今日のバンクーバーは雲はありますがよく晴れております。
さて、昨日の話の続きをまた。
昨日のエントリーでは、弱者が強者を倒すためには、
「客観的に状況を把握して、相手の行動の中に破壊のタネを見出し、それを助長して自滅させろ」
というのが孫子から老子へのタオイズムの戦略思想の流れにあることを説明しました。
それを受けて今日説明したいのは、これを歴史の中の実例にどのように当てはめるのか、ということ。
最もわかりやすく、実例として最もよく使われているのは、なんといっても1812年のナポレオンのモスクワ侵攻ですね。
ナポレオン率いるフランスの大陸軍は、およそ70万という当時としては史上最大規模の軍勢で、ロシア帝国の首都モスクワに向かって、同年の夏至から侵攻を開始します。
行先では連戦連勝で負け知らず。無敵の強さを誇り、ロシア側は退却につぐ退却を余儀なくされます。
9月半ばにとうとう首都モスクワにまで入城したナポレオンたちですが、ここで絶望します。
街は焼き払われて人もおらず、ライフラインが遮断されていたからです。
モスクワの秋の厳しい寒さもあって、一ヶ月あまりたった10月後半にナポレオンは撤退を始め、その2ヶ月後にはロシア領内から撤退。
最終的に大陸軍は寒さ、飢え、病気、脱走などによって、12月に帰国した時には大陸軍はたった5000人しか残っていなかったと言われております。
この有名な1812年の戦いですが、ロシア側の競争戦略のアプローチとして、以下のような3つの想定があったことになります。
1:諜報活動によって、ロシア上層部はナポレオンがロシアへの侵攻準備をしていることを知っていた。
2:しかもナポレオンは外交の問題があると、それを短期決戦で決着をつけてから交渉をしなおす「強いクセ」がある。
3:ロシア上層部は、内部闘争のおかげで大陸軍に対して攻勢は仕掛けられないが、広大な地理空間と豊富な戦馬があることは知っていたので、決戦を避けて領土に引き込めば有利になると考えていた。
ということでロシア上層部は「相手のゲーム」でなく「自分のゲーム」で戦おうとしていたわけです。
もちろんこれはロシア側にとってもギャンブルでした。
というのも、すでに最初に攻めなかった時点で、友軍となった可能性のあるプロイセンを失っておりました。
さらに、ロシア軍が大陸軍に対してなかなか攻撃をしなかったことで、国内に(最終的には皇帝に対しても)不満もたまっておりました。
つまりトップの意識的なアプローチの選択がなければ、ロシアの持っていた
ー広大な土地
ー豊富な戦馬
ーロシア国民のナショナリズム
ー厳しい冬の気候
という優位は、成功の「十分条件」とはならなかったわけです。
この成功においては、トップが「決戦を避ける」「時間かせぎをする」という選択をしなければならなかったわけですね。
そしてこれはまさに、相手のクセを最大限に活用した、競争戦略のアプローチであったと言えるでしょう。
この話のつづきはまた明日。
(I, AM, Canadian!)
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