さて、またまた昨日の話のつづきを。
昨日のエントリーでは、競争戦略の観点から見れば、ロシアはナポレオンの自滅を、自分たちの長所を活かすことによって導いた、という話をしました。
さて、ここまで話をしてきて、鋭い方であれば、1812年におけるロシアのやり方や、かなり前に触れた
アメリカのB-1爆撃機の開発再開などの競争戦略のアプローチというのは、もれなく
「弱者の立場にたったアプローチである」
ということにお気づきになると思います。
いや、客観的な意味での弱者ではなくて、自らを「弱者」という立場において考えるという、いわば「主観的な弱者」という立場ですね。
「弱者が強者にどのようにして勝つのか」
という老子と孫子のタオイズムが教えている話と、非常に親和性の高いものであることがおわかりいただけるでしょう。
すでに述べたように、タオイズムが「弱者が強者に勝つ方法」として教えているのは、ただ「待つ」だけではなくて、
ー客観的に自然の動きを知ること
ー相手のクセや弱点を見極めること
ーその破壊のタネを助長させること
となります。
そしてこれは、相手を「帝国的過剰拡大」の状態に追い込み、そこから自滅させてあげる、ということです。
この「帝国的過剰拡大」ですが、別の言い方でいえば、
「物理面や心理面で、本来の力を越えて拡大しすぎてしまうこと」
とも言えます。
そしてこのような状態が実現してしまいますと、国家は国力を維持できなくなってしまいますし、軍隊も兵站が伸び切って遠征先の部隊を運営できなくなってしまい、弱体化することによって自滅するしかなくなってしまうのです。
ここでの「心理」というのもミソです。
というのも、物理面で実力以上に拡大してしまうと、人間(の集団)というのは、心理面でも驕りにかられてしまい、
「まだまだ行ける!」
と余計なことを考えてしまうからです。
具体的な例で言いますと、一時的にせよ大きな額の金が入ってきた人間というのは、今後も引き続きそのような額のカネを得られるものだと勘違いしてしまい、身の丈以上に余計に使いすぎて破産してしまう、という典型的な悪循環がそれです。
これは国家の拡大の場合にも同じことが言えます。
20世紀半ばまでの大英帝国や、戦前から1945年にかけての日本が、まさにそのような状況にありました。
国家として「帝国」の範囲を過剰拡大してしまったおかげで、それを兵站面や資金面で管理しきれずに自滅したわけですね。
そしてこれは現在の中国、とりわけ人民解放軍海軍にも当てはまることです。
この本の解説で書いたと思いますが、現在の中国は、歴史的に地政学的に非常に恵まれた状態にあります。
なぜなら90年代を通じて、ロシアだけでなくベトナムも含めて、陸上の国境をことごとく確定させてきたからです。
中国にとっては歴史的に「脅威」というのはそのほとんどが陸上からやってきたものでしたので、ここ数十年間の陸上における脅威の無さは、歴史的にも珍しい状態。
だからこそ、このおかげで海上に進出することができたわけであり、「一帯一路」というとんでもない大戦略も追求できるようになっているという現実があるわけです。
ところがこのような物理的な拡大には、莫大な投資や人材の確保が必要となるものです。
しかもそれらが確保できたとして、さらにそれを運営・管理する能力も必要になってきます。
さらにこのような「海洋進出」や「海外投資」というものが可能となりますと、そこに「驕り」が出てきて、必要以上に拡大できるのだという勘違いにもつながります。
すると理想が現実を上回ってしまい、まさに「帝国的過剰拡大」が発生し、結果的に自滅につながりかねません。
さて、実際にこのような実情があるとして、もし中国に対して敵対的な国が、自らを「弱者」としてとらえて「競争戦略」を考えたとしたら、一体どのような選択肢を考えることができるでしょうか?
このつづきはまた明日。