戦略研究の解説論文:その2 |
▼現代の戦略思想の根底にあるいくつかの前提
しかし、このような解釈や強調点の違いや、特定の戦略問題についての深刻な意見の相違にもかかわらず、欧米諸国における現代の戦略家の大半は、重要な意味で同じ知的伝統に属していると言ってよい。彼らの頭脳は同じ波長に合わせて調整されており、国際政治生活の本質と、政治的軍事問題の処理に適した推論の種類に関する前提を共有している。そのため、戦略家同士は意見が食い違うことはあっても、誤解しあうことはほとんどない。
現代の戦略思想のかなりの部分を支えている前提が明文化されることは稀であり、実際に戦略分析に携わっている人たちでさえ理解していないかもしれない。どのようなテーマであれ、その哲学的裏付けを明らかにし、整理するのは大変な努力が必要であり、この骨の折れる作業の唯一の結果は、それを行う人々の知的自信を損なうことであることが多い。とはいえ、議論というものが、その土台となる前提があってこそ強固なものとなるように、戦略的分析というものも、その土台となる前提があってこそ健全なものとなる。したがって、知的誠実さと心の平穏のために、真摯な研究者たちは、戦略ドクトリンという洗練された大建築が戦後を通じて労を惜しまず築き上げられた主要な前提のいくつかを、疑問視はしないまでも、明確にしておかなければならない。
<リアリズム>
現代の戦略の根底にある最も広範な前提は、おそらく「リアリズム」として知られる政治行動理論に関連するものであろう。この哲学的伝統は、1920年代から1930年代にかけての観念論に対する反動であり、第二次世界大戦後、国際関係の文献を支配してきた。
自称リアリストの中にも重要な相違点があるため、国際政治における「リアリズム」と通常結び付けられる考え方や態度を要約することは不可能である。だがリアリストたちの立場の一般的な特徴は明快だ。それは「国際社会で最善とされるものが維持されるのに十分なほど緩やかな進化的変化を美徳とし、国際関係を改善するために何ができるのか、何をなすべきかを慎重に見極める」というものだ。リアリストは、独立した主権国家に細分化された世界が、国際社会の「恒久的な状態」ではないにせよ「通常の状態である」と受け入れる傾向があり、権力政治を「国際環境の避けられない特徴である」と考える。彼らは、恒久的な平和の可能性については懐疑的であり、革命的な変革の壮大な計画には否定的である。「世界政府」や、一般的かつ包括的な「軍縮」、そして「集団安全保障」のようなアイデアについては、慎重に吟味され、おそらくは世界の病理に対する解決策としては非現実的で望ましくないものとして拒絶する。平和と国際安全保障への貢献という点では、国際連合やその補助機関の活動でさえ彼らには懐疑的な目で見られることになる。
リアリストたちは「国際関係における必然的な進歩」という19世紀的な考えに幻滅しているが、それでも進歩の方向を確信をもって指し示すことはできない。多くのリアリストたちは、以下のM.オークショットの次の言葉に共感するはずだ。
政治活動において、人は果てしなく底なしの海を航海しているようなものだ。避難港も停泊所もなく、出発地も目的地もない。そこでの任務とは、平常心で浮き続けることだけにある。海は敵でもあり味方でもある。シーマンシップとは、あらゆる敵対的な機会を味方につけるために、伝統的な行動様式という資源を利用することにある14。
リアリストたちが国家の行動に最小限の期待しか抱かない主な理由は、おそらく人間本性と国際社会についての彼らの概念にある。人間は本質的に破壊的で、利己的で、競争的で、攻撃的であり、国際システムは紛争に引き裂かれ、不確実性と無秩序に満ちていると考えられている。
リアリズム学派の創始者であり、その最も優れた代表者の一人であるR・ニーバーは、人間の「高慢さ」、「エゴイズム」、「権力への意志」、「野蛮な遺伝」、そしてもちろん「原罪」について述べている15。ハーバート・バターフィールドの言葉を借りれば、「人類の大きな争いの背後には、物語の核心にある恐ろしい人間的苦境」があるという16。ジョージ・ケナンもまた、政治家たちを「自分たちでは作りようも修復もできない悲劇の俳優」と見なしている17。
リアリストたちはすぐに国際法の限界を指摘し、難解な国際システムに働く崩壊的で無秩序な影響を強調する。ホッブズがリアリストたちのお気に入りの哲学者の一人であることは驚くべきことではない。なぜなら、ホッブズの「自然状態」(state of nature)の概念は、彼らの国際社会の概念に似ており、人間本性についても似たような見解を共有しているからだ。ホッブズは、人間の状態を「死によってのみ止む、権力をめぐる落ち着きのない闘争」と表現した18。リアリストもまた、権力闘争の普遍性を強調しており、彼らの文献は国家権力と利害の概念に支配されている。紛争は国際生活の不可避な条件とみなされている。この単純な仮定が、リアリズムの出発点である。「調和」や「協力」のような世界は、リアリストたちの口からは容易には出てこないし、国際政治について道徳的に語ることもあまりない。
