今日のバンクーバーは朝から雨だったのですが、夕方になってから一気に晴れました。
十数年ぶりに大学時代の友達に会って一緒に食事をしたのですが、そのうちのギター小僧だった一人はいつの間にか地元でデス・メタルのバンドをやってて、ついこの間「活動休止コンサート」をやったという話を聞きました。
なんでもデス・メタルの本場は圧倒的にスウェーデンらしく、それはバイキングの影響があるとかなんとかと言われて必死な説明を聞いたのですが、この分野に疎い私としては
「はー、そうなんだ」
というので精一杯でした。
さて、昨日は競争戦略と
孫子の関係について話をしましたが、今日は競争戦略と老子の考え方について少し。
老子といえば、日本では『道徳経』をベースに、妙に達観したような、哲学的な部分が受けて読まれている部分が大きいですよね。
なんというか、癒し系として読まれているという感じでしょうか。
ところが本場中国では古来から、老子の言葉をまとめた『道徳経』は「兵書」、つまり戦略本として読まれておりました。
近代において実際にそれを『兵書』として使ったのは、あの毛沢東です。
では中国では老子は兵書として一体どのように読まれているのかというと、それは
「弱者が強者に勝つ方法」
を教えるヒントとして読まれているようなのです。
参考まで、その弱者のための戦略的アプローチを教えたものとして、以下のようなものがあります。
「水ほど柔らかくしなやかなものはない。しかしそれが堅く手強いものを攻撃すると、それに勝てるものはない」
これは老子の考えをまとめたとされる『道徳経』の第78章に出てくる言葉ですが、水というメタファーを使って、それが弱い・柔軟だから強いものに勝てるのだ、と説いております。
これが同等の相手を想定していた『孫子兵法』の後に古代中国で出てきた、弱者が強者に勝つ方法の一つのヒントなのです。
ただし問題は、弱者はあくまでも弱者ですから、柔軟であるだけでは勝てません。
なぜなら弱い方は、最終的に強者に勝てるだけのリソースを持たないからです。
ではどうすればいいのかというと、老子の『道徳経』では、強者の「帝国的過剰拡大」(imperial overstrech)を利用して自滅に導けば良い、と教えるのです。
では『道徳経』で説かれている箇所を具体的に引用しますと、第30章に以下のような言葉があります。
「活気に満ちたものにもその衰えの時がある。これは“道”に反する・・・”道”に反することは、すぐに終わってしまう」
この「道」の部分は、
このCDをお聞きの方は「タオ」と読むことはご存知でしょう。
そしてこのタオというのは、単純にいいかえれば「自然法則」のようなものですから、この法則にまかせて衰えさせればいい、ということになります。
「いやいや、衰えるのを待つだけじゃ意味ないでしょ」
というツッコミがあるのは仕方ないと思いますが、老子や孫子は
「ただじっと待てばよい」
と言っていたわけではありません。
実は弱者側も、あることをすれば、この強者の衰えに貢献することができる、と説いたのです。
とここまで書いて時間切れです。続きはまた明日。
(ダウンタウン中心部)