2016年 03月 20日
ルトワック著『中国4.0』の制作秘話 |
今日の横浜北部は曇りがちでしたが、昼間は少し晴れて完全に春の陽気でした。
さて、久しぶりに記事の要約ではなく、私自身の体験記のようなものを少し書かせていただきたいと思います。
すでにご存知かもしれませんが、私が編訳したエドワード・ルトワック著『中国4.0』がネットで見る限りでは爆発的に売れているようで、本当にありがたい限りです。
すでに色々と感想などもネットに上げていただいておりまして、皆さんに楽しんでいただけているようで、制作に関わった人間としてはとっても嬉しいことです。
そのような中で、今回はここで特別に、ルトワックとこの本をつくるに至った経緯や、そのプロセスにおけるこぼれ話について少し書きます。
〜〜〜
まずこの話が始まったのは、ルトワックが日本に3週間ほど滞在していた去年(2015年)の10月のこと。コリン・グレイの下でドクターをとったことから『自滅する中国』の監訳のご縁をいただきまして、そこから何度かメールのやりとりをしていわけですが、前回の来日の少し前からルトワック自身に、
「そろそろ日本に行くから会おうぜ」
という打診を受けておりました。そしてなぜか同時に「暇があったら温泉連れて行ってやる」という謎の話も。
いよいよ来日して次の日にルトワック本人と一時間ほど滞在先の都内のホテルのロビーで話をするということになったわけですが、久しぶりに会って開口一番何をいうかというと、
「本にするいいアイディアが浮かんだ。お前が翻訳して本にしてくれないか?」
と突然のムチャ振り。しかもその数日後には伊豆の伊東の温泉にいくので、そこでインタビューを行って本を完成させようなどと、かなり無理なスケジュールを言ってきたのです。
一瞬たじろいだのですが、ここは私の数少ない編集者つながりから文春の編集者に話をつなぎ、おそらく数回のインタビューだけでは単行本にはならないので短めの新書にしよう、という話になり、なんとか企画も通って実行決定ということになったのです。
その翌週に、私は彼とは別行程(私は修善寺からわざわざレンタカー、彼は三島からレンタカー)で現地集合して、一泊二日で伊東の温泉に泊まることになりました。
現地の温泉宿は「日本の温泉評論家」との異名をとるルトワックによるチョイスだったのですが、無名ながらもかなりのマニア度の高い、離れ部屋だらけのかけ流しの温泉旅館。私は彼のすぐ隣の小さ目の部屋を予約して、準備万端。
現地には1600頃ついて、さっそくルトワックだけ温泉につかり、私が風呂の外でICレコーダーを2台使ってインタビューを開始。すでに話す内容は決まっていたようで、『中国1.0』の第一章のほとんどは、お湯につかりながら収録した1時間ほどで修正なしでほぼ採用ということになりました。
しかも第一章の「祇園精舎の鐘の声」の部分は、ルトワック自身のたっての希望で挿入。彼は『平家物語』が好きなようです。
2回目のインタビューは、温泉から上がって1800に食事になるまでの30分ちょっとで完成。さらにその後に地魚の料理を堪能した後の、寝る前の1時間40分ほどを、第三回目の収録としました。これで第二章のほとんどと、第五章の一部が完成しました。
ただし計算してみると、やはり本にするには時間が足りないということになり、急遽予定を変更して、翌日に帰京する前にどこかでメシを食いながら録音しよう、ということになりました。
昼前からそれぞれ車を運転して修善寺に行き、そこから電車で三島駅まで出て、駅の近くの居酒屋(たしかここ)でサラダやラーメンなどの遅い昼飯を食べながら、さらに1時間45分ほど収録。
これで四回目となりましたが、中身は第三章の「G2論」のものが中心だった記憶があります。テレビでは北海道に台風上陸というニュースがやっていたような。
その後はルトワック自身も忙しかったため、翌週とその次の週に、五回目が35分、六回目が90分という形でそれぞれインタビューを行いました。この時の内容は、主に第四章と第五章に反映されています。
個人的に最も強烈だったのは、五回目となる本論とは関係のない話を収録した時。
すでに本にも書きましたが、ルトワックは英国で5年間の軍歴を持っておりまして、そこから皮切りに、イスラエルでは第三次中東戦争で戦ったほか、世界各国の特殊部隊のアドバイザーとしての仕事もやっております。
この五回目のインタビュー自体は、本で使えたのがたった35分くらいで、その後に彼の知り合いの若いユダヤ人が来てしまったために、本の録音そっちのけでイスラエル・ネタの放談大会になってしまったのです。
その詳しい内容はここでは言えないものばかりだったのですが、いやはやルトワックの「現場経験」はすさまじいということを実感させてくれました。
さて、ここまでの一連のプロセスの中で実感したのは、ルトワックの知識の幅の広さでした。
もちろん彼自身は学者的に様々な本を読みまくっているのはたしからしいのですが、その知識はどうも「軍事アドバイザー」として現地に行き、そこで聞いた興味深い話を、別の資料で読み返して身につけてきたタイプのものであるという印象を強く持ちました。
これは私の指導教官でありながら、同じくアメリカ政府などにアドバイザーを行ってきたコリン・グレイとは極めて対照的なタイプでありまして、グレイのほうはより資料や人の議論を読み込んで考えるタイプであり、ルトワックのほうはとにかく自分の感じた視点を、幅広い(現場)知識で補っていく、というものでした。
もちろんこの2人は旧知の間柄で、グレイが一昨年に退官した時にはルトワックもその記念パーティーにかけつけたらしいですが、その知識人としての立ち振舞いの違いにはおどろくべき違いがあったのがとても印象的でした。
最近のルトワックの関心は、『ビザンチン帝国の大戦略』の続編ともいうべき、ユーラシア大陸のランドパワーの歴史を概観したものを書きたい、ということらしいです。
ただし、今回の『自滅する中国』の続編とも言える『中国4.0』で示したいくつかのアイディアを精緻化させて、いずれは主著となる、『エドワード・ルトワックの戦略論』の改訂版(第三版?)を出すつもりだ、とも申しておりました。
まだ具体的にはお話できませんが、ルトワック関連の本に関しては私も今後さらに絡んでいくことになりそうです。
色々と書きましたが、とりあえず本日はここまで。
▼~あなたは本当の「孫子」を知らない~
「奥山真司の『真説 孫子解読』CD」

