今日の横浜北部はひたすら曇っておりました。
さて、2週間ほど前の
エントリーでオーストラリアの最後の大手メディアの記者が中国本土から脱出したときの様子をつづった記事を紹介しましたが、今回はそれから2年ほど前に起こっていた似たような事案についての記事の試訳です。
書いたのは豪ABCの中国支局長をつとめていたカーニー記者なのですが、この人は単身赴任ではなく家族を連れてきており、そのために北京当局から異様な脅しを受けた実態をあからさまにつづっております。
少々長い記事ですが、ぜひじっくりお読みください。
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By マシュー・カーニー 2020年9月23日
金曜の夜遅く、私がABCの北京事務所から帰宅しようとした時、突然電話が鳴った。
電話の向こうにいたのは「中央网络安全和信息化委員会」(the Central Cyberspace Affairs Commission)の男性だった。彼は名前を名乗るのを拒否したが、ABCの中国スタッフの一人に今から言う内容を書き留めろと要求してきた。
その男性は、私たちの報道が「中国の法や規制に違反し、風評を広め、違法で有害な情報を流し、国家の安全を危険にさらし、国家の誇りを傷つけた」と語った。
これは2018年8月31日のことで、私は2016年1月からABCの中国支局長を務め、記者のビル・バートレス氏と一緒に仕事をしていた。
その3週間前に、ABCのウェブサイトが中国国内で突然閲覧不能になり、それ以来、私は北京に公式な理由を教えてくれるように要求していたのだが、電話がかかってきて、ようやくその理由が判明した。
しかしこの電話は、その後におこる事件のきっかけでしかなかった。私と家族が実質的に中国を追い出されるまでの3ヶ月以上受け続けた脅迫が、まさにこの瞬間から始まったからだ。
▼彼らは私に監視されていることを知らせようとしてきた
私がこの話を公にするのは初めてだ。 中国を出国してからというもの、私は自分の身に何が起こったのかを記事に書くことを控えていた。なぜなら我が社の中国での業務に支障をきたしたくなかったし、スタッフを危険にさらしたくなかったし、後任のサラ・ファーガソン支局長が中国でのジャーナリストとしてのビザを取得する可能性を脅かしたくなかったからだ。
しかし、今年の9月にバートレス氏とオーストラリアン・ファイナンシャル・レビューのマイク・スミス氏が
中国を脱出したことで、すべての事情が変わった。
その2年前に私の身に起こった話と合わせて考えると、北京の外国人ジャーナリストに対する行動には、中国側がイメージとして打ち出したい単なる報復行為以上のことが含まれていることがわかる。
事実として、中国では外国人ジャーナリストたち全員は、当局の監視下に置かれている。 だがこの金曜日の夜の電話以来、私の行動への追跡監視は、かなり厳しくなってきた。どうやら北京は監視していることをわれわれに知らせたいようなのだ。
例えば、私が新疆ウイグル自治区のウイグル人の集団抑留を取材していた時、ABCチームは約20人の公安当局者たちに取り囲まれ、真夜中にホテルの部屋のドアをノックされ、日々の行動について質問された。
さらに秘密裏にサイバー面でも監視されており、時折それが実行されている実態を目の当たりにすることもあった。
たとえばある日の夜半に目覚めて携帯電話を覗くと、誰かがそれを遠隔操作し、メールアカウントにアクセスしていた。
彼らはアカウントの中を検索して、ニューヨークに住む活動家からのメールを見つけた。そのメールは私にCCされてきたものであり、天安門事件での有名なABCの「戦車男」の映像をユネスコの遺産に登録して欲しいと要求する内容であった。
そのメールは私が見ることができるように開いたままの状態にされており、私はこれを、彼らが監視していることを意図的に知らせようとしてきたからだと感じた。ただしその後も私は通常通り仕事を続けた。
私は「もし中国当局に遠慮して記事の内容や報道を変更させたら、その瞬間に中国を去るべきだ」と本気で信じている人間だ。
▼われわれの運命は中国当局に握られていた