要するに、リアリストたちは人間の理性を過信する人々や、世界をありのままに認識することを拒み、あるべき世界について敬虔な決まり文句で語る理想主義者たちを「例外」とするのである。ある作家の言葉を借りれば、「リアリズムとは、政治における道徳と理性の限界を明確に認識することであり、政治的現実は権力の現実であり、権力には権力で対抗しなければならないという事実を受け入れることであり、私利私欲は、すべての集団と国家の行動における主要な基準」なのだ19。
リアリストを擁護するためには、彼らが描写する厳しく冷酷な世界を彼ら自身が肯定しているわけではないことを認めなければならない。政治的リアリズムの創始者の一人であるハンス・モーゲンソーの言葉を借りれば、世界は「合理的な観点からは不完全であるが、人間本性に内在する力の結果」である。世界を改善するためには、この力に逆らわず、この力とともに働かなければならないというのだ20。しかし、リアリストたちの文章に悲観主義、さらには冷笑主義が見出せるとは指摘できるかもしれない。そしておそらく冷静な観察者であっても、そこに人類の苦境に対する静かな満足感が見出せるとも言えよう。
リアリストの思想のほとんどは、意識的にせよ無意識的にせよ、現代の戦略思想家に吸収されてきた。実際、第二次世界大戦後に政治的な形成期を迎えた人々にとって、この強力な学派の影響から逃れることは不可能であった。その影響力が広まった理由の一つは、冷戦時代の国際政治の厳しい雰囲気と気質に合っていたからであることは間違いない。1950年代後半から1960年代前半にかけて、現代の戦略思想の基礎を築いたアメリカの戦略家たちは、リアリズムが正統である環境の中で活動し、ほとんど例外なくその教訓を飲み込んでいた。たとえば、政策決定者にとっての現実的な目標としての一般的かつ包括的な軍縮の終焉と軍備管理の台頭を、理想主義の死とリアリズムの台頭と結びつけることは十分に可能である。リアリズムが背景にあったために、「平和と安全は人間が戦う武器を削減または廃絶することによって達成されるのが最善である」という理想主義的な考え方は、奇妙なほど時代遅れで非現実的な響きをもっていたのだ。軍備管理(arms control)、つまり兵器政策の成功裏の管理は、平和への野心的な展望には欠けるものの、より現実的な展望をもたらすように思われた。戦間期に開発され、フィリップ・ノエル・ベーカー氏の著作に代表される「軍縮」という概念21は、現在ではほとんど死語になってしまったと言ってよい。
結局のところ、非常に洗練された深遠な知的立場であったにもかかわらず、一部の戦略家は最も粗野な権力政治的原理しか吸収していなかったと言えるかもしれない。リアリストたちが皮肉屋であることはめったになく、彼らの考えは常に「人間本性」に対する真の関心と、本物の知的謙虚さによって和らげられたものであった。例えば、ニーバーもモーゲンソーも、人間のあり方について苦悩し、キリスト教的慈愛に深く根ざした考えによって彼らの文章は和らげられていた。しかし、リアリズムの生々しい側面を吸収した人々の中には、この運動が強調したバランス、賢明な利己心、共感やビジョンを、拒否したり理解できなかった者たちもいた。1960年代に行われたインタビューで、ハンス・モーゲンソーは次のようにコメントしている。「たしかにリアリズムは、武力行使に尻込みしていたリベラル派に武力行使を容認させる上で、抑止力の基礎を築くのに役立った。しかし、リアリズムの考え方が軍部に引き継がれたことは間違いない。私自身の考えは、この文脈の中で、実際よりも難しく見えるようにされたのだ」22。
深遠かつ人道的な知的立場を選択的かつ単純化したものを受け入れたことで、一部の戦略作家は、力の美点だけでなく軍事力の美点だけを称揚するようになり、ソ連の意図と能力についてほとんどパラノイア的な解釈を展開するようになった。ストラウス・ヒューペ氏やその同僚であるW・A・キンター氏のような「冷戦戦士」たちの影響力のある著作は、この種の歪んだシニカルなリアリズムを代表するものであり、いわゆる「前進戦略研究派」の趣を理解するために、学生たちは『アメリカの前進戦略』や『核時代のアメリカ戦略』23を読んでみるのも良いかもしれない。どちらも、ソ連の行動に関するかなり身の毛もよだつような「タカ派的」な分析が前提となっており、ロシアに対して非常に厳しい政策を推奨している。
<道徳的中立性>