▼~これまでのクラウゼヴィッツ解説本はすべて処分して結構です。~
「奥山真司の現代のクラウゼビッツ『戦争論』講座CD」

▼奴隷の人生からの脱却のために
「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから!
▼奥山真司の地政学講座
※詳細はこちらから↓
http://www.realist.jp/geopolitics.html



http://ch.nicovideo.jp/strategy2/live

https://www.youtube.com/user/TheStandardJournal
さて、久しぶりに記事の要約ではなく、私自身の体験記のようなものを少し書かせていただきたいと思います。
すでにご存知かもしれませんが、私が編訳したエドワード・ルトワック著『中国4.0』がネットで見る限りでは爆発的に売れているようで、本当にありがたい限りです。
すでに色々と感想などもネットに上げていただいておりまして、皆さんに楽しんでいただけているようで、制作に関わった人間としてはとっても嬉しいことです。
そのような中で、今回はここで特別に、ルトワックとこの本をつくるに至った経緯や、そのプロセスにおけるこぼれ話について少し書きます。
〜〜〜
まずこの話が始まったのは、ルトワックが日本に3週間ほど滞在していた去年(2015年)の10月のこと。コリン・グレイの下でドクターをとったことから『自滅する中国』の監訳のご縁をいただきまして、そこから何度かメールのやりとりをしていわけですが、前回の来日の少し前からルトワック自身に、
「そろそろ日本に行くから会おうぜ」
という打診を受けておりました。そしてなぜか同時に「暇があったら温泉連れて行ってやる」という謎の話も。
いよいよ来日して次の日にルトワック本人と一時間ほど滞在先の都内のホテルのロビーで話をするということになったわけですが、久しぶりに会って開口一番何をいうかというと、
「本にするいいアイディアが浮かんだ。お前が翻訳して本にしてくれないか?」
と突然のムチャ振り。しかもその数日後には伊豆の伊東の温泉にいくので、そこでインタビューを行って本を完成させようなどと、かなり無理なスケジュールを言ってきたのです。
一瞬たじろいだのですが、ここは私の数少ない編集者つながりから文春の編集者に話をつなぎ、おそらく数回のインタビューだけでは単行本にはならないので短めの新書にしよう、という話になり、なんとか企画も通って実行決定ということになったのです。
その翌週に、私は彼とは別行程(私は修善寺からわざわざレンタカー、彼は三島からレンタカー)で現地集合して、一泊二日で伊東の温泉に泊まることになりました。
現地の温泉宿は「日本の温泉評論家」との異名をとるルトワックによるチョイスだったのですが、無名ながらもかなりのマニア度の高い、離れ部屋だらけのかけ流しの温泉旅館。私は彼のすぐ隣の小さ目の部屋を予約して、準備万端。
現地には1600頃ついて、さっそくルトワックだけ温泉につかり、私が風呂の外でICレコーダーを2台使ってインタビューを開始。すでに話す内容は決まっていたようで、『中国1.0』の第一章のほとんどは、お湯につかりながら収録した1時間ほどで修正なしでほぼ採用ということになりました。
しかも第一章の「祇園精舎の鐘の声」の部分は、ルトワック自身のたっての希望で挿入。彼は『平家物語』が好きなようです。
2回目のインタビューは、温泉から上がって1800に食事になるまでの30分ちょっとで完成。さらにその後に地魚の料理を堪能した後の、寝る前の1時間40分ほどを、第三回目の収録としました。これで第二章のほとんどと、第五章の一部が完成しました。
