制定、もしくは主張しなければならないのだ。

しかし「制定」というのは、そもそも危険なことでもある。なぜならわれわれがそう名づけるかどうかに関係なく、われわれは哲学的な「前提」から逃れられないからだ。そうなると、われわれが心に抱いているアイディアは、データが通過するフィルターとなる。もしデータが慎重に選別されることになると、それらはチーズクロースを通過する牛乳のようになるのだ。

ところが扱いにくいデータの存在は、われわれが採用している理論を修正したり破棄したりするためにフィルターを変えさせることになるかも知れないし、「資本主義の発展と共に人民は貧困化する」という主張を救済しようとした多くのマルクス主義者が行ったように、さらなる巧妙なデータの選別や解釈を生み出すかも知れないのだ。

もし経験的研究がそれぞれ別々のやり方で行われたり、経験的手法を使う人がそれぞれ抱いているアイディアによって出てくる結果が違うとなれば、そのアイディア自体を検証できるかどうかを考えてみるのもよい。そしてこの手法というのは明らかに検証可能なものだ。

政治研究が他の社会研究と違うのは、「政府の機関」や「プロセス」(過程)というものに注目して研究している点だ。政治科学者たちはここに注目することによって、他の社会科学者たちのデータや技法の使い方に対して引け目を感じることがなくなるのだ。

国際関係の研究者にとっては手法の問題はそれほど難しくない。ところがデータの点については大きな問題がある。なぜなら国際関係には本物の政治機関というものが存在しないために、その分析がかなり違ってくるからだ。

ところが国際関係の研究者たちにとって、国内政治に注目する伝統的な政治哲学にも関連性があるという点には極めて大きな意味がある。最近では「平和というのは二十世紀の問題である」と言われることが多い。しかしそれは同時に政治哲学者たちも長年取り組んできた問題なのだ。

比較的落ち着いている時代に人間が考えそうな質問というのは、「正義と自由のない人生というのはそもそも生きる価値があるのだろうか?」というものだ。たしかに奴隷として生きるよりは死んだほうがましかも知れない。しかし国内政治が乱れていたり、飢餓や内戦、そして安全が確保できないような時代になると、多くの人々は「安全な状態を十分に確立・維持できるような権力がない場合、自由に一体どんな価値があるのだろう?」と考えるようになるはずだ。

聖アウグスティヌスやルター、マキャベリ、ボディン(Bodin)、そしてホッブスたちは、このような状態では「正義」や「自由」よりも、まず生きることが先となることを「自明の理」であると考えている。

もし独裁政治の反対が混乱であり、混乱が「万人の万人に対する戦争状態」を意味するのであれば、あえて独裁政治も甘んじて受けようというのも理解できる。そもそも秩序がなければ、そこから得られる自由の喜びもないのだ。

人間を苦しめる、国際関係の研究者を悩ます問題としての「平和に必要な条件を見分けて、平和を達成する難しさ」というのは、とくに危機の時代においては政治哲学者たちを悩ますことになるのだ。
by masa_the_man | 2011-03-08 02:42 | 戦略学の論文 | Comments(2)
ルソーの考えに従うと、一つの疑問が出てくる。人間は国家の中で生きているわけであるが、国家というのは世界の国々の間に存在するものだ。

ではもしわれわれが「なぜ戦争は起こるのか」という疑問を考えようとした場合、われわれは社会・経済的なことと同時に、政治的な形態を含む「国家」の役割を強調すれば良いのだろうか?それとも「国家社会」と呼ばれるものに集中するべきなのだろうか?

ここで再び「もしくは」(または「その両方」)という言葉が登場する可能性があるが、多くの人は大抵の場合、前者か後者かのどちらか一方だけ強調するのであり、そのために彼らの答えは互いに矛盾したものになりやすいのだ。

前者を強調する人は、実質的にミルトンと同じ方向を向いていると言える。彼は「世界の害悪は、人間の中にひそむ悪にある」と説明したのであり、彼と同じのような説明の仕方をする人々も、「戦争の害悪はいくつかの国家、もしくはすべての国家がもっている悪の性質のせいだ」と言う。このような分析では、国家指導者たちに注目が集まることが多く、もし悪い国家が戦争を起こすのだとすると、よい国家同士は平和に共存できることになる。

それぞれその方法は違うが、このようなものの見方はプラトンやカント、そして十九世紀の自由主義者(リベラル)たちや、修正主義的な社会主義者たちの間に見られるものである。彼らは基本的にこの原則に合意しながらも、何が「良い国家」なのかという点や、そのような国家はなぜ出来上がるのかという点については、意見を異にするのだ。

