リアリズムで世界を見よう |
今日の横浜北部は朝こそ梅雨空でしたが、午後から気持ち良く晴れました。
さて、前々回の番組の時にも触れた、スティーブン・ウォルトがフォーリン・ポリシー誌に掲載した優れた記事の要約です。
結論からいえば「リアリズムの視点を忘れるな」ということですが、たしかにウォルトをはじめとするリアリスト系の学者たちは、全員ではないにせよ、本文の後半に書かれていること(中国の台頭、NATO東方拡大の間違いなど)に関して、90年代の後半から一貫して否定的でしたね。
その証拠は本ブログでも試訳として公開したこのエントリーにありますので、ご参照ください。
以下の意見記事も、ちょっと長いですが勉強になりますのでぜひお読みください。
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by スティーブン・ウォルト 18-5/30
現在のアメリカにおける対外政策の考えにおいて皮肉なものの一つは、リアリズムが奇妙な立場にあることだ。
まず一方で、リアリズムは大学における国際関係論の教育において(その他の多くのアプローチと共に)主要テーマの一つでありつづけており、政府関係者の中には、自分たちの行動が一種の「リアリスト」的なアプローチを土台にしている、と主張する人が多いことだ。
ところがアメリカの首都ワシントンDCのほとんどの場所にはリアリズムが存在せず、権力に影響を与える立場にある本物のリアリストは非常に少ない。
さらにいえば、アメリカのトップにいる知識人たちの中で、リアリスト的な見方というのはほぼ欠如していると言える。
本コラムや、常に示唆に富むポール・ピラーやジェイコブ・ヘイルブルンたちの記事も、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、もしくはウォールストリート・ジャーナル紙のような新聞のコラムにおけるリアリズムの欠如を補えているわけではない。共和党・民主党の両党も、対外政策をリアリズムではなく、リベラルな観念主義のレンズを通して対外政策を見ているのだ。
アメリカの対外政策の事情通たちは、世界政治を「安全が不足していて、主要国たちは望む望まないにかかわらず互いに争うことを強要される舞台」として見るのではなく、世界をすぐさま「善い同盟国たち」(たいていは民主制国家)と「悪い敵」(そのほとんどが一種の独裁制)に区別し、状況が悪くなると、その原因を外国の悪いリーダーたち(サダム・フセイン、アリ・ハメネイ、ウラジーミル・プーチン、ムアンマル・アル・カダフィなど)の欲深さや侵略性、もしくは理性のなさに求めるのだ。
そして友好的な国家が(善なる)アメリカの行動に文句をつけてくると、アメリカのリーダーたちはこの批判者たちのことを「ただ単にアメリカの崇高な目的を理解できないだけだ」とか「アメリカの成功を妬んでいる」と想定しがちである。
▼トランプの存在とリアリズム
私もトランプ政権の存在は、リアリストの理論にとって、かなり厳しい挑戦になることは認める。たしかにドナルド・トランプのつじつまの合わないしくじりがちな対外政策のアプローチは、「国家はほぼ合理的、もしくは戦略的な形で国益を追求する」というリアリズムのアイディアとは噛み合わない。トランプ氏はこれまで実に多くの面――強情、自信過剰、不正直、衝動的、ナルシシズム、無知――を見せてきたのだが、彼の対外政策においては「合理的」「戦略的」という言葉は最も思い浮かびにくいものなのだ。
また、リアリズムは「バランス・オブ・パワー」(勢力均衡)や「地理」のような外的な要素を強調するものであり、リーダー個人が果たす役割というものを過小評価する。
ところがトランプ政権という存在は、「本当に重要なのは自分だけだ」と信じ込んでしまったリーダー個人が与えるダメージというものを雄弁かつ深刻に思い起こさせてくれるものだ。
それでも、トランプの並外れた無力さは、リアリズムを完全に破棄するに足る十分な理由とはならない。まず一つの理由として、リアリズムはいまだにトランプがトンチンカンなことをしても無事でいられる理由を理解する助けとなっている。アメリカはいまだに強力で安全であり、多くの愚かな失敗をしても、比較的軽度の損害で免れることができるのだ。
さらに重要なのは、リアリズムは近年や現時点に起こった実に多くのことについて、極めて有益な指針を与えてくれる理論として残っている。そしてトランプが毎週提供してくれている例からもわかるように、これらの指針を無視するリーダーたちは、必然的に愚かな過ちを犯してしまうのだ。
端的にいえば、リアリストの考え方はまだかなり使えるものだ。その理由を以下で説明させていただきたい。
