戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


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ローマ帝国を崩壊させた「難民危機」

今日の横浜北部は朝から晴れました。そろそろ涼しすぎるくらいですね。

さて、昨日の放送(https://youtu.be/aWaIX4TwdmU)でも触れた、ローマの「難民危機」の話を扱った記事の要約です。

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ローマ帝国を死滅させた難民危機からわれわれは何を学べるのか
By エリック・シグリアノ

EU離脱を決めた英国からカレーの難民キャンプ、さらにはドナルド・トランプの想像上の国境の壁まで、難民や移民の流入に対する不安は最高潮に達している

オバマ政権は先日2017年度に前年と比べて30%多い11万人の難民受け入れ計画があると発表して共和党から非難されたが、それでもカーター・レーガン時代にソ連圏やキューバから受け入れた数よりもはるかに少ないのだ。

政治家たちは「前例のない」移民の圧力について口ごもったり扇動したりしているが、実際は同じようなことが1640年前の欧州、つまりローマ帝国のトラブルだらけの国境付近で起こっている

376年のローマ帝国は、今日の状態を奇妙に予見したような自傷的な体験をしており、これをきっかけにしてローマ帝国の崩壊につながる出来事が次々と起こっている。もちろん研究によれば、その最大の原因は野蛮人たちの連続的な侵入である。ところが歴史家であるアミアナス・マルセリヌス(Ammianus Marcellinus)をはじめとする歴史研究によれば、ローマの崩壊はまさに「難民危機」から始まったというのだ。

もちろんローマ人は、難民やそのほかの移民たちの受け入れに関して「ズブの素人」であったわけではない。ローマ帝国は、現在のわれわれの共和国たちが台頭するまでは、世界最長の多民族・多文化社会だったわけであり、最も多様性をもっていて、しかも成功した存在であった。

ーマは700年間にわたって、移民を同化したり多民族の地を占領したりすることによって発展していた。それによって、人口の少ない領土に暮らす人々は労働力を提供し、農民は帝国の都市と軍隊に食糧を提供し、とりわけ戦争を戦うための兵士まで提供したのである。「普遍的な万能薬」であるローマ市民への道は、すべての人々に開かれていた。最終的に皇帝マルクス・アウレリウス・セウェルス・アントニヌス(カラカラ帝)はすべての非奴隷に市民権を与えている(アントニヌス勅令)。

ところがローマの同化政策は、今日では「ISの戦士」に喩えられるフン族の戦士たちが、東からヨーロッパを席捲した時に破綻している。フン族はゴート族のいくつかの部族の土地を占領し、その他の部族を、西や南の帝国の国境まで追い詰めた。

その結果、男女・子供合わせて約20万もの人々がドナウ河の反対側に集まって亡命と保護を求めてきた。イタリアの西ローマ帝国とは反対に、コンスタンティノープルを支配していた東ローマ皇帝のウァレンス(Valens)は、ゴート族の主な部族の一つ(テルヴィンギ族)を、きわめて良い条件で受け入れることにした。

ローマが野蛮人を受け入れる場合、大抵はそれらをいくつかの小規模なグループにわけて同化を図り、反逆する勢力となるような大きな集団をつくらせないようにしていた。ところが皇帝と彼の軍のほとんどは、ライバルであったペルシャの帝国との戦いで不在であった。

ウァレンスは部族の分断を監視するための十分な兵力を残しておらず、さらにはゴート族の兵士を自らの軍に積極的に徴用しようとしていたため、テルヴィンギ族に対して好みの場所にまとまって居住するように許可したのである。これを喜んだテルヴィンギ族の酋長であるフリティゲルンは、自らをキリスト教に改宗すると提案している。

ところがこの計画は頓挫した。ローマご自慢の兵站能力も、買収されやすい高官たちや、圧倒的な数を誇る腹をすかせた難民たちを支えることができなかったからだ。彼らの傲慢さや無能さは、ラムズフェルド/ウォルフォウィッツ/ブレマー式のイラク占領の台本になっていたといってもいいくらいだ。

ローマの駐留軍はテルヴィンギ族の群れをキャンプに押し込み、これが彼らの死の収容所となった。汚職にまみれた高官たちは送られてきた食糧を中抜きしてしまい、同時にこのゴート族たちがキャンプの外に食糧を買いに行くのを拒否した。

腹をすかせた難民たちは、子供一人を奴隷に売る代わりに犬肉一頭分を購入したという記録が残っている。現地のローマ軍の指揮官たちはゴート族の酋長たちをいじめたり脅したりしており、ある時には彼らの従者を殺害したりしている。

苦境に追い込まれ怒りを押さえられなくなったテルヴィンギ族は、ついに反乱を起こし、ローマ軍が没収できなかった武器や、その場で造った棍棒などを使って、その国境部隊を圧倒している。ローマが入国を拒否した別のゴート族であるグルツンギ(東ゴート族)も、いまやドナウ河から侵入し、すでにローマの中にいた奴隷、鉱夫、囚人、そしてゴート族の兵士たちは、それに呼応する形で反乱をはじめた

ウァレンス皇帝は反乱を鎮圧するためにレヴァント地方から軍を戻し、最終的には自らもその軍を率いることになった。彼は、西ローマ帝国の皇帝にも助けを求めている。

結果として、ドナウ河への侵入から二年後に、ゴート族は現在のトルコのエディルネ県にあたるハドリアノポリスでローマ帝国軍と相まみえることになった。この時に酋長のフルティゲルンは、領土を明け渡すかわりに講和を訴えたが、ウァレンス皇帝は拒否して戦闘となった。

そしてこの戦い(ハドリアノポリスの戦い)ではゴート族側が圧倒的な勝利をおさめ、ローマ軍のほとんどや、ウァレンス皇帝自身までが殺害されている。ゴート族はローマ帝国の内部で自治権を確立し、410年にはローマ略奪を行っている。

今日行われている議論では、左右両派とも、この歴史の教訓からそれぞれ確信を得ることができるだろう。たとえば移民を嫌う人々は「国境を開放してしまえばどうなるかわかるだろう」と言うはずだ。それに対して「移民は国力になるし、難民受け入れは義務である」と考える人々は、それと反対の結論に至るはずだ。

とにかくローマはゴート族を排除できなかったのであり、侵入を拒否された部族たちも最終的にはドナウ河を渡ってきた。ローマの崩壊は、難民の適応や同化をせずに孤立させて虐待すれば、一体何が起こるのかを、まざまざと見せているのだ。

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典型的な「歴史のアナロジー」ですね。ローマ帝国の教訓がどこまで当てはまるかは状況が違いすぎて微妙ですが、直面するジレンマは似たところがある、ということでしょうか。

問題は著者も指摘するように、この歴史の教訓を政治的に両陣営が使えてしまう、ということですね。

こういうところにまだそれほど悩む必要がない日本は、やはり地理的に恵まれていると言えます。

以下は昨夜の放送の様子です。ご参考まで。




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(一昨日の都内の風景)

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by masa_the_man | 2016-10-12 11:21 | 日記 | Comments(0)