今日のメリーランドは朝から快晴です。もう最高気温は30度越えてます。
さて、戦わないというオプションについて一言。
昨日のエントリーで、トランプのイラン攻撃を止めた(かもしれない)人物としてタッカー・カールソンという保守系知識人の名前を上げましたが、私がここで指摘しておきたいのは、
「戦略的に勝利するために戦わない」
というオプションについてです。
「勝つために戦わない」というのはどういうことだ、と感じる方もいらっしゃると思いますが、たしかに軍事戦略だけを考えていると、どうしても思考が
「軍事的な勝利」(military victory)
という方に傾きがちです。
ところが戦略をもっとおおきなレベル、つまり大戦略のレベルで冷静に考えますと、
「戦争をしないほうが勝利につながる」
という例がいくらでも出てくるわけです。その一つが、2003年のアメリカによるイラク侵攻です。
この当時の私はまだカナダで大学生やっていたわけですが、アメリカの政治番組や政治雑誌が大好きだったものですから、2002年末頃から盛り上がっていた「サダム・フセイン伐つべし」というアメリカの議論を冷ややかに見ておりました。
といいますのも、歴史的にすでにイギリスやソ連が大失敗しているアフガニスタンにその前年から軍事侵攻していた上に、さらにイラクのトップのクビをすげ替えて民主化するなど、そもそも無謀なことをやっているなぁと感じていたからです。
アフガニスタンは「帝国の墓場」と言われていることからもわかるとおり、少しでも歴史を知っている人ならば、これだけでアメリカに勝ち目はないのに、さらにイラクにまで侵攻するというわけです。
ただしこの頃の私は、イラク侵攻が間違っていることについて、このような歴史的理由や、地政学的な反対論ではなく、もっと戦略的な面からのロジックによる説明を聞きたいと思っておりました。
ところがそのロジックをうまく説明してくれるような議論が、2003年の1月にニューヨークの外交評議会(CFR)の本部でのある討論会で行われたのです。
その時の討論会の参加者が、私が後に本を訳すことになったジョン・ミアシャイマーであり、スティーブン・ウォルトでした。
彼らはネオコン派としていまでもメディアなどで大活躍しているビル・クリストルとマックス・ブートという二人のタカ派のジャーナリストたちに対して、
「なぜ戦略的にイラクに侵攻してはいけないのか」
ということを、軍事・安全保障の観点から、理路整然と論じてくれたのです。
続きはまた明日。