▼リアリズムの基本
リアリズムは、長い歴史と多くの派閥を持っている。ただしその土台は、わかりやすいアイディアのまとまりを中心としたものだ。その名前からもわかるように、リアリズムというのは世界政治をありのまま説明しようとするものであり、「あるべき姿」を説明するものではない。
リアリストにとって、あらゆる政治活動の中心にあるのは「パワー」(権力)である。もちろんパワー以外の要素が役割を果たすことはあるが、政治を理解する上での最大のカギは、誰がパワーを持っていて、その人々がそのパワーをどう扱っているかに焦点を当てることにあるのだ。
古代ギリシャのアテナイの人々がメロス島の住民に対して放った警告、つまり「強者と弱者の間では、強気がいかに大をなし得て、弱気がいかに小なる譲歩をもって脱しうるか、その可能性しか問題となりえないのだ」という言葉は、この点を完璧に表現できている。映画監督のクエンティン・タランティーノも、これ以上のセリフを書くことはできないだろう。
リアリストにとって、国際システムの中では「国家」(states)が唯一のアクター(行為主体)である。国際システムの中には国家同士の争いから国家を守れるような中央的な権威は存在せず、各国家は生き残りにおいて、自らのリソースや戦略に頼るしかない。
安全保障(security)は、彼らにとって永遠に続く懸念事項であり、これは強力な国家にとっても事情は変わらない。そして国家というのは、誰が弱者・強者であり、パワーの勢いがどちらの方向に流れているのか、そのトレンドについて敏感なのだ。
このような世界でも、国家間の協力関係はもちろん可能であり、時として協力というのは、国家の生き残り(サヴァイバル)にとって不可欠なものとなる。ただしそれが常に壊れやすいものであることは変わらない。
リアリストたちは、国家が脅威に直面した時、まず最初に行うのが「バック・パッシング」(自分以外にその台頭する危険に対処させる)であり、もしそれに失敗すれば、その脅威に対抗するために、同盟関係に助けを求めるか、自らの能力を高めるはずだ、と主張している。
もちろんリアリズムも、国際政治を見る上での唯一の考え方というわけではない。現代の世界について異なる面を教えてくれるものとしては、他にも実に多くの見方や理論が存在している。ところがもしあなたが(少なくとも部分的に)リアリストのように考えることができれば、国際政治における多くの混乱した状況を簡単に理解できるようになるだろう。
▼中国台頭の理由
たとえばもしあなたがリアリストのように考えることができれば、中国の台頭が国際政治においてなぜ決定的な出来事であり、アメリカ(やその他の国々)との紛争の原因となる可能性が高いのかが理解できるはずだ。国家が自らの手で自らを守らなければならない世界では、最も強力な二つの国家は互いを用心深く見るようになるものであり、相手に遅れをとらないように、もしくは危険なほど脆弱性をさらしてしまわないように、互いに競い合うものなのだ。そしてもし戦争が防げたとしても、結果として強烈な安全保障競争が行われる可能性は高いのだ。
さらに、リアリストのように考えることができれば、なぜ中国が鄧小平の「平和的台頭」の政策を二度ととることがないのかが理解できるはずだ。このアプローチは中国の国力が弱かった時にはたしかに合理的であったし、多くの西洋人たちはこのおかげで、中国が弱かった時代に他者によって作られた制度や枠組みなどで中国を「責任ある利害共有者」にして手懐けることができる勘違いしてしまったのだ。
ところがリアリストたちは、いずれ強力になった中国は自分たちの国益にそぐわないあらゆる制度などを修正したいと思うようになるはずだと理解していたし、北京は実際にそのようなことを最近になってはじめている。
結論として言えるのは、米中関係を理解したいのであればリアリストのように考えるのが不可欠である、ということだ。
▼アメリカはなぜ介入するのか
もしリアリストのように考えることができれば、アメリカが過去25年間、とりわけ911事件後において、遠い土地で軍事力を繰り返し使い続けている事実について驚かないはずだ。なぜか?その理由はきわめて単純だ。だれもそれを防ぐことができなかったからだ。
また、アメリカ人たちは自分たちのグローバルな役割がかけがえのないものであり、世界中で武力介入を行うだけの権利と責任、そしてそのための知恵を持っていたと信じ込んでいる。ところがアメリカの支配的な立場というのは、この自惚れた野望を実現可能なものとした、少なくとも一時的にせよ、恵まれた状況のおかげであったのだ。
