今日の横浜北部はやや雲が多めながら、なんとか晴れております。と思ったら、これを書いている最中に雨降ってきましたが。
さて、再開第一回目のエントリーは、大戦略に関する本の紹介と、それに関する私の考えを少し。
実に画期的な本です。
著者はカナダの大都市バンクーバーの横のバーナビーの山の上にあるサイモン・フレイザー大学の日本出身の先生なのですが、国際関係論における古典的リアリズムのアプローチをベースに、「大戦略」を軍事戦略よりも高次のレベルにある「政略」として捉え、日本にとっての目指すべき大戦略の方向性を、かなりロジカルに説いて行きます。
本書でも述べられているように、これまで日本には「大戦略」(grand strategy)というものを正面から論じたものは極端に少なく、私が思いつく限りでも、『
日本防衛の大戦略』『
大戦略の哲人たち』『
国家と戦略』くらいでしょうか。
著者自身も指摘しているように、その唯一の例外は『
日本の大戦略』でしょうが、たしかにこれも話が抽象的すぎて(覇権サイクルという点に言及した点はユニークだと思いましたが)、提言されている政策提言(大戦略)が今ひとつ明確でなく、伝わりにくかったのが惜しいところ。
そういう意味からすると、平時・戦時にかかわらず、国際社会で争われている「秩序戦」の勝利、つまり現在日本が得ている平和と繁栄、そして自由な政治体制の維持を目指すべきという明確なメッセージの元に、大戦略を10箇条にシンプルにまとめ上げているのはさすがです。
ところがこの素晴らしい本も、読後の私の感想としては煮え切らないものがありました。
なぜなら、この本は「大戦略」について学術的に論じているにもかかわらず、その大戦略に関する英文の先行研究についてほとんど言及されていないからです。
「ウソだろ」と思いつつ巻末注を見ても、言及されているのは
パレットの本くらいで、近年の英語圏における大戦略に関する議論の積み重ねがまったく活かされていないのです。
その理由ですが、本文を読む限りにおいては、どうやらそれらの大戦略に関する著作というのは「軍事戦略」レベルに偏り過ぎていて、本書が目指すさらに包括的な「政略」の議論にそぐわない、という点にあるらしいのです。日本語で読めるものでは、その代表が上記の『大戦略の哲人』だと指摘されておりますが、これはかなり違和感。
そのため、著者が採用したのは自分の専門である国際関係論の理論(古典的リアリズムのもの)ということらしいのですが、私は個人的にここが今ひとつ納得できません。
大戦略の本を書くのに、大戦略の先行研究を使わないというのは、まるで日本のアイドルの本を書くと言っておきながら、紅白歌合戦の話しか論じていないようなものです(逆にわかりづらいか)。
誤解のないようにお願いしたいのは、この本そのものは実に素晴らしい本です。むしろオススメです。
でも私の目からすると欠けているところがある、と言いたいのです。
ということで時間切れです。この話についてはまた明日。

(リッチモンドの美術館)