戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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再掲:COINの保守派と十字軍派、その2

昨日のエントリーの続きです。

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さて、すでにお知らせした、うちの大学の学部がイギリス国防省と共催した「対暴動」(Counter Insurgency: COIN)の戦略のセミナーについての続きを書きます。

現ブッシュ政権がイラクで実行している「サージ」という作戦のブレーンであるジョン・ネーグルの発表が終わってから、質疑応答の時間になりました。

ここで最初に質問したのは私の先生だったのですが、これはまさに私が以前のエントリーで紹介した議論の内容とそっくりで驚きました。

まずネーグルのほうはいわゆる「クルセーダース」と呼ばれる、「陸軍を全面的に文化学習させろ!」という主張をする陣営でして、陸軍の組織改革(対暴動能力の強化)を全面に押し進めようとする側。

ところが私の先生の意見は「保守派」と呼ばれ、「陸軍は戦う組織でなければならない」と主張して、既存の武器システムなどは残し、そんなに劇的な改革は必要ないとする陣営に入ります。

今月号のアトランティック誌で紹介された論争というのは、このような対立軸を中心にして行われていたわけですが、うちの先生もこの事例に漏れず、ネーグルの議論を聞いて自分がジェンティールと同じ「保守派」に属することを察知したらしく、

「ちょっと待て、君が私のマスターコースの生徒だったら落第だ!」

といきなり失礼なことを言ったのです(苦笑

これにはさすがのネーグルも面食らった様子でしたが、とりあえずうちの先生の言うことを最後まで聞いてみようということに決めたようで、神妙な顔つきで聞いておりました。

まず私の先生の主張ですが、以下のようにいくつかの要点をあげました。

1、戦略は創造的な活動である
2、戦略は勝つための理論だ
3、戦争(war)と戦闘行為(warfare)は違う
4、ドクトリン(doctrine)と理論(theory)は違う
5、戦争の本質(nature)と様相(character)は違う

まず最初の1と2については完全に先生の主張する単なる前置きとしての主張だったのですが、問題は3〜5の三つです。

とくに先生側としては主張したかったのは5の部分でして、ネーグルの主張はまるで論敵であるマーチン・ファン・クレフェルトの「時代が変わってクラウゼヴィッツの理論は不要になった」という主張や、や、LSEのメアリー・カルドーらの「戦争の本質が変わってしまった」という議論と重なって聞こえるらしいのです。

クラウゼヴィッツ主義者の先生としては、これは許しがたいことなんですね(苦笑

また、3や4についてはネーグルがあまりにも「ドクトリン中心主義」になっていて、もっと高いレベル(=戦略)で物事を捉えていないと批判し、結局のところはあまりにもCOINだけに特化しようとするのはどうか?核の脅威だってあるし、グルジアで見られたように通常戦争だってあるはずだ、という保守派ならでは意見で締めくくっております。

それに対してネーグルはどう答えたのかというと、たしかに「戦争の本質」などの言葉使いには注意すべきであることを認めつつ、自分自身はウィリアムソン・マレーのような歴史的分析が一番重要であると思うと言い、最も気にかけているのは、いままでのように軍事(戦闘)力が決定的でなくなってきたこと、そして孫子のいうような「戦わずして勝つ」という部分である、ということでした。

またもう一つの反論として、ネーグルは米陸軍のCOIN対策への予算の配分がまだ全予算のうちの5%以下しか使われていないことを挙げており、これだけじゃあまりにも少ないからもっと投入しよう、というのが彼の真意であることを述べて、とりあえず決着ということになりました。

面白かったのは議論のあとの昼食の時間に、うちの先生とネーグルが仲良く連れ立って一緒に食事をしていたことですね。

私も二人の会話をそばで聞いていたのですが、「戦略文化」などの話をしていて、思ったより意気投合している様子でした。


by masa_the_man | 2014-04-22 07:00 | 日記 | Comments(0)