はるか昔の1993年に、ケネス・ウォルツは警告として、「アメリカが国内問題に集中してくれれば、もう不可能となった孤立主義ではなく、他国に対して自分たちで問題を対処し、しかも自ら間違いを起こすことができるようなチャンスを生み出す寛容性をアメリカにもたらすことになるのではないかと考える人も出てくるだろう。ただし私はそうは思わない」と述べている。
良いリアリストの典型として、ウォルツは「大国が悪癖として多極世界において簡単に誘惑されるのは不注意であり、二極世界では過剰反応、そして一極世界では過剰拡大である」と理解していたのだ。
そして実際のところ、まさにこのようなことが起こっている。
▼ウクライナ危機の原因
もしリアリストのように考えることができれば、ウクライナでの危機は、西側での典型的な解釈とは異なって見える。西側の説明では、そのトラブルのほとんどの原因をプーチンのせいにするが、リアリストたちは大国というものが常に自国の国境付近を気にするものであり、もし他の大国がこの領域に侵入してきたら受動的に反応する可能性が高いことを理解している。その典型がモンロードクトリンであることを忘れてはならない。
ウクライナのケースでは、アメリカとその欧州の同盟国たちがNATOをじわじわと東側に拡大(これはドイツ統一の際にソ連のリーダーたちと交わした約束に反している)しており、モスクワからの度重なる警告を無視している。2013年になるとアメリカと欧州は共同でウクライナを西側にさらに近づけはじめており、国内政治にあからさまに介入しはじめている。
ところがオバマ政権はリアリストのように考えることができなかったため、プーチンがクリミアを占拠し、EUとアメリカの動きが頓挫させられることなって驚くことになる。
もちろんプーチンのやり方は合法的でも、正統的なものでもなく、尊敬されるべきものでもないが、驚かされるものでもなかった。そらにこれらの一連の流れが欧州を驚かせ、NATOによる東欧の防衛強化につながったのも、まさにリアリストの予期していたものであり、やはり驚くものではなかった。
▼EUの失敗
リアリストのように考えることができれば、なぜEUがトラブルに陥っているのかもわかる。EUというこの壮大な構想は、超国家的な大きな制度の中で、ナショナリズムを超越し、国益を従属させることを意図したものであった。その構想を計画した人々は、欧州を何度も引き裂いた個別の国家のアイデンティティと国益が、時間の経過とともに消滅し、より広い「ヨーロッパ人」というアイデンティティがそれを補ってくれるはずだと考えていたのだ。
ヨーロッパのまとまりは冷戦によって促進されたのだが、これはソ連の脅威が西欧に互いに協力するのに十分なインセンティブを与えたからであり、それが逆に、ソ連の東欧の衛星国たちに目指すべき理想を与え、欧州大陸に「調停者としてのアメリカ」をとどまらせることになったのだ。
ところが冷戦が終わると、ナショナリズムはとりわけユーロ危機の発生後に、さらに強力になって復活した。すると突然、欧州の国民たちは政治家に対して、ヨーロッパを救うためではなく、自分たちのことを救ってくれるような政治家たちを求め始めたのだ。
無数の欧州各国のリーダーやEUの職員たちによる超人的な努力にもかかわらず、このような中心から離れていく傾向というのは、ブレグジットやイタリアの最近の選挙、そしてポーランドやハンガリーにおけるナショナリズムの復活に見られるように、現在も悪化するばかりである。
ヨーロッパの統合化は後戻りするわけがないと考えていた人々は、自分たちが進めていた高貴な実験がなぜ予定通りに行かないのか理解に苦しんでいるが、リアリストたちにとっては自明のことだ。
▼反米勢力の戦略
リアリストのように考えることができれば、2003年以降にイランとシリアがイラクにおける反アメリカ勢力側の支援を行っていることについてそこまで怒りを感じることはないだろう。もちろんあなたはこれを好ましいものとは思わないが、それでも彼らの行為に驚かされることはないはずだ。彼らの行動は、典型的なバランス・オブ・パワーのメカニズムによるものである。なぜならアメリカはサダム・フセインを転覆させ、ブッシュ政権はシリアとイランを次のターゲットだと明確にしていたからだ。
シリアとイランの両政府にとって、あらゆる手段を使ってイラクの泥沼にはまらせ、アメリカがショットガンの弾を込め直して自分たちを追い回すことをできなくしておくことは、彼らにとって戦略的には好ましいことになる。
アメリカ人はこれらの国々が行った行為に対して憤りを感じるはずだが、アメリカの政府関係者がもっとリアリストのように考えることができれば、彼らは最初からこれらのことを予期できたはずなのだ。
▼核武装のロジック
