戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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私はシャルリー・エブドではない

今日の横浜北部はよく晴れております。

今夜の生放送(http://live.nicovideo.jp/gate/lv205842882)でもとりあげるトピックとして、NYタイムズ紙の保守派、ディヴィッド・ブルックスが、今回の一連のフランスのテロ事件についてかなりまともなことを書いておりましたので、その記事の要約を。

この記事の内容については今夜とりあげます。

====

私はシャルリー・エブドではない
by ディヴィッド・ブルックス

●シャルリー・エブド誌のジャーナリストたちは言論の自由の「殉教者」として祝福されるべき存在であることは間違いない。だが、この事実だけは言っておくべきだ。

もし彼らが過去20年間においてあのような風刺的な新聞をアメリカの大学のキャンパスで出版しようとしたら、即刻出版禁止であろう。学生や教官たちも、彼らをヘイトスピーチだとして非難するはずだ。大学は彼らの予算をカットして閉鎖に追い込むことになる。

●パリでの事件にたいする大衆の反応を見てみると、多くの人々がフランスのイスラム系テロリストたちの考えを攻撃した人々のことを不相応に特別扱いして賞賛しているが、その彼らも自分たちの考えに攻撃してくるような発言をする人々にたいしては非寛容だといえる。

●その一例が、ごく小さな規模で行われている大学のキャンパスでの攻撃にたいする反応だ。

●たとえばイリノイ大学はローマ・カソリックのホモセクシャルについての見解を教えた教授を解雇している。カンザス大学は全米ライフル協会にたいしてツイッターに厳しい意見を書いた教授を停職にしている。ヴァンダービルト大学は「キリスト教徒がリーダーになるべきだ」と主張したキリスト教団体を不認可にしている。

●アメリカは預言者モハンマドを馬鹿にした漫画を掲載したシャリル・エブド誌を勇気があるとして賞賛するかもしれないが、元イスラム教徒で無神論者のアヤーン・ヒルシ・アリのスピーチを拒否することが多い。

●よって、今回の一件は教訓を得るチャンスかもしれない。パリで殺害された漫画家や編集者たちによってわれわれはショックを受けたが、同時にわれわれは、アメリカ国内の議論を呼ぶ人物や扇動家、そして風刺家たちへの対処の仕方について、もっと非偽善的なアプローチを考えるべきであろう。

●まず最初に言うべきことは、われわれのほとんどが「私はシャルリー・エブドだ」と主張するのは誤りであるということだ。そもそもわれわれのほとんどは、あの雑誌が得意としていたような意図的に不快感を生むような類のユーモアを楽しむような人間ではない

●もちろんわれわれが13歳であったら、「ブルジョアを倒せ」といいながら権威に立ち向かって、他人の宗教的信条を馬鹿にすることは「大胆不敵だ」として賞賛されるかもしれない。

●ところが年をとると、それは幼稚なことに思えてくる。われわれのほとんどは、現実がより複雑なものであるという見方をするようになるし、他者を許せるようになってくるものだ(とくに自分自身の馬鹿さ加減に気づくようになると、人を馬鹿にすることはそれほど楽しいものではなくなる)。

●われわれは他者が信じている信仰や考えにはささやかな尊敬をしようと努力するようになるものであるし、それを侮辱するよりも相手の言うことを聞いてみようとするものだ。

●ところが同時にわれわれのほとんどは、扇動者や目立った風変わりな人物が、実に有益な公的な役割を果たすことも知っている。

●風刺家や嘲笑家たちはわれわれが誇りを感じているときにもわれわれの弱さやうぬぼれを暴き出すものだ。彼らは成功者の慢心に釘を刺すのである。彼らは最底辺を持ち込むことによって、社会の不平等の凸凹をならしてくれるのだ。

●うまく効果を発揮すれば、笑いはわれわれの共同体的な短所の問題を解決してくれることになる。笑いというのはわれわれが連帯感を感じることができる究極の経験だからだ。

●さらにいえば、扇動家や嘲笑家たちは、原理主義者たちのバカらしさを暴くものだ。原理主義者というのはすべてを文字通りに受け取る人々のことであるが、多面的なものごとの見方をできない。彼らは自分たちの宗教が最も崇高だと考えつつも、ほとんどの宗教が一種奇妙なものであるということを理解できないのだ。

●嘲笑家たちは、自分たちのことを笑えないような人々の存在を暴き、その周囲のわれわれにたいしてそれを笑うべきものであると教えるのだ。

●端的にいって、扇動家や嘲笑家たちのことを念頭に考えると、われわれは最低限の礼節やリスペクトというものを維持したいところが、同時に良いマナーや嗜好というものに左右されない、クリエイティブで挑発的な人間たちが活動する場というものものつくっておきたい。

●このような微妙なバランスを法律や放送コード、それに出演禁止などで崩そうとすると、それは結局あからさまな検閲や、何も言えないような空気を生むことになるだけだ。スピーチを規制したり、演説の内容を規定したり、演者を拒否したりするのは、常に誤りである

