今日の横浜駅付近はよく晴れて気温は低めでしたが、風が強めなのが気になりました。
さて、ウクライナ危機がいよいよロシアによる全面侵攻となりましたが、私が翻訳した『
戦争の未来』の著者で、イギリスの戦争学の権威であるフリードマン教授が、今回の侵攻がはじまって翌日に以下のブログの記事を書いておりました。実に参考になりますので試訳を。
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by ローレンス・フリードマン
ウクライナのニュースを見ていると、何が起きているのか、どこに向かっているのか、よくわからない。情報には事欠かないが、その多くはソーシャルメディアのアカウントからで、そのすべてが信用できるわけではないし、またその性質から全体像を把握することはできない。デジタル時代といえども「戦争の霧」が晴れることはない。 しかし、いくつかの予備的な結論を出すには十分な情報がある。
ロシア軍は優勢であったにもかかわらず、戦術的な奇襲と圧倒的な数の可能性という利点があった開戦初日には、予想されたほどの進展はなかった。最初の攻撃は広く期待されていたようなエネルギーと推進力には欠けていた。ウクライナ人は気迫に満ちた抵抗を見せ、侵略者に犠牲を強いた。しかし今日の情勢はさらに暗くなる可能性があり、将来はもっと厳しく辛い日々になるだろう。しかし「プーチンは勝ち目のない戦争を始めたのだろうか」と問うのはもっともなことである。ロシア軍は最終的に勝利するかもしれないが、戦争の初日は、常にありそうなこと、つまり今後どのような軍事的勝利を収めようとも、プーチンにとって政治的に勝つことが並々ならぬ困難な戦争になることを確認させたのだ。
自信満々で始めた戦争が悪い方向に向かう主な理由の一つは、敵の過小評価である。早期勝利の予測につながる楽観的なバイアスのようなものは、危険なにおいがしたらすぐに降伏するような、退廃的で知恵のない相手という想定に依存しているのである。月曜日のプーチンの狂気に満ちた演説とその後の発言、そして彼の臣下たちの発言は、彼が好む戦争の根拠だけでなく、彼がなぜ勝てると考えているのかを理解するのに役立っている。プーチンが一貫して主張してきたように、ウクライナは非国家であり、人為的に作られたもので、政府は非合法でナチスに支配されているとすれば、普通のウクライナ人がそのような国のために一生懸命戦うことはない、と彼が考えていたとしてもおかしくはないだろう。国連担当のロシア大使が示唆したように、彼らはロシア軍を解放者として迎えるかもしれないのだ。
敵の戦力を過小評価すると、自国の戦力を過大評価することになりかねない。プーチンはたしかに戦争で大きな成果を上げている。2000年、第二次チェチェン紛争を利用して大統領に就任し、指導者としての資質を証明した。2008年にはグルジアを血祭りに上げ、NATOへの加盟を思いとどまらせ、ロシアがすでに設立していた分離主義者の飛び地を消滅させた。2014年にはウクライナからクリミアを奪取し、最近ではシリア内戦でアサドを支援することに成功した。
しかし、彼の最近の軍事行動は本格的に地上軍を展開するものではなかった。ウクライナでは、クリミア併合を含む作戦はドンバス地方の分離主義者が集めた民兵と一緒に、主に特殊部隊によって実行された。2014年夏、分離主義者が敗北しそうになったとき、プーチンは正規軍を送り込み、準備不足でまだ素人同然だったウクライナの部隊を撃退したのである。シリアでは、ロシアは航空戦力を提供したが、歩兵は提供しなかった。
そのため、大規模な地上作戦の経験は限られている。このことが、潜在的な敵の限界に対する傲慢さと結びついたとき、今回の作戦のスタートが確実なものでなかった一因となった可能性がある。その最たる例が、キエフ近郊の空港「ホストメル」で、ロシア軍がヘリ部隊で奪取しようとした戦いである。この空港を素早く占領していれば、ロシア軍は飛行機で部隊を送り込み、キエフに素早く移動することができた。しかし援護がなければ無防備な状態であり、これはまさにギャンブルであった。ウクライナ軍はヘリコプターを数機撃墜し、激しい戦闘の末にロシア軍を圧倒した。この作戦のために何カ月も計画を練り、すべての段階を綿密に計画した後で、計画者たちが初日にこれほどリスクの高いことをしようと決めたことは、示唆に富んでいる。
これはキエフにとって一時的な休息に過ぎないかもしれない。今朝の報道では、キエフ市内でのミサイル攻撃や小競り合いもあり、キエフがロシアの最重要目標であることが強調されている。したがって、これまでの戦闘からロシア軍が今後苦戦すると結論づけるのも賢明ではないだろう。ロシア軍は相手に対してもっと敬意を払い、もっと理路整然とした行動をとることを学ぶことになるかもしれないからだ。
とはいえ、第一印象は大切だ。自国を守る者の士気と決意は、侵略を企てる者の士気と決意より高くなる傾向があり、特に企てる側がなぜそのようなことをするのか分からない場合はこの傾向が強まることを我々は再認識させられた。ウクライナ人が本気で国を守ろうとしていること、そして忍耐力もあることが分かった。彼らは蹂躙されてはいないのだ。手っ取り早く既成事実を作っておけば、プーチンは大いに助かったはずだ。例えば、欧米の制裁の設計と実施は、ロシアがウクライナを蹂躙しているよう見えた状況では、まったく違った印象を与えただろう。つまり「ウクライナに起きたことは悲劇だが、ほとんど何もできない状況であり、高価なジェスチャーも無意味である」という主張を、懲罰的なものに反対する人たちに提供できたのかもしれない。