マルクス主義者たちの考えは自由主義者(リベラル)たちの世界観に影響を与えたが、そもそもこれを完全に否定する者もいる。

ルソー自身は、戦争の主な原因を「人間」や「国家」ではなく、国家というシステムそのものの中に見ている。彼は自然状態の中にいる人間について、「人間というのは、他人が危害を加えてこないという確証がなければまともな行動を始めることができない」と指摘している。

ルソーはこの「アナーキーという状態の中に存在する国家」という考えを、「戦争状態論」という断片的な論文と、アベ・ド・サンピエール(Abbé de Saint-Pierre)の著作集についての批評文の中で発展させて使っている。

ある国家がいくら平和を願っていても、自分にとって有利な時に攻撃しておかないと、後で相手が有利になっている時に攻撃される可能性がある場合には、予防戦争を始めることを検討しなければならなくなることもある。このような考え方は、国際関係や世界連邦計画などに対するバランス・オブ・パワー(勢力均衡)を使ったアプローチの多くの分析法の基礎を成している。

これはトゥキディデス(Thucydides)やアレクサンダー・ハミルトン(Alexander Hamilton)の著作では潜在的なものだったが、マキャベリやホッブス(Thomas Hobbes)、そしてルソーなどの著作では明確に現れてきており、一時は国家の行動についての一般的な説明となり、国家の内部構造を見てから対外的な行動を説明しようとする人々に対する、決定的な反証となったのだ。

また一方で「国家を改善すれば平和は実現する」と考える人もいたが、その反対に「国家の将来を占うには、他国との関係をみるべきだ」と主張する人もいた。

後者のような主張は、レオポルド・ランケ(Leopold Ranke)がヨーロッパ諸国の近代史から導き出したものであり、またはそれに対して応用したものだ。そしてこのような考え方は、ヨーロッパ以外の国々の国内構造を説明するためにも使われている

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※上記の文の原著に興味をお持ちになった編集者の方は、本ブログ主の方までご連絡下さい。
by masa_the_man | 2011-03-05 01:54 | 戦略学の論文 | Comments(7)
ミルトンは「社会的・政治的な出来事を理解するためには、まず人間から見なければならない」と主張している。もちろんその人間の「本質」、もしくは「人間がどのようになれるのか」という点については異なる見解を持つ人はいるが、このようなミルトンの意見に同意する人はたしかに多い。ところがこの大きな前提にたいして、実際には異論を唱える人も多いのだ。

人間というのは、社会を自分たちの描いたイメージでつくるものなのだろうか?それとも、社会が人間をつくるのだろうか?

哲学が神学の一端にしかすぎなかった時代の神学者/哲学者たちは、それ以前やそれ以降の多くの哲学者たちが「政治体自身の効果」と言っていたものを、「人間自身の中にある」と論じることが普通であった。

ところがルソーは、社会における(社会的な動物としての)人間の行動は「動物的な情熱」や「人間の理性」などによって説明できるという見方とは全く異なる立場をとる人々のうちの一人だ。彼によれば、人間は、善悪のない自然な状態で生まれることになる。そしてその人間を堕落させるのは、「社会」そのものなのだが、同時にそれは、人間に道徳を与えるものでもあるのだ。そして(たとえ人間が「自然状態」に帰れる可能性があったとしても)ルソーが認めたがらなかったのは、この後者の考え方なのだ。

たしかに彼が「野蛮な高潔さ」のほうを信じており、社会の登場というものを嘆いていたという誤解はなかなか消えないが、実際に彼のさまざまな著作で表されている考え方は、まさに上記のようなものなのだ。

ルソーによれば、人間の本質(これを本当の原因として見る人もいるが)に備わっている行動というのは、その大部分は、人間が生きる「社会」によってできる産物であることになる。そして彼は、「社会」というものは政治組織から切り離せないものである、と主張している。そしてその「社会」に少なくとも裁定をできるような権威を構成する組織力が欠如すると、人間がわずかながらの平和を共有しながら生きるのさえも不可能になるのだ。よって、「社会の研究」は」政府の研究」、そして「人間の研究」などから個別に切り離せなくなってくるのだ。

ルソーはプラトンと同じように、「悪い政治体は人間を悪化させ、善い政治体は人間を善くする」と考えた。ところがこれは国家が陶器職人で、人間がこれから形をつくられることになる粘土の固まりである、という意味ではない。

ルソーも認めているように、人間には住む場所に関係なく、共通したところがあるのだ。それと同時に違いもあるわけで、この原因の探求は、これらの違いを説明しようとする試みなのだ。

その結果の説明——それが「盗み」か「戦争の再発」かにかかわらず——は、人間のさまざま社会的関係の分析の中にあることがわかるのであり、そして実質的にこれには「政治の研究」が必要になってくることを差すのだ。

社会の中の人間というものは、「人間」と「社会」のどちらを研究すれば、最もよく理解できるものなのだろうか?

