エアパワーは「効く」のか |
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2021年 11月 25日
今日の渋谷は良く晴れて気温も低めです。 さて、どんどん試訳を続けます。いまから10年前の古い記事ですが、某教育機関で学生に読ませるものとしてはよくまとまっているので訳してみました。 === By ダニエル・スイフト 2011-11/1 NY Times 今から100年前の今日、伊土戦争(1911-12年)において、イタリア人飛行士ジュリオ・ガヴォッティが単葉機から3つの手榴弾をトリポリのすぐ東に位置するアイン・ザラのアラブ・トルコ軍のキャンプに投下した。これが世界初の空爆であった。この時の手榴弾の重さは1個3ポンド(1.5キロ)で、誰も負傷しなかったと思われる。ガヴォッティ中尉は父親に「結果にとても満足して帰還したよ」と書いている。イタリアの新聞はこの出撃を絶賛した。「恐れをなしたトルコ人が逃げ惑った」というのだ。 空襲はこのようにささやかな形で始まり、そこから戦争の一つの型として、規模も想像力も拡大していった。H.G.ウェルズのような大衆小説家は、19世紀後半から飛行船や空飛ぶ機械による戦争を空想していた。 第一次世界大戦が始まると、こうしたSFの世界にあったシーンがが、実際の政策評価の中で繰り返されることになった。軍の計画者たちが「空爆による戦争の勝敗は絶対的かつ即時的なものである」と想定しはじめたからだ。 1914年、ドイツ海軍参謀本部の副長官パウル・ベンケ少将は、ロンドンの官庁街の政府機関の建物が空襲されれば、「住民にパニックを引き起こし、戦争が継続できるかどうかを疑わせることができるかもしれない」と指摘していた。 1915年1月に空襲が始まった。そして終戦までにドイツの飛行船がイギリスに投下した爆弾は6,000発に上り、556人の死者を出した。 1917年にヤン・スマッツ元帥は「敵地を破壊し、産業や人口の中心を大規模に破壊する航空作戦が、戦争の主要な作戦となる日はそう遠くないかもしれない」と予言した。 爆撃は常に戦争を変えるものと約束されていた。1920年代にはアメリカ空軍の生みの親であるビリー・ミッチェルが「継続的な攻撃によって敵の陸軍を疲弊させるという、退屈で費用のかかる方法はもはや無駄となった」と議論した。そして爆撃は「戦争状態の改善と向上」をもたらすに違いないと主張したのである。 航空戦力の最も熱心な推進者は、第一次世界大戦の塹壕戦の記憶に悩まされていた。詩人のウィルフレッド・オーウェンは、「二重に曲がって、袋の下の老いた乞食のように、膝を折って老婆のように咳をして、我々はヘドロの中を罵った」という有名な文章を残している。オーウェンは空兵になりたかったが、他の多くの人々と同様に、フランスの地で兵士として戦死した。「ソンムの戦い」の初日だけで57,000人以上のイギリス兵が犠牲になったのだ。 「あのような戦いほど恐ろしいものはない。戦争をしなければならないとしたら、泥の中よりも空の方がましだ」という考えだ。 1942年5月30日、英国空軍はドイツの都市ケルンに初の1,000機規模の爆撃機による空襲を開始した。その2週間後、爆撃機司令部のアーサー・ハリス司令官は、ウィンストン・チャーチルに手紙を出して、さらに多くの爆撃機部隊の増強を要請した。彼はイギリス軍を「フランドルやフランスの泥沼」での虐殺から守るための唯一の方法がこれだ、と主張したのだ。 1943年1月のカサブランカ会議で、ルーズベルトとチャーチルは共同で爆撃作戦を行うことに合意した。1944年7月から1945年4月までの間に、この英米合同作戦は合計100万トン以上の爆弾をヨーロッパに投下した。 その後も戦争は続き、爆撃も続いた。1950年から1953年の間に、アメリカは63万5千トンの爆弾と、3万2千5百トンのナパームを朝鮮半島に投下した。 歴史家のブルース・カミングスはこう言っている。「朝鮮戦争は、第二次世界大戦中に空軍が唱えていた火炎放射は敵の士気を低下させ、戦争を早期に終結させるという言葉を再現させようとしていたのである」。 そしてこのような希望的観測が、戦略を決定し続けた。 1965年2月13日、ジョンソン大統領は「ローリングサンダー」という爆撃作戦の開始を命じた。マクスウェル・テイラー元帥は、「ゆっくりだが確実に北上する空爆の嵐によって、ハノイ政府に、ハノイ周辺のすべてが破壊されると信じ込ませることができる」と想像した。 たしかに爆弾がこれらの戦争の終結を早めたのかもしれないが、それでも確実なことは分かっていない。しかし、爆弾の投下によって「ベトナム戦争がきれいになった」とか「朝鮮戦争が効率的になった」などと主張する人はいないだろう。 爆弾投下の歴史は、同時に、民間人犠牲者の歴史でもある。爆弾の投下は、他の生命を犠牲にして味方の兵士の命を救うものだからだ。空爆による民間人の死の統計は常に不確かであるが、第二次世界大戦中、連合軍の空襲によってドイツの民間人がおそらく50万人は死亡したと言われている。ローリングサンダー作戦では、18万2千人の北ベトナムの民間人が亡くなったと推定されている。 それにもかかわらず、私たちは爆撃についてのユートピア的な考えに基づいて戦争を形成し続けている。たとえば2011年3月にはNATOの空爆作戦が始まったが、これはフランスの飛行機がベンガジ郊外のリビアの戦車を爆撃し、10月20日にムアンマル・エル・カダフィ大佐が亡くなるまで続いた。アメリカのドローン「プレデター」と、フランスの戦闘機が上空を飛んでいたが、かつての指導者を捕らえたのは地上のリビア軍兵士だった。 空爆は、過去からの逃避として設計された、戦争の一形態である。だが新たな紛争が起こるたびに判明するのは、「コストのかからない勝利」と「クリーンな戦争」を約束してきた空爆の長い歴史に新たなエピソードが加わっているに過ぎない、という点だ。 空軍力で楽になったと思われる紛争の例もあるが、逆に空軍力で複雑化・激化した戦争の例もある。リビアでの紛争は、NATOの空軍力がなければはるかに血なまぐさいものになっていたことは間違いないが、アフガニスタンやパキスタンでの「プレデター」や「リーパー」という無人機による空爆は、反米感情を巻き起こすきっかけとなったのだ。 空爆というのは予測不可能な手段であり、その最大の危険性は「安易に戦える」と勘違いさせることであり、私たちを回避できたかもしれない戦争に引き込むことにある。その意味で、爆撃はテクノロジーへの信頼の象徴であると同時に、私たちが過去に囚われていることの証でもある。 今年(2011年)の夏、NATO軍機がアイン・ザラ(現在のトリポリ郊外)を爆撃した。最初の爆撃から100年たった後、私たちは最初の場所に戻ってきたのだ。 ==== エアパワーの限界点を指摘した、実によくまとめられた議論です。これはリーディングマテリアルとしても使えそう。 主にアメリカからの視点で書かれているわけですが、一つ前のエントリーと共通して見えてくるのは、「政治的に使いやすい」ものが本当に戦略的な効果を発揮するかというと大きな疑問が残る、ということですね。 (台湾が見える中学校) ==== ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜最新作! 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは米中戦争の時代をどう生き残るのか?〜 ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() ▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らなかった〜 「奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD」 ![]() ▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略がここにある〜
by masa_the_man
| 2021-11-25 17:39
| 戦略学の論文
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