ドイツの新しい反ユダヤ主義:リベラルのパラドクス |
さて、ニコニコ動画の生放送(http://ch.nicovideo.jp/strategy/live)でも触れたドイツの新しい反ユダヤ主義の台頭についての記事の要約を。
今回の記事について番組中で触れたところはYoutube(http://youtu.be/TU5nQH985W8)の方にも公開しておりますので、ぜひ御覧ください。
それにしてもなかなか考えさせられる話です。
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ドイツの新しい反ユダヤ主義の背景にあるのは?
byヨッヘン・ビットナー
●ヨーロッパは反ユダヤ主義の新たな波にさらされている。ドイツの「ユダヤ人中央協議会」の代表は、ヨーロッパにおいて第二次大戦以来の最悪の状態だと述べているほどだ。
●彼の見立てはおそらく正しい。シナゴーグ(ユダヤ教寺院)への攻撃はほぼ毎週発生しており、ロンドンからローマまであからさまに反ユダヤ的な掛け声がデモから聞こえる。ところが反ユダヤ主義が歴史的に最も傷跡を残したのは、ここドイツなのだ。
●先週の日曜日には、これに対抗する形でベルリンで反ユダヤ主義を拒否するための集会が開かれ、ここにはメルケル首相とガウク大統領が参加している。
●もちろんこのようなことは以前にあったことだ。ところが今回がいままでのものと違うのは、新しい反ユダヤ主義がネオ・ナチのような白人至上主義者によって扇動されたものではないということだ。
●ヨーロッパの多くの人々が直面したくない不都合な真実は、今回の反ユダヤ主義に向かう嫌悪感は、ヨーロッパに住むイスラム系の人々から発生しているということだ。
●つい最近までドイツはこのようなトレンドについてあまり積極的に議論しようとはしていない。ドイツ人たちはイスラム教徒たちの反ユダヤ主義を「オリジナル」のバージョンよりも問題が少ないものだとみなしており、社会の多数の人々は気にもかけていなかった。
●ところがドイツの警察が気付き始めたのは、近年に入ってからアラブ系やトルコ系の移民の子孫が反ユダヤ的な行為をして逮捕される数が劇的に増えてきつつあるということだ。しかもその数はここ数ヶ月間でとくに上昇しているという。
●移民の学生たちの間で反ユダヤ主義が急激に上昇している警戒すべき傾向に気付いたドイツ政府は、ホロコースト教育に特別財源をつけて強化することを検討している。
●もちろん反ユダヤ主義はヨーロッパのイスラム系の人々だけに由来するものではないし、今日それを推進しているのは彼らだけではない。伝統的な極右の反ユダヤ主義は生きている。また、極左の反ユダヤ主義は、パレスチナの自由を求める戦いに同情する心情の副産物として存在する。
●また中道派の人々にも、反米主義や反資本主義に沿ったかたちで反ユダヤ主義が存在する。
●ところがイスラム系の反ユダヤ主義の台頭は、ドイツにおける最近の憎しみのトーンの変化によるものだ。つい最近まで、この国の反ユダヤ主義はほぼ間接的な匿名的なものであった。
●そのような主張は、夜中に壁に落書きされる程度で、昼間にだれかが堂々と反ユダヤ主義を叫ぶの聞くことはなかったのだ。
●ところが七月にベルリンで行われたデモでは参加者たちが「ユダヤ人たちをガス室に送れ!」、「臆病な豚のユダヤ人たちよ、一人で出て来て戦ってみろ!」と叫んでいたのである。しかも彼らは、これをホロコースト記念館のすぐそばで行っていたのだ。
● これはいままでのものと大きな違いを見せている。最近の反ユダヤ主義は、単に情熱的なものだけでなく、ドイツの特殊な歴史事情にも関係なく行なわれているものだからだ。
●私のイスラム系の友人に話を聞いてみると、私はそれらが「犠牲者の立場を利用したもの」であるという感想を禁じ得ない。この感覚は、ヨーロッパのイスラム系のあまりにも多くの人々が熱心に主張している「不利な立場にある」という鬱屈した感情なのだ。
●しかもこれは、「人種差別の犠牲者である人たちの持つ、人種差別の引き起こす嫌悪感」という社会科学的な解説では説明が足りない。
●もちろんヨーロッパではイスラム系に対する差別や排斥が存在するし、彼らの多くがそれを不満に感じるだけの理由も確実にある。ところがこのような感情は複雑であり、彼ら自身が自分たちや近所の人々のことをどのように感じるかというだけでなく、自分たちと国の関係についてどのように感じるかという点にも関係してくるのだ。
●これには二つの段階がある。まず移民たちにとってドイツの歴史は「私の歴史」ではない。そして私はあなたの国家には完全に属しているわけじゃないので、あなたたちの責任問題には関係ないですよ、ということなのだ。
●両親がトルコ出身の私の友人の一人が私に教えてくれたのは、ドイツの学校でホロコーストを教わったときに、自分の身には全く関係のないことだと感じたという。ブロンドの髪を持っているが、一九七三年に生まれた自分のような人間についても、これはまったく同じ感想だ。
●ここで重要なのは、それが個人的な問題ではないということだ。われわれの血の中にはないが、われわれの歴史の中にあり、その中に移民たちも合流しつつあるということだ。
●ドイツ人にとって、ホロコーストの責任を受け入れるということは、そのおぞましい記憶を他のどの国民よりも生かし続けるということであり、その理由は単純にそのような犯罪がわれわれの住む土地から発生したということだからだ。
●それだけの話なのだが、少くともこの事実はこの国のすべての国民に自覚してもらうべきことであり、それはその人々の両親がどこから来たのかということに関係がない。
●今年の夏に明確になったのは、「古い」ドイツ人たちはこのメッセージを「新しい」ドイツ人たち全員にうまく浸透させきっていないということだ。
●もちろん感情的にはこれは理解できるものだ。先祖代々のドイツ人たちは実際にナチスに属していた家族を持っていたのであり、その事実を他人にどのように受け取られるのかについて気にしなければならない状態が続いているからだ。
●ところがホロコーストの教訓は人類の教訓でもある。そしてこれはすべてのドイツ人がいつでもどこでも明確にしなければならないことであり、しかもそれは親がどこから来たのかという点においても関係なく行なわれるべきことなのだ。
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移民政策の負の遺産ですね。
著者のビットナー氏はこれをリベラル的な発想で乗り切るしかないと認めて、「ドイツ人になるんだったらドイツの負の歴史も一緒に背負うべきだ」という感覚ですが、私はこれに関して根本的な解決法はないというのが正直な感想です。
なんというか、反ユダヤ主義をやって反省してリベラルになったドイツが、移民というリベラルな政策を実行して非リベラルな事態に直面して当惑しているというのは、なんともいえず「パラドックス」です。
これについてメルマガ(http://ch.nicovideo.jp/strategy/blomaga)でも少しコメントしてみましたのでよろしければぜひ。
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