これについて最も納得できる答えは、どうやら「そのどちらか」と「両方とも」という驚くべき答えにあるようだ。しかしその説明を始めたとたんに、答える人の考え方の違いが出てくることになる。

トマス・マルサス牧師(the Reverend Thomas Malthus)は、「人間のつくった組織というのは、人類のほとんどの災いの原因として明らかに突出した存在であるかも知れないが、実際のところ、それらは軽い見せかけのものであり、人間の行為の底に潜む動因を堕落させ、人間の生活全体の流れを淀ませる不純な原因の数々に比べれば、水面に浮かぶ単なる羽毛のようなものだ」と書いたことがある。

ルソーはマルサスと同じ世界、同じ範囲の出来事を見ていたのだが、主な原因の場所を、別の領域に見つけていたのだ。

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※上記の文の原著に興味をお持ちになった編集者の方は、本ブログ主の方までご連絡下さい。
by masa_the_man | 2011-03-04 02:29 | 戦略学の論文 | Comments(17)
ボルテール(Voltaire)の物語に出てくる無邪気なヒューロン(Huron)は、「神が全知全能であるならば、なぜこの世に悪が存在するのでしょうか?」という質問をして、教会にいた博学な人々を困らせている。

弁神論は神学上の問題だが、その非宗教的なもの——人間の悪の存在に関する説明——も非常に魅力的なものであると同時に、混乱を呼ぶものだ。病気や伝染病、偏見による憎悪や、レイプ、盗みや殺人、略奪や戦争というのは、世界史の中に常に存在しているものだ。

ではなぜこれらは存在するのだろうか?戦争と憎悪を、同じやりかたで説明することができる人はいるのだろうか?戦争というのはただ単に「大衆的な憎悪」であり、したがって憎悪についての説明が、社会の犠牲者である人間の「悪」として説明できることになるのだろうか?多くの人間はたしかにそのように考えてきた。

「 神の恩恵によって、外からわれわれに対して災いとなりうるすべてのものからわれわれが自由であることが許されたとしても、われわれ自身のひねくれた愚かさは、新たな不幸の種や火花を、まるで火打石からたたき出すように、われわれの心の中からわれわれの身に向けてたたき出すことを一向にやめず、やがてすべてが一面の火の海となってしまうのであります。」 (ミルトン著「離婚の教理と規律」より)

つまり、われわれの悲劇というのは、われわれ人間自身の本質から生まれるものなのだ。全ての悪の根源は人間にあるのであり、人間そのものが、「戦争」という悪の原因となるのだ。

この原因についての見積もりというのは、まるで何かの信仰のように、かなり広範囲にわたって信じられているものであり、世界に大きな影響を及ぼしてきた。これは聖アウグスティヌスやマルティン・ルター(Martin Luther)、そしてトマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus)やジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)、そしてイング司祭(William Ralph Inge)や、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)も確信してきたことなのだ。

理性と情熱が混在し、しかも情熱が繰り返し勝利してきた存在として人間を定義してきた非宗教的な見方からすれば、この考え方はスピノザの(政治)哲学の背景にあるものだ。これについては、綿密で厳格なスピノザの著作のように、自国の人間について低い評価をしていたオットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)の行動にも影響を与えた、と論じることもできるかも知れない。

もしある人の持つ「信条」が、彼の「期待」を条件づけることになり、しかもこの「期待」が、彼の「行動」を条件づけるのであれば、ミルトンの言葉を受け入れるかどうかというのは、人類全体の活動にも重要な問題になってくる。

そして当然ながら、誰もミルトンを信じなくても、実際のところは彼のほうが正しいのかも知れないのだ。もしそうならば、戦争の再発というものを、たとえば経済的な要因によって説明するのは面白いゲームのようなものかも知れないが、そのゲーム自体にはあまり意味がないことになってしまう可能性がある。

もしスイフト司教が言ったように「売春婦に振られた男がその女の住む家の窓を嫌がらせのためにたたき壊すという行動に駆り立てる原理は、偉大な皇太子が強力な軍隊を組織し、敵を包囲し、戦い、そして勝利することを夢見させる原理と同じである」というのが正しいのだとすれば、その皇太子が戦争を行うために使った理由づけというは、「彼らが自分でも気付かない動機」や、「気付いていても正直には言えないような動機」などを隠すための、単なる正当化にしか過ぎないことになってしまう。

そうなると、世界全体の平和を実現しようと本気で考えていたかも知れないシュリー公(Maximilien de Béthune)の計画は、戦争以外にも人類に幾多もの害悪をもたらしてきた「プライド」や「いらだち」というものを根本から改善できない限りは、フランスの僧侶クルセ(Émeric Crucé)の描いていた夢と同じくらいに、無価値なものになってしまうのだ。

