戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

反共闘士 リー・クワンユーの地政学的意味

今日の横浜北部はなんとか晴れて気温もあがりましたが、午後から曇ってまた寒くなりました。

さて、本日早朝に亡くなった「世界の偉人」であるリー・クワンユーですが、私が翻訳したロバート・カプランの『南シナ海:中国海洋覇権の野望』という本の中に、彼が歴史的に果たして地政学的な役割について触れられた興味深い箇所がありましたので、その部分を抜き出しておきます。

当時の共産主義との闘いが興味深いです。

b0015356_20492035.png

南シナ海:中国海洋覇権の野望』第五章:pp146-49.

シンガポールの中華系の人々は、「大躍進」や「文化革命」などの犯罪が明るみに出る前までは、毛沢東と赤化した中国のことを非常に誇りに思っていた

彼らは占領者であるイギリスの仮面に隠れた西洋の植民地主義を嫌っていたが、同時のその占領者がシンガポールの人々に仕事をもたらしていたことを、リー・クワンユー自身は強烈に覚えている。シンガポールで労働運動を引起こしていたのは、シンガポールの慢性的な失業率の高さであり、この労働運動が共産主義の温床となっていたのだ。

リー・クワンユー自身は、イギリスがシンガポールとマレー連邦に対して権力を渡すきっかけになったのが共産主義の脅威であったことを知っていた。イギリスはこの二国に共産化されるよりも、「より不快ではない選択肢」として、リー・クワンユーの属するシンガポールの人民行動党や、穏健的で既存の権力に近いマラヤ連邦のトゥンク・アブドゥル・ラーマンに権力を渡そうと考えたのだ。

「共産主義の脅威が存在しなかった戦前のインドでは、共産主義特有の組織的な受動的抵抗の方法が効果を表すまでに、実に長い時間がかかっている」とリー・クワンユーはまるでマキャベリのような視点で分析している。

たしかに中国とインドネシアのリーダーたちに見られた共産主義や、それと似たような考え方に対して帝国を維持できなくなっていたイギリスは、マラッカ海峡という決定的に重要なシーレンをオープンにしておくために、西洋志向のシンガポールやマラヤ連邦の現地のリーダーたちに権力を移譲しようと必死だった。これはつまり、リー・クワンユーとトゥンク・アブドゥル・ラーマンの政治的なポジションがイギリスによって支えられなければならないということであった。第二次世界大戦直後の時期には――少くともシンガポールでは――、民主的なシステムのままで共産主義寄りの政権が誕生してしまうおそれがあったからだ。

リー・クワンユーの手腕や、共産主義と対決する「終わらない争論」への積極的な参加姿勢、そして街を一掃するような大量動員や、実践集団を結成する技術を相手から拝借しながらの「共産主義者たちとのメディアでの辛辣な議論の応酬や、彼らの攻撃からの挑発に対する抑制の実践」というのは、冷戦史の中でも西側諸国にとっては思いがけない幸運となった

近隣のマラヤ連邦やベトナムのように、共産主義の暴動が吹き荒れていた激しい地域で歴史を変えたのは、リー・クワンユー自身の強い動機やエネルギー、そして実行力であった。共産主義に対抗しつつ、マラヤ連邦とインドネシアの間を動きながら権力を固めるために奮闘する三〇代後半の首相として、リー・クワンユーは福建なまりの中国語を学ぶ必要があると痛感した

リー・クワンユーは政権を握ったすぐ後の最初の戦略的な動きとして、自らの政党をマラヤ連邦との「合併による独立」を目指すものと位置づけようと決心した。

マラヤ連邦には莫大なスズと天然ゴムという資源があり、シンガポールが工業化を維持して失業を解消するのに必要な、経済基盤と公共の市場を与えてくれたのだ。また、シンガポールは「イギリスの植民地」という共通の過去を持ち、インドネシアというスカルノのイスラム系の巨大な怪物からイギリスに守ってもらう必要性があるという点でも、マラヤ連邦とその思惑が一致していた。

マラヤ連邦もシンガポールという新進気鋭の輸出国を取り込もうと躍起になっていたと同時に、その国内の共産主義を制御してもらう必要があった。マラヤ連邦のリーダーであるトゥンク・アブドゥル・ラーマンにとっての最大の問題は、シンガポールをマラヤ連邦に加えてしまえば、人種のバランスを中華系に有利に傾かせることになるということであった。

この問題を解決するために、イギリスの黙認の下で、ボルネオ島のサバ州とサラワク州の多数を占めるマレー人たちを連邦に加盟させ、これが一九六三年のマレーシアの建国につながったのである。

連邦の創設そのものは、ボルネオ島のサバ州とサラワク州を狙っていたインドネシアとフィリピンからの脅しを誘発した。この両国は、イギリスには新しいマレーシアに勝手に領土を割譲する権利などないと感じていた。

スカルノ率いるインドネシアは、とりわけ危険な存在であった。インドネシア経済はいまにも崩壊しそうな状態であったが、それでもイギリスやアメリカに対して東南アジアや南シナ海地域から出て行くよう警告しており、それによって共産化した中国、北ベトナム、そして中立的なカンボジアなどが拡大する余地を与えたのだ。

