今日の横浜北部はまたしても朝から快晴です。
さて、またまた昨日の続きを。
ここまで書いてきて、本ブログをお読みの方々は、ルトワックが大戦略について言わんとしていることがなんとなくおわかりになったと思いますが、あえて以下の3つの点にまとめてみたいと思います。
1:軍事力がその中心にある
当然ですが、ルトワックの中では、大戦略のレベルに軍事力という要素が中心的な役割を果たしております。
これは外交においてもそうで、むしろ軍事力の担保のない外交は無意味だ、ともとれる想定をしている部分があります。
たしかに「同盟」は実際には「軍事同盟」であり、これはたとえば鈴木善幸首相が「日米同盟は軍事同盟ではない」と発言して国際問題になったことがあるように、軍事的な結びつきが大前提であります。
2:時代の流れとともに考えを変えている
当然ですが、人間というのは色々と学ぶうちに、考えを変えていくものです。
もちろん軍事力が大戦略の中心にあるということはルトワックの中では変わらないわけですが、
昨日のエントリーでも指摘したように、時代を経るにしたがって、彼は軍事以外の要素も重視するようになっております。
それが「軍事力」「インテリジェンス」「外交」の三位一体なわけですね。
また、「大戦略」という言葉は使っておりませんが、先ごろ亡くなったアンドリュー・マーシャル率いる
総合評価室(ONA)から委託を受けてまとめた、中国の大戦略に関する研究としての『
自滅する中国』(原著は2012年)の中でも、前著『
ビザンツ帝国の大戦略』を受けて、中国側の
インテリジェンスや
外交のまずさを問題視し、
「中国は、戦略以外はすべて上手い」
という皮肉たっぷりの分析をしているわけです。
いずれにせよ、これは『ローマ帝国の大戦略』の時のような、軍事系のインフラや能力を強調していたものとは異なるものであり、時代とともに考えを変えて行っている点は興味深いところです。
3:大戦略レベルが王様である
ルトワックの想定する『
戦略の階層』では、大戦略が最上階に位置する(私のものでは「世界観」ですが)ものですが、これを説明するために彼がよく使う例は第二次世界大戦字のナチス・ドイツや大日本帝国であります。
ようするに彼が言いたいのは、大戦略のレベル(以下の場合は外交)で負けていたら、それ以下のレベルがいかに優れているものであっても意味がない、ということです。
たとえば本ブログでは何度も引用している、Youtubeに上がっている
講演の中で、ルトワックは以下のように論じております。
〜〜〜↓引用はじめ↓〜〜〜
(11:45〜)
戦略において「常識」というのは敵であり、通常の人間的な感覚というのは敵であり、唯一の味方となるのは「紛争の冷酷な論理」である。
そしてこのような論理が最も重要になってくるのは、主に外交のレベルにおいてだ。
たとえばヒトラー率いたドイツ国防軍というのは素晴らしい存在だった。空軍は大したことなかったし、海軍は全く使い物にならなかったが、陸軍は有名な戦いに勝ちまくっていた。
この当時の有名な将軍の名前として誰の名前を思いつくだろうか?ロンメル、グーデリアン、マンシュタインなどであろう。
しかし彼らの戦争における貢献度はどれくらいだったかというと「ゼロ」だ。全く役に立たなかったのである。
なぜかというと、ヒトラーはロシアとアメリカを敵に回し、イタリアとブルガリアが同盟国だったからだ。
もちろん私はブルガリア陸軍に対して尊敬の念を抱いている。ところが本当の意味で、彼らは全く役には立たなかったのだ
〜〜〜↑引用終わり↑〜〜〜
これはつまり、大戦略レベルにある外交や同盟で組む相手を間違えていたドイツは、いくら軍事的に優秀であっても負ける運命にあったということです。
日本では(というか世界的にも)旧ドイツ軍の人気は軍事ファンの間では非常に高いわけですが、実際に歴史を見てみると、ドイツは2つの世界大戦に連敗しております。
日本は一つの世界大戦に負けただけですが、ドイツは2連続で負けているのです。逆に考えれば、これはわざとやろうとしてもなかなかできないことです。
では何が敗因だったのか。それはルトワックの解釈では「大戦略レベル」で負けていたからです。
戦争が始まっていた時点で、ロシアとアメリカとイギリスとフランスを敵にまわし、イタリアとブルガリア(と東洋の向こうにある日本)と組んでいたからですね。
すでにこの陣営が決まっていた時点で、ドイツは大戦略で負けており、戦争の敗北は必然だったのです。大戦略は王様なのです。
ここまで書いて時間切れです。明日からはルトワック以外の大戦略論、とりわけコリンズやポーゼン、そしてケネディのものについて、それぞれ解説してみたいと思います。

(青山から渋谷方面)
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