中国当局が外国人記者に自己検閲を強要する方法の一つに、12ヶ月の滞在ビザを更新しないように脅すというものがある。
私はトラブルがあると予想していたので、期限が切れる6週間前に更新申請書を提出した。問題がなければ10日ほどで承認されるはずだった。しかし、返事は来なかった。
その代わりに、私は外交部(外務省)に「お茶を一杯飲みに来い」と命じられた。これは外国人ジャーナリストなら誰もが知っているフレーズで、「叱責を受けること」の婉曲表現である。
指定された部屋に入ると、私の政府指定の監視担当者である欧陽氏が、控えめでメガネをかけた中国の官僚である孫氏と一緒に立っていた。孫氏は私にお茶を注いでくれた。孫氏は膝の上に、私の書いた記事のコピーの山を置いていた。
彼女はそれを一枚ずつ引き出して、順番にそれぞれの記事を見ていった。「新疆の再教育収容所! 新疆の再教育収容所!政治犯の処刑!労働活動家の投獄!専門家は習近平を独裁者だと言っている!」。記事を見るたびに、彼女の怒りは激しさを増していった。
この会合は2時間続き、なかなかのパフォーマンスだった。 孫氏は、私が中国のすべての国民と指導者たちを罵った、と主張した。
私は「そもそもABCのウェブサイトが中国で禁止されている状態でそんなことが可能なんですか?」と反論した。 私のこの反論は、彼女をさらに激怒させることになり、彼女はより深刻な罪を宣告してきた。つまり私は、個人的に中国の法律に違反しており、これより政府の捜査対象となったというのだ。
この会合を終えたあと、私は弱気になった。私だけでなく、家族の運命も中国当局に握られたことを知ったからだ。
▼中国に対するあらゆる「ネガティブ」な報道をしたとして非難される
それから2週間の間に、私は「お茶を飲む」ためにさらに2度も外交部に呼ばれた。 会合はいつも怒りに満ちたものであり、毎回孫氏が担当者であった。
ところが質問の範囲は広がっていた。ABCがあらゆるプラットフォームや番組でも「否定的」な中国報道をしたこと、特にオーストラリアの民主制度に対する中国の干渉を調査する「
フォーコーナーズ」の記事を書いたことについて非難されるようになったからだ。
彼らはABCの中国支局長である私に、これらの記事の責任を取らせるべきだと考えていた。彼らの考えでは、私はオーストラリア政府から任命された人間であり、キャンベラにメッセージを伝える手段として圧力をかけるのに「使える」人物であった。
中国のようにメディアが厳しく管理されている国では、報道の独立性という概念、つまり「国営放送」と、ABCのような「公共放送」との根本的な違いを理解するのはなかなか難しい。
孫氏と最後に会ったときも、彼女は私のビザ更新の手続きが進んでいるのかどうかを教えてくれなかった。 しかし、彼女は一つの重要なことを明かしてくれた。それは、この問題が彼女の管轄外のところに回されたということだ。
彼女によれば「現在調査を担当しているのは、より高度な権限を持つ機関」であり、その機関はオーストラリアの新しい「外国干渉防止法」(現時点では世界で最も厳しい法律の一つ)に憤慨しているというのだ。
▼何かがおかしい
ビザの期限が切れる一週間前になったので、私は妻と3人の子供たちの補助ビザも一緒に取得することにした。ついでに私たちは次の金曜日の夜にシドニーに戻る飛行機を予約した。これは子供たちをこのような事件に巻き込ませないための措置であり、最悪の場合は学校に迎えに行ってそのまま空港に直行することも考えていた。
私たちは可能な限り普通の生活を続けた。妻のキャサリンは、このプレッシャーの下でも信じられないほど冷静で合理的な判断をしつづけてくれた。
月曜の早朝に、事態が解決したように思える出来事があった。なぜならビザが承認されたと聞かされたからだ。
いざ外交部のオフィスに到着すると、欧陽氏が私を待っていた。 ところがその場の雰囲気は緊迫していた。彼は私の目の前で、私のパスポートをわざと地面に落とした。これは中国の文化においては、相手を故意に侮辱する行為だ。
彼は冷たい怒りを込めて、私に「2ヶ月しか延長できない」(私は1年の延長を頼んでいた)と言ってから、「中華人民共和国に戻ってこられるとは思わないでほしい」「この案件があなただけの問題で終わるとは思わないほうがいい」と指摘した。