スカルノがインドネシアとマレーシアの両方のマレー人に対してアピールした左派的なポピュリストの姿勢や鉄血政策は、マレーシアにとってさらに脅威であった。スカルノに対抗するために、トゥンクは新しい連邦でマレー人の権利と優先権を推進する、同じような戦略を採用せざるを得なくなった。そしてこれは当然ながら、中華系とインド系の人々を怒らせることになり、しかも前者はシンガポールに集中していた。このため、マレーシアとシンガポールとの連邦形成の可能性は薄れてきてしまった。

一九六七年にスカルノは政権を追われ、インドネシアに秩序と安定をもたらし、国民に教育を与え、インドネシアを新興経済国の一つにした、親欧米派のスハルトに権力を譲った。ただしスハルト一族は自分の率いる巨大国家にはびこる汚職問題を、さらに悪化させたと言える。ところが一九六〇年代半ばに新しく建国されたマレーシアに住むマレー人と、シンガポールに拠点を置く中華系の間の関係が修復不可能になると、リー・クワンユーはマラヤ連邦の中で中華系の権利を守るために、マレー系のリーダーで段々とポピュリスト色を強めつつあったトゥンク・アブドゥル・ラーマンと激しく衝突するようになった。しかもリー・クワンユー自身も、自らの中華系の集団の中の民族主義者や、シンガポール内の共産主義者たちと、政治闘争を行っていたのだ。

リー・クワンユーは回顧録で述べている内容よりも明らかに野心的であった。回顧録の中には書いていないが、彼がマレーシアとの連携を模索していた本当の理由は、いつの日かマレーシアを支配するというところにあったのだ。シンガポールは、彼のあふれる実行力と才能に与えられる器としては小さすぎる国だったのである。

結局のところリー・クワンユーは、ビジョンを持った男だった。西洋諸国の若者たちが世界平和というアイディアを温め、いかなる中央集権的な体制を悪だと決めつけていた過激な一九六〇年代という時代に、リー・クワンユーは「未消化の社会主義と富の再分配」が第三世界の「有能とは言えない政権」と組み合わさった時に、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカにおいて「ぞっとするような結末」を迎える可能性があると見て取っていたのである。

彼はサッチャーやレーガンが出てくる前からすでに彼らのような存在だったのであり、共産主義のイデオロギーと戦略面でカギを握る戦場であった東南アジアで、彼らの動きを抑える役割を果たしたのだ。

===

私が翻訳した本の他にも、やや入手は難しくなっておりますが、リー・クワンユーの自伝(上下巻)は読み物としても完成度が高く、文字通りの「手に汗握る」面白さです。

運良く入手できた方はぜひお読みになってください。

ちなみにカプラン本については動画もありますので、合わせてチェックしてみてください。

▼南シナ海が中国のものになる!?~ロバート・カプラン新刊本を徹底解説~|奥山真司の「アメリカ通信 LIVE」
http://www.nicovideo.jp/watch/1415264476







ビジネスと人生に活かす『クラウゼヴィッツ理論』CD


ビジネスと人生に活かす『クラウゼヴィッツ理論』

※詳細はこちらから↓

http://www.realist.jp/clausewitz-business.html



奥山真司のアメリカ通信LIVE


http://ch.nicovideo.jp/strategy
奥山真司のアメリカ通信LIVE

https://www.youtube.com/user/TheStandardJournal



Commented by touge at 2015-03-23 21:48 x
自伝、数年前に古本の購入を考えていましたが、高かった(4000円くらい)のであきらめました。この機会に、どこかが文庫で出してくれることを期待してます...
Commented by えんき at 2015-03-24 01:16 x
スハルトにすれば、スカルノの対蘭英闘争と共産党との癒着は、蒋介石の対日闘争と共産党との癒着と相似であり、その後支那で共産政権が樹立された鐵を踏まないように、スカルノを権力から引きずり降ろしたのでしょう。このスハルトの共産主義者に対する粛清こそが、東南アジアの共産化のドミノの可能性を消滅させたのであり、リー・クワンユーやマレーシアやイギリスの反共闘争などは、枝葉末節と言うべきでしょう。

とはいえ、スカルノもスハルトも、日本の申し子であった点では変わりがありません。スカルノは、大東亜戦争における日本の副戦争目的たる欧米勢力からの独立を追求しただけのことですし、スハルトはその基盤に立って、今度は日本の主戦争目的たる共産勢力の抑止を追求しただけのことですからね。だからこそ権力移譲は平和的に行われ、事実上の軟禁状態に置かれつつも、スカルノは国父としての地位は保つことができたのです。

スカルノもスハルトも、大東亜戦争で日本を敗北させ、インドネシア独立を危殆に瀕せしめた米英、そして戦後手の平を返したように、日本の戦争主目的たる共産主義勢力の抑止に躍起となった米英を、心底から軽蔑していたに違いありません。
Commented by 山田 at 2015-03-24 09:20 x
クラ地峡の計画が進んでたらシンガポールは国家としてどうなってたか興味がありますね。
Commented by kankan109 at 2015-03-30 12:39
こんにちは。いつもブログアップありがとうございます。大変勉強になります。

自分は先生の著書やCDを見て、非常に感動しました。
今では、「戦略の階層」を遊びや仕事に実践して有効性があるかを個人的に日記にして検証しております。

そこで、その日記をブログにして公開したいのですが、よろしいでしょうか?
by masa_the_man | 2015-03-23 20:36 | 日記 | Comments(4)