だがウクライナの抵抗が明らかになり、双方に戦費がかかるようになったことで、国内のプーチンの立場にも問題が出てきている。多くのアナリストたちが指摘しているように、ロシアが精密誘導ミサイルの在庫を失い、市街戦に引き込まれれば、戦闘は残忍になる可能性がある。
チェチェンの首都グロズヌイやシリアの都市アレッポは、ロシアが主導した作戦によって市民を直接標的にした爆撃を受けている。それにしてもロシア国内の反発の声の大きさ(熱狂的な支持のなさ)は目を見張るものがある。プーチンが「ウクライナは本当にロシアの一部であるべきだ」と主張し、その後に「スラブ民族の仲間(彼らの親戚であることも多い)が爆撃されるのを国民が容認する」と期待していたのは実に奇妙なことであった。プーチンは、多くの独裁者と同様に自国民に対して恐怖心を感じており、自国民の犠牲がさらに増え、ウクライナでの蛮行、国際的非難に対して彼らがどう反応するかを心配し始めた可能性がある。
プーチンがなぜ攻撃的な戦争に乗り出すのか、長年不思議に思ってきた人々にとっての最大の問題は「彼が政治的に何を達成したいのか」であった。たとえばウクライナ東部での限定的な作戦は「時間をかけて維持して守ることのできる地域を切り取る」という意味では、ある程度理にかなっていた。だが現在の作戦の規模の大きさは、実質的にキエフでの政権交代を求めるものとなるため、まるで意味をなさないものだ。米国と英国は、イラクとアフガニスタンで、これがいかに難しいかを苦い経験で学んだ。簡単に言えば、外国が就任させた、地元に根ざした比較的信頼できる指導者(ロシアにそのような人物がいることは明らかではない)であっても、その正統性には限界があり、すぐに占領軍に権力の維持を頼ることになるのである。
その前に、ロシア軍はゼレンスキー大統領を探し出して対処する必要がある。
彼はこれまで誰も予期していなかった「戦争指導者」として、威厳と勇気をもって行動している。プーチンは彼を排除したいはずだ。ゼレンスキーはロシアの破壊工作員がキエフにいることを報告しながらも、自分は当面の間キエフに留まり、戦況を指揮しなければならないと主張している。もちろんどこかの時点で、ウクライナ西部に移住するか、あるいは亡命政府を樹立するか、難しい決断を迫られるかもしれない。だがウクライナで活動を続けられる限り、彼のリーダーシップはプーチンへの「反撃」となるのだ。
たとえウクライナ政府が首都を失い、脱出を余儀なくされ、ウクライナ軍の指揮系統が崩壊し始めたとしても、それは自動的に「ロシアの勝利」とはならない。「占領軍の後ろ盾なしに従順な人物をウクライナ大統領に据えて長続きさせられる」と考えるのは、ウクライナの国民性の根源を理解できていない人たちだけであろう。ロシアには、そのような軍隊をいつまでも維持する人数も能力もないのである。2004-5年の「オレンジ革命」と2013-14年の「ユーロマイダン」の記憶があるプーチンは、この国で「人民の力」が果たす役割をある程度理解しているだろうと思ったが、これらの運動はアメリカやその同盟国によって操作されていたという自らのプロパガンダを信じ切ったままでいるのであれば理解できていない。
ウクライナはNATOと陸上で国境を接しており、ウクライナ正規軍が戦っている限り、装備は通過することができる。この紛争がそのような段階に移行した場合、反ロシア勢力も通過することができるようになる。このため重要になってくるのが、ロシアが軍事的目標を達成したかどうかだけに注目しないことだ。むしろ注目すべきは、市民の抵抗や反乱に対してロシア軍が占領した地域をどこまで維持できるかという点だ。
戦争(私は多くの例を研究してきたが)について重要なのは、戦争が計画通りに進むことはほとんどないということだ。偶然の出来事や作戦の不手際で、突然戦略の転換を迫られることもある。意図しない結果が、意図したものと同じくらい重要な意味を持つこともあるのだ。すべての戦争にはこのような落とし穴があり、だからこそ戦争は正当な理由(中でも最も説得力があるのは自衛権の発動だ)があって初めて着手されるべきものなのだ。
この戦争に乗り出すという決断は、一人の男の肩にかかるものだ。今週初めに見たように、プーチン氏はウクライナに執着しており、戦争の口実のように見えるが実際は彼の考えを反映しているかもしれない、トンデモ説を唱えがちだ。新型コロナウイルスを恐れ、想像上のウクライナを恐れるこの孤独な人物の特殊な事情と性格のために、すでに多くの命が失われているのだ。民主国家では、長期的な視野に立ち、懐疑的な国民を納得させたり、批判に耳を傾けたり、法の支配のような厄介な制約に縛られたりすることなく大胆な手段を取ることによって我々を出し抜くことができる独裁者と比較して、我々の意思決定の曖昧さ、一貫性のなさ、近視眼性、そして惰性などを嘆くことになることが多い。だがプーチンは、独裁政治が大きな過ちを招く可能性があることを思い起こさせてくれる。もちろん民主制度は、我々自身が過ちを犯すことを決して排除するものではないが、少なくとも、過ちを犯したときに新しい指導者や新しい政策に速やかに移行する機会を与えてくれるものである。それが今、ロシアで起こってくれれば良いと思うが。
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実に読み応えがありますね。
クラウゼヴィッツを引用するまでもなく、戦争というのは不確実でギャンブルな性格が強いものですが、著者のフリードマンはそれをあらためて思い起こさせてくれます。
それにしてもプーチン大統領、まるで以前の慎重な態度から打って変わっての今回の行動、大局的にみればだいぶ計算間違いをしたように思えます。
(海辺)
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