今日の横浜北部はまたしても朝から晴れております。この季節は本当に過ごしやすいですね。
さて、昨日に引き続きクレフェルトの「反フェミニスト論」の話の続きを。
近代の軍隊では、男性から「暴力の独占」というヒロイズムの尊厳を奪ってしまうために、男性が軍隊を職業として選ばなくなったとまで言い切るクレフェルトですが、これなどは完全に
「セクシズム(性差別主義)だ!」
として猛批判を受けそうなものです。
そして実際にクレフェルトはそのような猛批判を食らったことがあります。
いまから5年ほど前のことですが、ケンブリッジ大学で開催されたあるカンファレンスに招かれた際に、本ブログで紹介しているような女性と軍隊の関係に関する話を雄弁に語り、会場から追い出されたことがあるとのこと。
彼はただ単に学問的に事実を淡々と述べただけらしいのですが、現在のポリコレの雰囲気が濃くなっているイギリスのアカデミック界では、実際はやりすぎたったのでしょうね。
さて、昨日の話に戻りますが、とにかくクレフェルトはフェミニストが大嫌い。
もちろん感情的に嫌いということもあるでしょうが、何より彼にとって許せないのは
「女性の戦士としての参加の歴史を、誇張したり創造したりするから」
という学問的な面。極端なフェミニストの中には、
「世界が女性だらけになれば、世の中から戦争がなくなる」
という主張をする人もいますが、こういう議論に対してクレフェルトは、歴史上において女性が戦争を扇動したり、後方支援やパレードへ参加して兵士を称賛したり、または戦争の犠牲者になってきたことを引用しながら、
「戦争は女性をめぐるものである」
として、女性と戦争は切っても切れない関係にあると分析します。
彼にとっては、「戦士の文化」も女性の存在あってこそ、ということになります。なぜなら「戦士」(warrior)の存在を称賛するのは、何より女性自身(雑誌名ではありません)だからです。
つまり女性は、歴史的にみても自分(たち)のこと守るために誇り高く戦ってくれる戦士を愛してきたし、そのような戦士を産みで育ててきた、というわけです。
ではこのような「戦士の文化」をやめさせるにはどうしたらいいのでしょうか?
これに対して、クレフェルトは古代ギリシャの詩人アリストパネスの戯曲「女の平和」の中の一節を引用しながら、
「女性が戦士を称賛するのをやめればいい」
と指摘するわけです。
ただしわれわれの社会におけるエンターテイメントなどを見ても、「戦士」、もしくはそれに代わる存在(侍、騎士、スポーツ選手など)への称賛はなくなっておりませんよね。
つまり(文化的にも社会的にも)戦争はなくならない、ということになります。
この話のつづきについてはまた明日。
(戦士のチンギス・ハーン)
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