●幸運なことに、社会マナーというのは法律や規定などよりははるかに柔軟なものであり、ほとんどの国は礼節や尊敬についての基準をうまく維持しつつ、面白くて下品で挑発的な人間が発言できる場を与えているものだ。

●ほとんどの国の社会では、大人のテーブルと子供のテーブルがわけられている。ル・モンドのようなエスタブリッシュメントの新聞などを読む人は大人のテーブル、道化師や芸人、それにアン・クールターやビル・マーのような人々は子供のテーブルだ。

●彼らは完全な尊敬を勝ち得るわけではないが、それでも彼らの無鉄砲な姿勢からその発言を聞いてもらえるのだ。彼らは時として、誰も言わないが言う必要があることを言うのだ。

●いいかえれば、健全な社会というのは、発言を抑制せずに、様々な人に様々なことを言わせることができる社会のことだ。

●懸命で思いやりのある学者は高い尊敬と共にその発言を聞き入れられる。嘲笑家たちは困惑したような半分の尊敬によってその発言を聞かれる。そしてレイシストや反ユダヤ主義の人間たちは、非難や憎悪というフィルターを通して聞かれることになる。

●このようなフィルターがいやな人間は、彼ら自身の行為をあらためる必要があるのだ。

●シャルリー・エブド社での虐殺事件は、スピーチの規制を終わらせるチャンスとしなければならない。そしてこの事件は、われわれに法律的には攻撃的な声には寛容ながら、社会的にはそれを許さないような姿勢が大切であることを思い起こさせるべきなのだ。

===

一般的な日本人の感覚として、「他の宗教の開祖を馬鹿にするのはやっぱまずいようねぇ」という感覚があるわけですから、どうも300万人以上でデモする感覚というのは理解しがたいのかと。

ただし「発言の自由」というのも彼らが長年血を流して獲得してきた、ある一面では自分たちの宗教よりも大切な「世俗的な宗教」の原則(クリード)ですから、見方によれば両方とも思想・イデオロギーの対立という意味では一緒かと。

向こうの知識人は一様に否定してますが、ここではやはり「文明の衝突」という要因が大きいですね。





奥山真司のアメリカ通信LIVE


http://ch.nicovideo.jp/strategy
奥山真司のアメリカ通信LIVE

https://www.youtube.com/user/TheStandardJournal



Commented by 待兼右大臣 at 2015-01-14 00:07 x
小室直樹氏は、「『宗教をある外的行動を支える内的規範(記憶モード)』と宗教をマックスウェーバー流に捉えれば、イデオロギーも宗教に含めることができる」として『ソビエト帝国の崩壊』で共産主義を宗教と同値のものとして論じていました。

『地政学の逆襲』にあるとおり、地理は気候と交通路を形成し、前者は宗教・イデオロギー・文明を育み、後者はそれらの交流(衝突)をもたらすといえます。

我が国はモンスーン気候であり、その点からも(温帯と熱帯との差はあっても)同じモンスーン気候であるインドで生まれた仏教とは親和性が高いのですが、パレスチナの大地やアラビア半島で生まれたユダヤ教・キリスト教・イスラム教の同族嫌悪というべき一神教的価値観は「ミリンダ王の問い」のように難問です。

「異教徒」という「同格」の他者を認めることができないというというのがそれら一神教の宿命というのであれば、彼らだけで「十字軍」なり「ジハード」なり勝手にしろ(ただし、その他の宗教圏には迷惑をかけるな)というのが率直な感想です。

『聖☆お兄さん』は日本国内だからこそ成立する漫画であるということを大抵の日本人は直感的に理解していますし(それでも、仏陀とキリストに対する最低限のリスペクトはある)、また、『聖☆お兄さん』をわざわざ外国語に翻訳してキリスト教圏で販売しようとは思わないという程度の「良識」は持ち合わせています
(それでも「ヘルシング」の英訳版が出版されたのは吃驚しました)
Commented by 待兼右大臣 at 2015-01-14 00:14 x
小室直樹氏は「思想信条の自由は面従腹背の自由」と言っていましたが、イスラム教にはそれがないといっていました(記憶モード)。裏を返せば、キリスト教と仏教はそれがあるということです。

つまり、内心と行動の一致が求められるということです。この点からすれば、イスラム教と(精神的)自由権というものは根本的に相性が悪く、均衡点が用意に見つからないのかもしれません。
Commented by 待兼右大臣 at 2015-01-14 23:05 x
追加ですが、『花の慶次』という漫画に

「人には触れてはいけない部分がある。
 そこに触れれば命のやり取りしか
 残らない❗」(記憶モード)

