2015年 02月 18日
アイデンティティで悩むシンガポールの「中国人」 |
今日の横浜北部は朝から小雨で、気温もかなり低めです。今夜大雪になるとか。
さて、訳書のゲラ直しと確定申告が一段落したので、今日から本格的にブログとメルマガを再開します。
その第一弾として、昨日の生放送(http://live.nicovideo.jp/gate/lv208514155)でも触れたトピックの元記事の要約を。
シンガポールに住む「華人」が、中国本土から来た「中国人」とのアイデンティティの違いに戸惑いを見せているという興味深い内容です。
====
シンガポールの中国人問題
By タッシュ・アウ
●19世紀に建立されたシンガポールのダウンタウンにあるシアン・ホッケン寺院は中国の旧正月を迎え、普段にも増して華美な様子となっている。
●この時期は普段寺院などに行くこともない私のような人物でさえ、自分たちの伝統的な習慣を守るろうと努力するほどだ。
●このようないかにも中国的な場所で問題を考えるのは不思議な感じがするが、現在のシンガポールで生きるということは、つまり「中国人であること」に対して疑問を差し挟むことにつながるのだ。
●世界政治で台頭すると同時に中国は中国の文化や民族性というものを輸出しているのだが、これが海外の中国人コミュニティーの中で新たな緊張を生み出している。
●たとえば以前のシンガポールでは、中国系の人々は大まかに「中国人」(zhongguo ren)、あるいは「華人」(hua ren)と呼ばれており、前者は中国本土で生まれたり国籍をもっているひと、そして後者は民族・文化的な意味での中華系の人という違いがあるもの、その違いはあまり関係ないと思われていた。
●ところがシンガポールでは、この微妙な違いが中国人問題を考える際の核心になりつつあるのだ。
●シンガポールの人口の75%は中華系であり、そのほとんどが中国南部の閩南語を話し、19世紀前半に福建省から当時イギリスの植民地であった土地に移民してきた人々の子孫である。土着のマレー人と移民のインド人たちも19世紀にやってきており、彼らもこの土地の中で重要なコミュニティーを築いた。
●ところがシンガポールの建国において最も決定的だったのは、やはり圧倒的な数を占めていた中華系の存在である。
●1965年にシンガポールは独立したてのマレーシアから分離したのだが、これは中華系やその他の少数派の人々の処遇について、マレー系が多数派を占めるマレーシアの中央政府の敷くゆるい連邦制では意見が合わなかったためである。
●現在ではこの小さな中華系の少数民族居住地は、隣の資源の豊富なマレーシアよりも一人あたりのGDPにおいては5倍の規模を誇るようになっている。
●ところが現代のシンガポールではまさにこの経済力の台頭そのものが「中国人」というアイデンティティに疑問をもたらすようになってきたのだ。
●2013年にシンガポール政府は、2030年までに現在の530万人の人口を最大690万まで増やして経済成長を維持するという計画を記した白書を発表している。
●ところがこれほど人口密度の高い小さな島国でこのような計画は無理であるとして、激しい議論やデモまで発生した。現在のシンガポールの出生率の低さから考えると、この数を達成するには移民に頼るしかなく、必然的にこれは中国本土からということになる。
●一見すると、このような文化的融合には問題がないように思える。なぜならシンガポールの教育システムでは北京語(マンダリン)が英語に次ぐ第二公用語として扱われており、ほぼ50年前には香港や台湾で使われている繁体字ではなく、本土にならって簡体字を採用しているからだ。
●1970年代後半には政府が雑多な方言を禁止し、北京語を話すことを奨励するキャンペーンを開始している。儒教、仏教、道教に根ざした慣習や食べ物などの共通性もあるために問題がないとされたのだ。
●ところがシンガポールの中国系の人々と本土からの人々の間には大きな文化的隔たりは残った。その原因は現在の社会的な価値観と、まさに同化させようとした言葉そのものにあったのだ。
●たとえばシンガポールの活発なネット系メディアでは、本土からの移民に対する偏見が見られており、シンガポール側の人々は本土の中国人のことを下品で野蛮だと不満を訴えることが多い。
●たとえば最近シンガポールのネットで激論を巻き起こしたのは、綺麗な地下鉄の駅の床で用を足している中国本土から移民と思われる「中華人民共和国の女」(PRC woman)をめぐっての一件だ(※閲覧注意)。
●中国からの移民たちは逆にシンガポールの人々の扱いを冷淡であったり、北京語のしゃべりが下手なことが不満であり、「シンガポールの中華系は本物の中国人ではない」と感じているという。
●この緊張の結果が「双方向の外人嫌い」であり、同じ漢民族でありながら相手のことを「人種差別主義者だ」と非難する事態になっている。
●予測通りとして、これは文化的なアイデンティティの問題を引き起こすことになった。
●シンガポールの日常語は「シンガポール・マンダリン」という雑多な方言から英語の言葉まで取り入れた中国語なのだが、これはメディアで公式に使われている北京の「普通語」になる代わる見込みはない。
