今日の横浜北部は朝からまたスッキリ晴れております。
さて、昨晩の予告通り、女性が戦闘部隊に入る是非について。
参考になる本というのは、なんといっても本ブログで以前にも紹介したことのある、マーチン・ファン・クレフェルトのものです。
おそらく日本では絶対に翻訳されない、
すでに絶版になっているこの本の中で、イスラエルの戦史家であるクレフェルトは、まず自身の「敵」をフェミニストにフォーカスします。
そしてまず議論の大前提として
「女性が軍隊に参加すると弱体化する」
という認識を土台にして、そこから
「フェミニストが推進する女性の戦闘部隊への参加は"、社会の進歩”ではなく、単に大戦争の危険がなくなったからだ」
という主張を展開するのです。
クレフェルトにとって、この「大戦争がなくなった」という点で大きな役割を果たしているのは、やはり核兵器の登場。
これによっていわゆる「先進国」では、自分たちの生存を脅かす相手(≒他の先進国)との戦争が行われなくなり、だからこそ女性が軍隊に進出しており、さらには女性が軍隊に進出したからこそ、国家における軍隊の役割も低下したと論じるのです。
つまり先進国に多くみられる女性の軍隊への進出は、軍隊の弱体化の原因でもあると同時に、その弱体化のあらわれ(症状)でもある、ということなのです。
もちろんクレフェルトは、フェミニストたちが主張するように、過去に女性が軍隊、とりわけ戦闘部隊でも活躍していたことを認めます。
ところがそのような歴史を丹念に見ていくと、まず女性が戦士として活躍しているということは単なる「伝説」や「プロパガンダ」の類であり、戦闘や暴力行為という役割に関しては、当然ながら圧倒的に男性がその役割を担っていたことを論じて行きます。
ちなみに世界で大ヒット中のHBOのドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」では「
タースのブライエニー」という女性騎士が出てきますが、クレフェルトにすれば往々にしてこういう女性は
例外中の例外であり、戦いが終わると、戦士であることを誇りにする女性は極めて少ないことを指摘します。
この本において興味深いのは、クレフェルト自身は「女性が軍隊に参加すると弱体化する」という議論が
他の論者たちによって達成させられているとしつつも、議論の端々において
「なぜ女性兵士が軍を弱くするのか」
という根本的な話について、実際の論拠を示しながら語っているところです。
たとえばクレフェルトは、軍隊(とりわけ戦闘部隊)にいる女性は、大多数の男性たちに嫌われる、というポリコレ真っ青なことを平気で書きます。
その論拠もユニークであり、
「女性兵士は"暴力担当”という男性兵士にしか与えられていなかった尊厳を男性から奪ってしまうので、必然的に嫌われる存在になる」
というのです。
ルトワックの議論とも共通するのですが、これは男性兵士たちから「戦士の文化」、もしくは「ヒロイズム」(heroism)を奪ってしまうことになるというのです。
だからこそ男性が軍に入らなくなった、とまでクレフェルトは言い切ります。
時間がなくなってきましたので、今日はここまで。

(映画の看板)