戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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クラウゼヴィッツは偉大なり

今日の横浜北部は朝から小雨が降っておりまして、一日中なんだかハッキリしない天気でした。今夜から一気に寒くなるとか。

さて、新年に入ってから生活スタイルを一気に朝型に変えておりまして、その過程でなぜかクラウゼヴィッツに縁のある翻訳作業をやったり、それに関連する書物を読みふけることになってしまいましたので、そこで感じたことを少し。

クラウゼヴィッツと言えば、泣く子も黙る『戦争論』の著者として有名なプロイセンの将軍のことですが、戦略学というか戦略研究(strategic studies)では、いまだにその存在を誰も越えることができない「不滅の存在」的な扱いを受けております。

ただし問題は、その著書が彼の死後、しかも未亡人となった奥さんの手によって未完成のまま出版されたということであり、さらにその難解な文章や言い回しによって、その偉大さは認められつつも、誤解を産んできた部分はしょうがないところがあります。

私は幸か不幸か、日本語でほとんど『戦争論』を読まずに、イギリスに留学してから英語版を通じて本格的に読み始めたという経緯があるため、どちらかといえば日本よりも実践的な意味で解釈されてきた英語圏のクラウゼヴィッツの考えかたを直接習ったわけですが、日本に帰ってきていざ『戦争論』の解説本などを読んだときの、その認識のギャップに驚いた記憶があります。

おそらく日本語で出ている『戦争論』の解説本としては最も質が高いのは、すでに絶版になっているこの本だと思うのですが、それでも実際に「活用」されている英語圏のものとはかなり毛色が違います。

とくに私が英語圏と日本の文献での解釈の違いとして具体的に気になっているのは、戦争の易不易を説いた、いわゆる「文法」(易)と「論理」(不易)の違いについての議論について、日本ではほとんど注目されていないのに、英語圏ではとくにRMA(軍事における革命)についての議論で大活用されている点が一つ。

二つ目は、「戦争の雰囲気」(climate of war)というものが、英語圏の文献ではきわめて重要だとみなされているのにたいして、日本語の文献ではほとんど言及されていないという点などです。

他にもクラウゼヴィッツが「二人」いることや、摩擦についての二つの概念の違いなど、注目されている部分が違うことを実感してしまうばかりですが、個人的に最近とくに気になっているのは、戦争の不確実性というか、国際政治の未来の不確実性について述べた部分。

ちなみに本日の日経新聞で北岡伸一氏が「安全保障の本質は、予測不可能性である」と述べておりましたが、これはまさにクラウゼヴィッツ的。

このあたりは少し話が長くなりそうなので、続きはまたそのうち詳しく書いてみます。


by masa_the_man | 2014-01-09 21:28 | 日記 | Comments(0)