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※上記の文の原著に興味をお持ちになった編集者の方は、本ブログ主の方までご連絡下さい。
by masa_the_man | 2011-03-02 00:23 | 戦略学の論文 | Comments(10)
どちらが戦争に勝ったのかを尋ねるのは、まるでサンフランシスコの大地震で誰が勝ったのかを尋ねているのと似ている、ということを私は誰かから聞いたことがある。たしかに「戦争に勝者はなく、その負け方の度合いがそれぞれ違うだけだ」という言葉は、二十世紀になってから段々と認められるようになった主張である。しかし戦争というのは、そもそも地震のように制御できない、もしくは決して無くなることのない、自然現象のようなものなのだろうか?

以下の意見に同意する人は少ないかも知れないが、それでもあえて言わせてもらえば、戦争を無くそうとする試みは(高貴な動機や熱心な追求があったにもかかわらず)、いままで国家間に「束の間の平和」以上のものをもたらすことはなかったのだ。つまりそこにかける努力とその成果や、それに対する欲求と結果の間には、明らかな不均衡があるのだ。

われわれはロシア人たちの間でも平和への願いは強いということを聞くし、これと同じことがアメリカ人にも言えることを信じて疑わない。このようなことを聞くとやや安心できるが、それでも過去の歴史や現在の出来事を見てみると、この願いが「望ましい状況」を作り上げることになるとはとても思えない。

社会科学者というのは、現在の状況がいかに過去と深くつながっていて、しかもどれほどシステムの部分同士が相互依存しあっているかを知っているために、「劇的に良い世界を実現する可能性」については保守的な予測をしがちである。よって、「過去に戦争が起こった場所にこれから平和をもたらすことができるかどうか」という質問に対する答えとしては、どうしても悲観的なものが多くなるのだ。

もしかすると、これは質問そのものが間違っているのかも知れない。なぜなら以下のように質問を変えてみると、答えはそれほど落胆的なものではなくなるからだ。つまり「戦争の発生を減少させ、平和のチャンスを増やす方法は存在するだろうか?」「われわれは未来において、過去よりも平和な状態をもっと増やすことができるのだろうか?」という質問である。

平和というのは考慮すべき数ある目的のうちの一つである。そして平和を追求するための手段は、実際のところ多くあるのだ。平和という目的は追求されるのだが、そのための手段はさまざまな条件の中で使用されるのだ。平和を実現するための手段の中には、まだ国家指導者たちが試したことがなく、評論家にも提言されていないものがある、という事実は、われわれにはにわかには信じがたいものかも知れない。しかしこの問題はあまりにもむずかしいために、逆に「その目的に近づけるようなさまざまな手段の組み合わせがまだたくさん残っている」という可能性を示しているとも言えるのだ。

ではこれは、「国家指導者はその時々の状況にあわせて、次々と政策を試していけばいい」ということになるのだろうか?この疑問に「イエス」と答える人は、分析から切り離された「政策」や、思考とは無関係の「行動」を改善すればいい、と考えていることになる。しかし状況を改善しようとするならば、まずはその状況を作った原因について、ある程度の知識を持っていなければならない。つまり、たしかな平和を実現する方法を説明するためには、まずは戦争の原因についての理解が必要となってくる、ということだ。


本書でこれから追求していくのは、このような戦争の原因について理解である。モーティマ・アドラー(Mortimer Adler)の著書のタイトルを借りれば、われわれのテーマは「戦争と平和をどのように考えればいいのか」(“How to Think about War and Peace” )であり、これ以降の章は、実質的に「政治理論についての論文」という形をとることになる。

本書がなぜこのようなスタイルで書かれたのかと言えば、その理由の一つは、その研究のやり方——前提を検証し、それらがどのような違いを生むのかを繰り返し問いかけること——にあり、またもう一つの理由としては、本書では直接または間接的に多くの政治哲学者たち——聖アウグスティヌス(St., Augustine)、マキャベリ(Machiavelli)、スピノザ(Spinoza)、そしてカント(Kant)、またルソー(Rousseau)にはかなりの紙面を割いて——の考え方を考慮しているからだ。

その他にも、本書では行動科学者、リベラル主義者、そして社会主義者たちの考え方に注目している。しかし彼らの多くは遠い過去に生きていたわけであり、そのような人々の考えが現在のわれわれが直面している、差し迫った困難な問題に対してどのような関連性を持っているというのだろうか?

本書はこの疑問に対する一つの答えとして書かれているのだが、まずここからこのような方向で議論を始めてみたい。

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by masa_the_man | 2011-03-01 00:31 | 戦略学の論文 | Comments(2)