不安とストレスが解消されたようで安心したキャサリンと私は、パスポートにビザ延長のスタンプを押してもらうために入国管理局に向かった。
デスクの職員がシステムの端末に私たちの詳細を入力し始めたが、突然彼の表情が変わった。何かがおかしいのだ。われわれはすぐに公安に報告するように言われた。
この恐ろしい経験がまだ終わっていないことは明らかだった。それどころか、事態はエスカレートしていたのである。
▼事態がようやく判明した
公安の手に渡るということは、われわれが尋問や拘留が当たり前の領域に入ったことを意味する。そのような可能性を考えているうちに、恐怖がこみ上げてきた。もしこれが彼らの「捜査」の行き着く先だとしたら、私たちは深刻な事態に直面していることになる。
われわれは北京北部の施設に出頭するよう指示され、当時14歳だった娘のヤスミンを連れてくるように言われた。彼女も捜査の対象だというのだ。
これは私にとって一線を越えたような気がした。子供たちを巻き込むことは許せなかったからだ。 同時に私は怯えていた。処罰や復讐の対象として相手の家族を狙うのは、中国のよく使う手口であると感じた。
翌朝の7時半に、われわれは大きな建物の中に入って行った。この段階で、すでにオーストラリア大使館、外交通商省、そして私のABCの上司は、何が起きているのかを知っており、私の動きを注視していた。
この建物は新しく建てられたばかりだが、職員がきちんとワークステーションに座っている以外は、ほとんど誰もいなかった。それは消毒薬の匂いがするほど清潔だった。
われわれは廊下の端まで行くと、職員に待つように言われた。 しばらくして部屋の中に呼ばれた。3人が机に座って待っていた。一人の女性を二人の年配の男性が囲んでいた。この女性の地位が一番高いのは明らかであった。
彼らは肩書きも名前も言わなかった。 この女性は横柄な口調で、この調査はビザの違反のためだと言った。
これで合点がいった。ビザ違反であれば、より深刻な犯罪で起訴された場合に比べて、オーストラリア政府との間で事態がエスカレートするのを避けることができるからだ。
私は過去3年間、反体制派や共産党の粛清を取材してきたが、その際にこのような人々は、放火や不道徳な行為などの罪状で有罪判決を受けることが多かったからだ。
▼「勾留になります」
だが、まだ最も重大な疑問には答えが出ていなかった。なぜ私の娘なのか? という点だ。
この尋問官の女性は、この疑問にゆっくりとした英語で、「あなたの娘さんは14歳です。中国の法律では成人ですし、中華人民共和国は法を守る国ですから、ビザ犯罪で起訴されます」と答えた。
私は彼女の父親として娘の「ビザ犯罪」の責任は自分が取ると答えた。結局、私が彼女をこのような立場に追い込んだのは私の責任だからだ。
一瞬の間をおいて、この女性はゆっくり答えた。「法を守る国として、中国はあなたの娘さんを拘留する権利があることを知っていますか?」 彼女は私が全権を握られていることを知っており、私がそれをしっかりと理解できるようにゆっくりと語っていた。
しばらくして彼女は、「カーニーさん、私たちはあなたの娘さんを非公開の場所で勾留する権利を持っていることを知っていただかなくてはなりません。もちろんそこには他の大人もいますよ」と言ったのだ。
私は彼女に、このようなことをすればオーストラリア大使館とオーストラリア政府(すでに事情を知っていたが)を巻き込んで、状況をエスカレートさせると伝えた。もし彼女が私を怖がらせようとしていただけなのであれば、それはすでに成功していた。
こちらからの最後の提案として、私は「翌日には何も言わずに中国を出国します」と言った。
ところが彼女は笑ってこう言い放った。 「カーニーさん、あなた方は中華人民共和国を離れることはできません。あなたは調査中で、パスポートに出国禁止令を出しています」。
私は「OK」と言った。そして、今週の土曜日にビザが切れたらどうなるんですか?と聞いてみた。
私は彼女が「すぐに追放されますよ」と言うかもしれないと期待したが、その代わりに彼女は微笑んで「あなたは拘留されることになりますね」と言ったのだ。
▼ただの芝居だったのか?