ただし計算してみると、やはり本にするには時間が足りないということになり、急遽予定を変更して、翌日に帰京する前にどこかでメシを食いながら録音しよう、ということになりました。
昼前からそれぞれ車を運転して修善寺に行き、そこから電車で三島駅まで出て、駅の近くの居酒屋(たしかここ)でサラダやラーメンなどの遅い昼飯を食べながら、さらに1時間45分ほど収録。
これで四回目となりましたが、中身は第三章の「G2論」のものが中心だった記憶があります。テレビでは北海道に台風上陸というニュースがやっていたような。
その後はルトワック自身も忙しかったため、翌週とその次の週に、五回目が35分、六回目が90分という形でそれぞれインタビューを行いました。この時の内容は、主に第四章と第五章に反映されています。
個人的に最も強烈だったのは、五回目となる本論とは関係のない話を収録した時。
すでに本にも書きましたが、ルトワックは英国で5年間の軍歴を持っておりまして、そこから皮切りに、イスラエルでは第三次中東戦争で戦ったほか、世界各国の特殊部隊のアドバイザーとしての仕事もやっております。
この五回目のインタビュー自体は、本で使えたのがたった35分くらいで、その後に彼の知り合いの若いユダヤ人が来てしまったために、本の録音そっちのけでイスラエル・ネタの放談大会になってしまったのです。
その詳しい内容はここでは言えないものばかりだったのですが、いやはやルトワックの「現場経験」はすさまじいということを実感させてくれました。
さて、ここまでの一連のプロセスの中で実感したのは、ルトワックの知識の幅の広さでした。
もちろん彼自身は学者的に様々な本を読みまくっているのはたしからしいのですが、その知識はどうも「軍事アドバイザー」として現地に行き、そこで聞いた興味深い話を、別の資料で読み返して身につけてきたタイプのものであるという印象を強く持ちました。
これは私の指導教官でありながら、同じくアメリカ政府などにアドバイザーを行ってきたコリン・グレイとは極めて対照的なタイプでありまして、グレイのほうはより資料や人の議論を読み込んで考えるタイプであり、ルトワックのほうはとにかく自分の感じた視点を、幅広い(現場)知識で補っていく、というものでした。
もちろんこの2人は旧知の間柄で、グレイが一昨年に退官した時にはルトワックもその記念パーティーにかけつけたらしいですが、その知識人としての立ち振舞いの違いにはおどろくべき違いがあったのがとても印象的でした。
最近のルトワックの関心は、『ビザンチン帝国の大戦略』の続編ともいうべき、ユーラシア大陸のランドパワーの歴史を概観したものを書きたい、ということらしいです。
ただし、今回の『自滅する中国』の続編とも言える『中国4.0』で示したいくつかのアイディアを精緻化させて、いずれは主著となる、『エドワード・ルトワックの戦略論』の改訂版(第三版?)を出すつもりだ、とも申しておりました。
まだ具体的にはお話できませんが、ルトワック関連の本に関しては私も今後さらに絡んでいくことになりそうです。
色々と書きましたが、とりあえず本日はここまで。
▼~あなたは本当の「孫子」を知らない~
「奥山真司の『真説 孫子解読』CD」

▼~これまでのクラウゼヴィッツ解説本はすべて処分して結構です。~
「奥山真司の現代のクラウゼビッツ『戦争論』講座CD」

▼奴隷の人生からの脱却のために
「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから!

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by masa_the_man
| 2016-03-20 22:47
| 日記