そしてあなたがリアリストのように考えることができれば、なぜ北朝鮮が核武装による抑止を手に入れるために多大な努力をしたのか、そしてイランのような国がはっきりと核武装国家になりたがっているのかが明確にわかるはずだ。
これらの国々は、世界で最も強力なアメリカと意見が全く合わない存在であり、アメリカの政府高官の中にはこの問題の唯一の解決法はこれらの政権の転覆であり、自分たちと考えの近いリーダーたちに首をすげ替えることだと言い続けている。
ここで問題なのは、このような政権転覆は、当初の狙い通りには行かないことがほとんどであり、さらに重要なのは、このような脅威に直面した政府というものは守りを固めようとする、ということだ。
核兵器は、ブラックメール(恐喝)や征服には向いていないが、自分たちよりも強力な国が軍事力を使って転覆しようとしてくるのを抑止する点では非常に効果的だ。そしてこれを何よりもよくわかっているのはアメリカ政府であろう。なぜなら彼らは優位な地理的位置にあり、圧倒的な通常兵器面での優位を持っているにもかかわらず、数千発の核兵器が必要だと考えているようだからだ。
もしアメリカの指導者層がこのように考えているのであれば、それより弱く脆弱な国家が、核兵器を数発持つことによって安全を確保できると考えないほうがおかしいのではないだろうか?そして、彼らが簡単に覆したり破棄できるような「体制保護の約束」と引き換えに核兵器を諦めるわけがないのは当然ではないだろうか?このロジックをジョン・ボルトンに説明する人物はいないのだろうか?
▼すべての国は同じ?
リアリストのように考えることができれば、劇的に異なる政治体制を持つ国同士が驚くほど同じような行動をすることが多い、ということを理解できる。
このわかりやすい例が、冷戦期のアメリカとソ連である。この二国の国内の政治体制はこれ以上異なるということはないほどであったが、対外的な行動はほぼ同じであった。両国とも莫大な同盟国のネットワークを率いて、好ましからざる国の政府を転覆させ、無数の国家のリーダーたちを暗殺している。
そして数万発におよぶ核弾頭(ミサイル、爆撃機、潜水艦などに配備)を保持し、自国から遠い土地に武力介入し、他国を自分たちの好むイデオロギーに染めようとしており、世界を破壊することなく相手方の勢力を倒すためにあらゆることをやったのだ。
なぜこの両国はまるで同じような行動をとったのだろうか?それはアナーキーの世界では、両国とも競争する以外の方法はありえず、さもなければ相手に負けてしまい、相手の略奪行為に対して脆弱性をさらしてしまうことになるからだ。
▼まとめ
最後だが重要なのは、もしあなたがリアリストのように考えることができれば、理想主義者たちが紛争、不正義、不平等、そしてその他の悪いことなどに終止符を打つことを狙って考えた野心的な計画にたいして、おそらく懐疑的になるはずだ。
もちろんより安全で平和な世界を築こうとすること自体は称賛すべきことだが、リアリズムがわれわれに言い聞かせているのは、世界政治を作り変えようとする野心的な試みというものは常に意図しない帰結を生み出すものであり、その約束された結果を実現することはきわめて稀であるということだ。
また、リアリズムが教えているのは、縛られない権力というものは同盟国でさえ心配するものであり、彼らはアメリカが世界を指導していこうとするときにはいつでも不安を感じる、ということだ。
まとめていえば、もしあなたがリアリストのように考えることができれば、あなたはより慎重に行動する可能性が高まるのであり、相手を「純粋な悪」として見る(もしくは自分たちを完全なる善として見る)可能性は減り、際限のない勧善懲罰な行動に出る可能性は少なくなるはずだ。
皮肉だが、もしより多くの人間たちがリアリストのように考えることができれば、平和の可能性は高まることになりそうだ。
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ウォルトがフォーリン・ポリシー誌上で定期的に書いている、「リアリズムを忘れるな」的な記事です。
もちろん上記でも言われているように、リアリズムだけが国際政治を読み解くためのカギではなく、ほかにも実に様々な理論があることは事実です。ただしリアリズムは(あまり善悪を言わないので、一般的には)嫌われながらも、欧米ではいまだに大きな説得力を持った理論として君臨していることは否定できません。
このリアリズムについては私もCDで詳しく解説しているので、興味のある方は参考にしていただきたいのですが、このようなパワーを中心に国際政治を見る態度というのは、国家のリーダーたちには基礎知識として忘れてほしくないと思います。

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