リアリズムの著作は、国家がどのように振る舞うべきかについて道徳的に論じることにあまり関心を持たなかったが、その支持者の多くは道徳的な問題に敏感であり、中には鋭くそう考える者もいた。同様に、現代の戦略家たちの多くは、戦略政策の道徳的側面に優先順位を割り当てることに失敗しており、その結果、現代の戦略的文章の多くには道徳的中立の空気が漂っている。戦略家たちが現代の戦争を分析し、何百万人もの死者を出しかねない非常に破壊的で危険な政策を立案する際の、臨床的で冷静で感情的でないやり方は、善良な一般の人々を憤慨させ、軍事的暴力についてこれほど客観的に考察する人々は、人間的感情が欠如しているに違いなく、彼らが思い描く悲惨な状況を実際に承認しているに違いないと感じざるを得ない。これは理解できる反応ではあるが、「あるテーマについて研究することは、決してそのテーマを承認することを意味するものではない」という点は強調しておきたい。
医師が悪性腫瘍を研究するとき、彼らが癌を支持しているとは誰も思わないが、政治学者が戦争を研究するときは、彼らが戦争を支持していると思われることがあまりにも多いのは不思議な事実だ。ヘドリー・ブルは、この分野の多くの作家を代表して「戦争は、現在の私には悪のように見える。組織化された暴力そのものも、それを脅し、それに備える習慣や態度も、醜悪で異質なものだ」と述べている。フィリップ・グリーンは何年にもわたって、抑止力論者のほとんどが「道徳的な問題を完全に回避し、あるいは誤って表現することに甚だしく罪悪感を抱いている」と主張している一人だ25。
私は、戦略家たちを「道徳的な問題に十分な注意を払っていない」と批判する人々は的外れであると考えている。確かに、現代の戦略思想は、戦略的政策が提起する道徳的問題には目を向けていない。しかし、これは戦略家たちが道徳的な問題を重要視していないからではない。実際のところ、「戦略家という階級は、欧米の他の知的教養人と比べて、道徳的な問題への感受性が低いわけでも、高いわけでもない」というヘドリー・ブルの評価に異を唱えるのは難しい26。もし彼らが道徳的な問題をその主題の周辺に追いやるとすれば、それは彼らの関心が他のところに集中しているか、あるいは彼らの知的訓練がそれに関わる甚大な道徳的問題に対処したり、考慮したりするのに適していない可能性があることを認識しているからである。
戦略について書いてきた人々のほとんどは、「軍事力の道徳的側面」が極めて重要なテーマであることを容易に認めており、神学者や哲学者、政治学者がこのテーマに関心を向けることを喜んでいる。しかし、このテーマは戦略研究とはまったく別の専門知識を必要とするものであり、前者の専門家たちの能力不足を非難するのは不当である。まともな神経の持ち主なら、パンを作れないからといって肉屋を責めたりしない。また、自分でパンを焼かないからといって、故意にパンの重要性を過小評価していると非難する人もいない。
クラウス・クノールがハーマン・カーンの著書『熱核戦争について』を紹介する際に「この本は軍事問題の道徳的側面についての本ではない」と書いたのはまったく正しい27。したがって、『サイエンティフィック・アメリカン』誌のJ.R.ニューマンが「この本は、大量殺人、それを犯す方法、それを逃れる方法、それを正当化する方法についての道徳的な書物である」と道徳的な用語で表現で批判したのは、いささか不当であった28。ニューマン氏が見逃していたのは、戦略分析は哲学と同様に「世界をありのままに見る」という点である。「戦略的思考」として知られるゲームのルールを説明することは、そのゲームの味方をすることではない。これはちょうど、ゴルフのルールを説明することが実際にラウンドをプレーすることを意味しないのと同じだ。
もちろん、戦略研究が道徳的な問題に焦点を当てなかったり、また「当てるべきでない」と主張することは、戦略ドクトリンに暗黙の倫理的スタンスが存在しないと主張することにはならない。なぜなら実際にそのようなスタンスは存在するからだ。たとえばフィリップ・グリーンは、抑止論に潜む道徳面の前提を暴くために多くのことを書いてきた人物だ29。彼によれば、核抑止の論者たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、雇い主や顧客の持つ倫理的価値観に忠実であるという。単刀直入に言えば、彼らはある状況下では罪のない人を殺すことが正当化されると想定しているということだ。だがそれは道徳的に高潔な姿勢であるかどうかは別として、明らかに一つの道徳的な姿勢であることには変わりない。
ほとんどの戦略的政策の背後には、戦闘員と非戦闘員の両方を傷つけたり殺したりすることが正しいかどうか、またどのような状況において正しいかという問題についての道徳的なスタンスが存在している。そして、ある状況において戦略アナリストが戦争の危険を冒す用意があるとすれば、それは彼らが道徳的配慮に鈍感だからではなく、彼らにとってその道徳的価値があまりにも重要であるため、それを守るために戦争という危険さえ冒す必要があるからだ。
最後となる続きはまた明日。
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