今日の横浜北部は、ほぼ真夏のような一日でした。
さて、私が出張中に北朝鮮がミサイル発射実験を行ったようですが、それに関連して一言。
金正恩のような、いわゆる「独裁者」と呼ばれる人間について、大手メディアの描き方によれば
「自信満々のやりたい放題の態度で国を支配している」
というイメージがあると思いますし、一般的にわれわれもそのようなイメージで彼のことを見ている部分があります。
ところが本ブログで過去に何度か触れたかと思いますが、おそらくこのようなイメージは不正確であり、むしろ有害なものだと言えそうです。
なぜなら、われわれ(のメディア)は、金正恩自身の実際に感じている感情を見誤っている可能性が高いからです。
ここで参考になるのが、本ブログで何度も触れたことのある古代ギリシャの歴史家ツキュディデスです。
「恐怖、名誉、利益」(fear, honor, interest)
の3セットなのですが、一般的な報道などでは金正恩の「名誉」や「利益」の部分が強調されていて、彼が本当に感じているであろう「恐怖」という動機は伝わってきません。
たとえば今回のミサイル実験に関する
報道からは、金正恩が冷静沈着に計算した行動をしているように分析されておりますし、それは実際にその通りなのかもしれません。
しかしここからは、独裁者としての彼が感じている感情的な部分までは見えてきません。
「そんなの金正恩に直接聞けないし、聞けたとしても教えてくれるわけねぇだろ!」
というツッコミがありそうですが、これはこれで正しいと思います。
それでも私が強調したいのは、金正恩個人が実質的に「専制君主」を行っており、その行動の動機の中に「恐怖」がかなりの割合を占めていることを忘れてはならない、ということです。
これについて参考になるのが、唐突かもしれませんが、ギリシャの古典です。
中でも独裁者が感じている恐怖の感情や孤独感をあからさまに描いている対談ものとして有益なのが、クセノフォンの書いた『ヒエロンーまたは僭主的な人』という短い作品。
私は飛行機に乗るときに、映画を見るか、もしくは普段読まない硬めの本を読んで「催眠本」として使って寝ることにしているのですが、今回選んだ
これの中(邦訳版は
こちら)に、この「ヒエロン」が収録されており、その部分だけは短かったので、何気なしに読み始めたのです。
ところがいざ読み始めてみると、かなりの「ぶっちゃけ話」の連続で、面白くて最後まで一気に読み切ってしまいました。
この小作品は、古代ギリシャの都市国家シュラクサイの僭主(tyrant)であり、庶民の身でありながらトップに上り詰めたヒエロン(?〜前467年)と、そのシュラクサイで客人となっていた詩人シモニデス(前556〜468年)の対談というか、いまで言うところのインタビュー形式で語られたものを記録したとされるものです。
この中で強調されるのは、都市国家の独裁者ともいえる僭主のヒエロンが語る、豪華な生活の裏にのぞく不安と孤独の感情です。
シモニデスは庶民の目からしてそのようなことを感じているようには見えず、豪華な暮らしをして周りをイエスマンで固め、みんなに幸せを与えているから幸せなはずだと反論するのですが、ヒエロン側はその役職から感じる責務の重さや、民衆からの期待、そして自らが感じる身の危険の恐怖について、
「元は庶民だからわかる現在の境遇」
という比較アプローチを使いながら、僭主に対して一般庶民が感じているイメージとは大きく異なる実態を、実に生々しい言葉を使いながらシモニデスを説得していきます。
もちろん時代や文化的な背景が大きく違うため、このヒエロンと金正恩を同列に扱うことはナンセンスと言われても仕方のない部分はあります。
私はそれがツキュディデスの言う「恐怖」という動機であり、それを軽視してしまうと実態はつかめないのでは、と言いたいのです。
おそらくこれと同じことは、程度の差はあれ、ロシアのプーチン大統領や、中国の習近平主席、さらにはアメリカのトランプ大統領にも当てはまるでしょう。
それを知るような資料は、おそらくプーチンや習近平の場合、かなり後になってみないと出てこないでしょうが、トランプの場合は先日公開された「ムラー報告書」を読めば、彼がかなりの恐怖心や不安を感じながら政権運営を行っていることがわかります。
われわれはトップの感じている恐怖という動機を、それを分析する際の一つの想定として考えることを忘れてはならないのです。
(スフバートル広場のチンギス・ハーン像)
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