と真田幸村が啖呵を切る場面がありますが、
今回もそんな感じではないでしょうか。

幸村の場合は、相手が事情を知らないので、
相手も可哀想なのですが、今回は事情を知った
上でのことですから「炎上商法」のリスク
管理に失敗ということでしょう
Commented by nemo at 2015-01-15 06:04 x
思っていた事を代弁してくれたような記事なので、こういう意見がはっきりと表に出てきている事を大変嬉しく思います。

以前の、北朝鮮をテーマにした映画「ザ・インタビュー」の事件の時も、「そもそも一国の指導者が暗殺される様を笑い事にする映画を作るというのが下品極まる」と思っていたのですが、そういう見解は殆ど見る事がなく、残念でした。今回の事件ではちゃんと、他人を傷つける事自体の是非も考える方がいて少しだけ世界に期待が持てました。

勿論、だからといってテロが許されるわけではないと思いますが。その辺りも、記事の中で述べられているものに全く同感です。
Commented by 無花果 at 2015-01-15 16:24 x
フランスが守りたいものは、表現や言論の自由ではないですね。彼らの得た新たな信仰たる「教会に禁じられていたことをする自由」だと思います。
ですから、信仰への冒涜が無価値で下品であればあるほどフランスにとっては意味があったのでしょう。共感はできませんが。
こんな騒ぎも起き始めているようですし。

apologie d'acte terroriste : un homme condamné à six mois de prison ferme en Isère
//www.midilibre.fr/2015/01/14/apologie-d-acte-terroriste-un-homme-condamne-a-six-mois-de-prison-ferme-en-isere,1110773.php
Commented at 2015-01-15 16:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by かつみ at 2015-01-16 13:12 x
イスラムを嗤う同じ数だけローマ法王も嗤うなら許せますがね
Commented by 無花果 at 2015-01-16 19:27 x
イアンブレマーのツイッターでも流れていましたが、例の「各国首脳の大行進」はやらせだったようですね。
//twitter.com/ianbremmer/status/554752108545970178

数人が死亡する程度のテロなら数日前にフランスでも起きていましたし欧州では有り触れていましたが、このテロだけを「特別」扱いすることで、どこへ向けた流れを作ろうとしているのか、とても気になるところです。
あくまで宗教による差別は存在しない、という建前を守りつつ現代のレコンキスタが始まっていたりするのでしょうか。
Commented by アメリカ大好き at 2015-01-17 12:28 x
一神教と対照的に仏教は~って仏教徒も他宗教排斥、同族嫌悪してきた血の歴史ですが。自称寛容な仏教()に対する宗教認識大丈夫ですかね。
Commented by アメリカ大好き at 2015-01-17 12:39 x
無花果さん、現代日本人にはただ座禅組んでる平和の象徴でしかない禅という宗派はかつて大東亜戦争を邁進していたりしてたましたね。当時はある意味、日本人の対欧米に対するレコンキスタですね。
Commented by 待兼右大臣 at 2015-01-18 23:22 x
一つ誤解があったようです。
イスラム教とキリスト教との対立ではなく、

宗教と反宗教(ライシテ)との対立

のようです。
反宗教という点でライシテと共産主義とは共通しており、また、宗教とイデオロギーを同一線上で扱う必要があるという最初の投稿に戻ります。

さらに、「反」という範囲内で排他的であり、一神教的排他性と鏡像をなしており、その意味で、共産主義と同じく

ライシテもキリスト教の鬼子

であり、一神教の同族嫌悪と言うのも可能です
Commented by のっと at 2015-01-24 11:38 x
ただイスラム教徒にも今回の風刺画を批判する勢いで、ボランティアの首を切ったり女子児童を拉致する過激派に対して抗議して欲しいと思いますね
毎回思いますが、ムハンマドを侮辱された時と比べてちょっとささやか過ぎます
Commented by サトウ at 2015-01-25 13:57 x
ここのところtwitter界隈ではイスラム国の人質事件に対して「クソコラ祭り」なる運動が展開されています
それについて日本では不謹慎だ挑発するなという声がある一方、外国のメディアでは肯定的にとらえる声も紹介されています
これらの現象・分析について「プロパガンダ」という切り口で奥山さんのコラムを読んでみたいな
と思って一言足跡を残しに来たのですが、もうすでにいろいろとリツーイとされてますね・・・失礼しました
これは大いに期待してもいいということでしょうか?(笑) 楽しみに待っています
Commented by masa_the_man at 2015-01-25 22:29
サトウさんへ

>ここのところtwitter界隈ではイスラム国の人質事件に対して「クソコラ祭り」なる運動が

要約を載せようと思っておりました。明日の昼までになんとか。コメントありがとうございました
Commented by ミヒルマセツ at 2015-02-26 03:27 x
「私はシャルリーではない」なんて、そんな発言は許されません!!! このような発言は言論の自由というようなものではないのです!!!

世界の市民全員が「私はシャルリー」というべきなのです。
私自身も、パリ大行進に共感を示すために、去年の9月からフランス国旗のカバンをずっと持ち歩いています。
by masa_the_man | 2015-01-13 15:18 | 日記 | Comments(15)