●とくに閩南語の方言はいまだに根強く、学校では北京語で教えて中国本土の生徒も受け入れるように指導されているのだが、主に富裕層から成り立っている中華系のシンガポール人は、中国語よりも英語のほうを気軽に使っている状態なのだ。
●日常でみかける中国本土の影響は逆にシンガポールの人々のアイデンティティを強めることになり、彼らは自分たちのことを「中国本土から来た人々の子孫」とは考えなくなってきたのだ。
●シンガポールの中華系の人々は過去に自分たちの中国人としてアイデンティティをマレーシアに対抗する意味で作ったのだが、今日の彼らは自分たちを中国から引き離そうとしている。
●私のシンガポールの中華系の友人は日中間で尖閣問題による緊張が高まっていた去年の秋に日本へビジネスで行ったのだが、彼が私に教えてくれたのは「ぼくは自分が中国人ではなくてシンガポール人であることをまず日本人たちに知らせなきゃいけなかったんだ」ということだった。
●ところがシアン・ホッケン寺院で、私はいままさに旧正月の伝統的な儀式に参加しようとしているのであり、自分の周囲が中国らしさにあふれていることを否定できない。
●私が(北京語で)話したシンガポールの中華系の人々のほとんどは、いまだに自分たちのことを「華人」と認めていたり、中国とのつながりのある習慣や伝統を受け継いでいる。
●ところがこれらの伝統を新たな国家アイデンティティにつくりかえる中で、シンガポールの中国移民たちは単一の「中国人」というアイデンティティに疑問を呈するような複合的な文化を生み出したのだ。
===
生活水準が違っているところに(自分たちのルーツとはいえ)同じアイデンティティと思われていた生活水準の低いところから来た人がくることのギャップが生じているという点ですね。
たしかにシンガポールは中華圏の中でも異様な成功を収めたところですから、このようなギャップが生まれるのも無理はないのかもしれませんが。
それにしてもネットという新しいテクノロジーは、いままで見れなかった文化的な摩擦を可視化(例:PRCの女)したことによってアイデンティティ構築に貢献しているという意味では影響力が大きいですね。
来月早々に発売する本の中に出てくる「軍事における革命」(RMA)の議論でもありましたが、テクノロジーは「戦場の霧」を解消する方向に動くと思いきや、それが新たな摩擦を生み出す働きもするわけです。
シンガポール建国や、その際のリー・クワンユーの話などについては、私が翻訳したカプランの『南シナ海』の「シンガポール」の章にも簡潔かつ詳しく書かれておりますので、興味のあるかたはぜひそちらもご参照ください。


http://ch.nicovideo.jp/strategy

https://www.youtube.com/user/TheStandardJournal
さて、訳書のゲラ直しと確定申告が一段落したので、今日から本格的にブログとメルマガを再開します。
その第一弾として、昨日の生放送(http://live.nicovideo.jp/gate/lv208514155)でも触れたトピックの元記事の要約を。
シンガポールに住む「華人」が、中国本土から来た「中国人」とのアイデンティティの違いに戸惑いを見せているという興味深い内容です。
====
シンガポールの中国人問題
By タッシュ・アウ
●19世紀に建立されたシンガポールのダウンタウンにあるシアン・ホッケン寺院は中国の旧正月を迎え、普段にも増して華美な様子となっている。
●この時期は普段寺院などに行くこともない私のような人物でさえ、自分たちの伝統的な習慣を守るろうと努力するほどだ。
●このようないかにも中国的な場所で問題を考えるのは不思議な感じがするが、現在のシンガポールで生きるということは、つまり「中国人であること」に対して疑問を差し挟むことにつながるのだ。
●世界政治で台頭すると同時に中国は中国の文化や民族性というものを輸出しているのだが、これが海外の中国人コミュニティーの中で新たな緊張を生み出している。
●たとえば以前のシンガポールでは、中国系の人々は大まかに「中国人」(zhongguo ren)、あるいは「華人」(hua ren)と呼ばれており、前者は中国本土で生まれたり国籍をもっているひと、そして後者は民族・文化的な意味での中華系の人という違いがあるもの、その違いはあまり関係ないと思われていた。
●ところがシンガポールでは、この微妙な違いが中国人問題を考える際の核心になりつつあるのだ。
●シンガポールの人口の75%は中華系であり、そのほとんどが中国南部の閩南語を話し、19世紀前半に福建省から当時イギリスの植民地であった土地に移民してきた人々の子孫である。土着のマレー人と移民のインド人たちも19世紀にやってきており、彼らもこの土地の中で重要なコミュニティーを築いた。
●ところがシンガポールの建国において最も決定的だったのは、やはり圧倒的な数を占めていた中華系の存在である。
●1965年にシンガポールは独立したてのマレーシアから分離したのだが、これは中華系やその他の少数派の人々の処遇について、マレー系が多数派を占めるマレーシアの中央政府の敷くゆるい連邦制では意見が合わなかったためである。
●現在ではこの小さな中華系の少数民族居住地は、隣の資源の豊富なマレーシアよりも一人あたりのGDPにおいては5倍の規模を誇るようになっている。
