今日のメリーランドはまたしても朝からスッキリよく晴れております。
さて、話を少し戻して再びディシプリンの話を。
20世紀初頭のイギリスは、ドイツを倒すためのディシプリンをもって行動していたことを説明してきましたが、ではアメリカはどうなのでしょう。
実のところ、アメリカにも大戦略レベルにおけるディシプリンはありました。その典型が、冷戦時代の「封じ込め」です。
ご存知のように、アメリカは戦後すぐの時期から「ソ連を封じ込める」と決定します。ソ連が戦後すぐの時期から、西側勢力と協調的な行動をせず、イランなどで兵力を残存させたりしたことなどがきっかけです。
ただしその決裂が決定的になったのは、なんといっても1950年6月の
朝鮮戦争の勃発であります。
これによって、アメリカ国内でも赤狩りが吹き荒れるなどして、ソ連に対するアメリカの敵意は決定的になります。
その後のスプートニク、キューバ危機などを経て、70年代に入ると敵対的な状況は沈静化しますが、ここで登場してきたのがハーバード大学の教授であり、ニクソン政権で安全保障担当補佐官を務めたヘンリー・キッシンジャー。
彼は色々といわれている人ではありますが、基本的にアメリカのディシプリンを最低限守っていた人と言えます。それはなぜか。
まず彼がニクソン政権でベトナム戦争の渦中に外交をコントロールできるようになると、敵であるソ連とは緊張緩和を探りつつも、同じ共産圏でソ連と対立しはじめていた中国と一気に距離縮め、1972年初頭にはニクソン自ら訪中し、そして79年カーター政権における国交回復にまで結実したわけです。
これは大きく見れば、「共産圏」としてまとまっていた大陸国であるソ連と中国を、外の島国であったシーパワーのアメリカが分断し、結果的にソ連を孤立させる、という大戦略レベルでの工作であります。
何度もいいますが、大戦略レベルにおいて最も大事になってくる要素は同盟関係です。
その大事な同盟国を失った大国というのは、いざ戦争という事態だけでなく、それが始まる平時の時点から、外交的に不利になることが多いのです。
キッシンジャーなどをはじめとする70年代のアメリカの戦略家たちが、一体どこまでアメリカの大戦略に関するディシプリンを持っていたのかどうかはわかりませんが、少なくとも
「ソ連は絶対につぶす」
という点ではブレなかったことにより、中国を抱き込み、80年代の第二次冷戦を経過してソ連消滅にまでもっていけたのは、ひとえに「ディシプリン」があったからではないでしょうか。
ひるがえって現在のトランプ政権ですが、おそらく
「中国に覇権を渡さない」
というワシントン全体のコンセンサスを元にしているとはいえ、果たして冷戦期の歴代の政権のように、大戦略レベルでのディシプリンがあるのでしょうか?
このつづきはまた明日。