私はパニックになりつつあったが、なんとか気を引き締めて、次の計画を考えなければならなかった。
私は休憩時間に妻のキャサリンと誓いを立てた。それは「ヤスミンから目を離さずに、常に一緒に行動する」ということだ。
豪大使館の職員や、中国人の同僚たち、さらにはABCに何度も電話をかけて相談した結果、我々はヤスミンが私たちと一緒にいることを条件にして、「ビザの罪」を認めて謝罪することが最善の方法だと決断した。 ただしヤスミン本人は、状況の深刻さにほとんど気付いていなかった。
私は公安の女性のところに戻り、この決断を実行することにした。 この女性と一緒にいた気さくでぽっちゃりした顔の男性の一人は、私が現在のパスポートから有効期限が切れそうなビザを、10日間の期限内に発行されたばかりの新しいパスポートに移していなかったために、ビザ違反になったと説明してくれた。
その代わりに(私はアドバイス通りに)新しいビザを新しいパスポートに直接入れてもらうように申請していたのだ。
私は有罪だったのだろうか?もちろんイエスだ。ただし、他に重大な罪がなかったので、私はほっとした。
私の一番の望みは、この尋問がただの芝居で、脅しと屈辱を与えるためだけのものであるということだった。
この女性は口を挟んできて、翌日また出直してくるように指示した。娘と私は、動画を撮影されて罪を自白することになった。
翌日私が部屋に入ったのは午前9時であった。ぽっちゃり顔の男はカメラを構えて録画ボタンを押し、私はこの1年にどこに行ったのか、次々と彼の質問に答えていった。
そして、ついに罪悪感を告白する時が来た。「はい、新しいパスポートにビザを入れていませんでした」。そして妻のそばにいた娘が、自白のために呼ばれた。 この段階にくると、ぽっちゃり顔の男はかなりフレンドリーになっていた。これですべて終わるのであれば良い兆候だと思った。しかしまだ何とも言えなかった。
▼「調査は終了した」
主任尋問官が戻ってくると、彼女は私たちの自白を検討し、事件の報告書を作成して「上層部」に送り、判断を仰ぐと言った。 緊張感を再び高めるかのように、彼女は結果が出るまでにあと数週間かかると言った。
ところが私たちのビザはあと4日で切れてしまう。その結果としてどうなるかは明白だった。 私たちはがっかりして、次に何が起こるかわからないまま家に帰った。しかし、少なくとも私たちはまだ引き離されずに一緒にいることができていた。
そして翌朝、突然電話がかかってきた。「調査は終了しました。ビザの2ヶ月の延長が認められました。すぐに公安に戻ってきなさい」と言われたので行ってみると、例のぽっちゃり顔の男性がわれわれを待っていた。
娘と私は、何ページもある「自白」を記した文書の全ページにサインと親指の捺印を求められた。 そして、握手と笑顔で、私たちがビザ違反であることを証明する証明書を提示した。主任尋問官は、ほっとした様子で建物を出ていく私たちを、厳しく見守っていた。
▼帰りの飛行機がこんなに気持ちよかったことはない
ところが私がこの番組の中で「模範市民」として紹介した中国人女性が、私を名誉毀損で民事裁判に訴えると脅してきたのだ。彼女の夫は活動的で野心的な共産党員だった。これもまた、私とABCを脅迫するために行われたことだったのだろうか?
私は北京にいるアメリカ人弁護士のアドバイスを受け、すぐに中国から出国するように勧められた。私に対して法的手続きが取られ次第、出国禁止令が発動されるからだ。 彼は私と同じような立場の外国人を何十人も弁護してきたと言っており、中には何年も出国できない人物もいるという。
私は、中国を出国するまでの日数を指折り数えた。
世界で最も大きなネタの宝庫と、多くの素晴らしい中国人の友人たちを残して、私はこのような形で任地を去りたくはなかった。
しかし、12月の寒い夜に家族と一緒にシドニーへの夜行便に搭乗することほど私にとって気持ちの良いことはなかった。
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いかがだったでしょうか?
現在のオーストラリアと中国の外交面での対立の背後には、地味ですが激しいこのようなドラマが展開されており、それが積もりに積もって、現在のように表面化したということがよくわかります。
日本の大手メディアの特派員はこのような目にあうことはほとんどないとは思いますが(
例外)、真実の報道という意味ではむしろ北京に拘束されるくらいが本望という気概で報道してもらいたいところです。
(ABCのHPより)
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