●ところが現代のシンガポールではまさにこの経済力の台頭そのものが「中国人」というアイデンティティに疑問をもたらすようになってきたのだ。
●2013年にシンガポール政府は、2030年までに現在の530万人の人口を最大690万まで増やして経済成長を維持するという計画を記した白書を発表している。
●ところがこれほど人口密度の高い小さな島国でこのような計画は無理であるとして、激しい議論やデモまで発生した。現在のシンガポールの出生率の低さから考えると、この数を達成するには移民に頼るしかなく、必然的にこれは中国本土からということになる。
●一見すると、このような文化的融合には問題がないように思える。なぜならシンガポールの教育システムでは北京語(マンダリン)が英語に次ぐ第二公用語として扱われており、ほぼ50年前には香港や台湾で使われている繁体字ではなく、本土にならって簡体字を採用しているからだ。
●1970年代後半には政府が雑多な方言を禁止し、北京語を話すことを奨励するキャンペーンを開始している。儒教、仏教、道教に根ざした慣習や食べ物などの共通性もあるために問題がないとされたのだ。
●ところがシンガポールの中国系の人々と本土からの人々の間には大きな文化的隔たりは残った。その原因は現在の社会的な価値観と、まさに同化させようとした言葉そのものにあったのだ。
●たとえばシンガポールの活発なネット系メディアでは、本土からの移民に対する偏見が見られており、シンガポール側の人々は本土の中国人のことを下品で野蛮だと不満を訴えることが多い。
●たとえば最近シンガポールのネットで激論を巻き起こしたのは、綺麗な地下鉄の駅の床で用を足している中国本土から移民と思われる「中華人民共和国の女」(PRC woman)をめぐっての一件だ(※閲覧注意)。
●中国からの移民たちは逆にシンガポールの人々の扱いを冷淡であったり、北京語のしゃべりが下手なことが不満であり、「シンガポールの中華系は本物の中国人ではない」と感じているという。
●この緊張の結果が「双方向の外人嫌い」であり、同じ漢民族でありながら相手のことを「人種差別主義者だ」と非難する事態になっている。
●予測通りとして、これは文化的なアイデンティティの問題を引き起こすことになった。
●シンガポールの日常語は「シンガポール・マンダリン」という雑多な方言から英語の言葉まで取り入れた中国語なのだが、これはメディアで公式に使われている北京の「普通語」になる代わる見込みはない。
●とくに閩南語の方言はいまだに根強く、学校では北京語で教えて中国本土の生徒も受け入れるように指導されているのだが、主に富裕層から成り立っている中華系のシンガポール人は、中国語よりも英語のほうを気軽に使っている状態なのだ。
●日常でみかける中国本土の影響は逆にシンガポールの人々のアイデンティティを強めることになり、彼らは自分たちのことを「中国本土から来た人々の子孫」とは考えなくなってきたのだ。
●シンガポールの中華系の人々は過去に自分たちの中国人としてアイデンティティをマレーシアに対抗する意味で作ったのだが、今日の彼らは自分たちを中国から引き離そうとしている。
●私のシンガポールの中華系の友人は日中間で尖閣問題による緊張が高まっていた去年の秋に日本へビジネスで行ったのだが、彼が私に教えてくれたのは「ぼくは自分が中国人ではなくてシンガポール人であることをまず日本人たちに知らせなきゃいけなかったんだ」ということだった。
●ところがシアン・ホッケン寺院で、私はいままさに旧正月の伝統的な儀式に参加しようとしているのであり、自分の周囲が中国らしさにあふれていることを否定できない。
●私が(北京語で)話したシンガポールの中華系の人々のほとんどは、いまだに自分たちのことを「華人」と認めていたり、中国とのつながりのある習慣や伝統を受け継いでいる。
●ところがこれらの伝統を新たな国家アイデンティティにつくりかえる中で、シンガポールの中国移民たちは単一の「中国人」というアイデンティティに疑問を呈するような複合的な文化を生み出したのだ。
===
生活水準が違っているところに(自分たちのルーツとはいえ)同じアイデンティティと思われていた生活水準の低いところから来た人がくることのギャップが生じているという点ですね。
たしかにシンガポールは中華圏の中でも異様な成功を収めたところですから、このようなギャップが生まれるのも無理はないのかもしれませんが。
それにしてもネットという新しいテクノロジーは、いままで見れなかった文化的な摩擦を可視化(例:PRCの女)したことによってアイデンティティ構築に貢献しているという意味では影響力が大きいですね。
来月早々に発売する本の中に出てくる「軍事における革命」(RMA)の議論でもありましたが、テクノロジーは「戦場の霧」を解消する方向に動くと思いきや、それが新たな摩擦を生み出す働きもするわけです。
シンガポール建国や、その際のリー・クワンユーの話などについては、私が翻訳したカプランの『南シナ海』の「シンガポール」の章にも簡潔かつ詳しく書かれておりますので、興味のあるかたはぜひそちらもご参照ください。


http://ch.nicovideo.jp/strategy

https://www.youtube.com/user/TheStandardJournal
by masa_the_man
| 2015-02-18 11:00
| 日記