2013年 12月 06日
マンデラ元大統領の「公然の秘密」 |
今日の横浜北部はまたまた晴れました。さすがに午前中は冷えているんですが、昼間の日差しでなんとか快適にすごせます。
さて、マンデラ大統領の訃報が届き、今朝からすでに話題になっておりますが、私が今年の前半にイギリスに行ったときに読んだ、マンデラ氏の晩年の様子を書いた興味深い記事の内容を、私がメモ書きしたものがありましたので、その要約を。
ヒーロー扱いされているマンデラ大統領ですが、実は自分の家庭が崩壊状態で大変みたいです。
===
戦争状態の家族:マンデラ家の内幕(←元記事発見しました)
2013年3月
マック・マハラジは数年前からマンデラ元大統領の「ボケ」が始まっていることに気づいていた。彼はマンデラと一緒にANC(アフリカ民族会議)という南アフリカの政党で50年も一緒に活動してきたが、最近のマンデラ氏(2013年のはじめ頃)は長年の親友である彼のことさえも忘れてしまったように思える。
「誰も口にはしないんですが、彼はボケてます」とはマハラジ氏の弁。彼はマンデラ氏の家族がマンデラ氏への直接の面会を認める数少ない人間のうちの一人だ。
マンデラ氏には3人の夫人がいる。現在の3番目の奥さんはグラサ・マシェルと言い、彼女がマンデラの身の回りの世話をしている。元モザンビークの元大統領夫人。マンデラ氏と結婚した時はすでに50代半ば。
マハラジ氏が最近マンデラ氏を訪れた時にはグラサ夫人が側にいたが、マンデラ元大統領はもう完全にボケていて、自分のことは誰だか気づいたような様子はなかったし、そもそも顔を動かすことができるのかさえ怪しかったという。
マハラジ氏は現在のズマ南アフリカ大統領にも近く、70代後半であるにもかかわらず、彼の公式報道官であり、彼の特使もつとめている。マハラジ氏はマンデラ氏が死んだ時に葬儀などを執り行う委員会のメンバーでもある。
マハラジ氏にインタビューしてみると、「マンデラ氏が長く生きすぎると、逆に彼の名声にとってよくない」とハッキリ言う。健康を害しているために、彼の名声にあやかってビジネスをしようという人々にいいように利用されてしまう恐れが出てきているから。
もちろんマンデラ氏の葬式などについては世界の誰を呼ぶかというところまで細かく決定されているようだが、問題はどの家族が葬式で最初に名前を呼ばれるか、という点にある。
南アフリカで「公然の秘密」なのは、マンデラ氏が深刻な家族の問題を抱えているというものだ。特に彼の最初の二人の妻の子供たち同士は目も合わせないほど仲が悪いことが知られている。
最初の奥さんはエヴェリン・マセ(Evelyn Masa)だが、二番目の奥さんのウィニー・マディキゼラ・マンデラ(Winne Madikizela-Mandela)とは犬猿の仲。
全般的に言って、最初の夫人であるエヴェリンの家族は、二番目のウィニー夫人の家族によって自分たちの果たした役割が奪われたと感じている。
ちなみにエヴェリン夫人は1944年に結婚して1958年に離婚。その後に「エホバの証人」の熱心な信徒となり、マンデラ氏の出身地であるイースタンケープ市で店を経営し、2004年に死んでいる。
ウィニー夫人とは1990年にマンデラ氏が釈放された後の1996年に離婚しているが、彼女はある弁護士と堂々と浮気をしていたことが知られており、若い男性の死亡事件にも関与していたことが疑われていた。
現在の三番目の夫人(というか未亡人)のグラサと結婚したのは、98年、マンデラ氏の80歳の誕生日。このグラサ夫人が、第一夫人の一家と第二夫人の一家の仲直りを促すような調停者的な役割を果たしているという。ところがグラサの調停はあまり効果なし。たとえば第二夫人の一家はマンデラ氏の葬式の計画に参加することを公式に拒否している。彼らは独自の葬式を行うのではないかと疑われている。
両家族とも、お互いに「あっちはマンデラ氏の名声を利用しようとしている!」という非難合戦を行っている。たとえば第一夫人の孫娘であるンディレカ(Ndileka)はマンデラの最初の息子(センビ)の娘であるため、自分のことを「マンデラ氏の最初の最初の孫」であると言っているが、第二夫人の家族が自分の祖父を独り占めしようとしていると非難している。
2010年の南アフリカ開催のサッカーのワールドカップの前日に13歳のひ孫娘(第二夫人一族)が交通事故で死んだ時も、両家族の間にトラブルがあったという。
この両家族に共通しているのは、マンデラ氏が政治活動に忙しくて家族と過ごす時間を全くとれなかった点。最初の結婚の時はマンデラ氏は逃げまくっていたのであり、1962年に逮捕されてからは27年間ロベン島に収監されていたのだ。つまりマンデラ家は、父が不在の家族崩壊の危機に常にさらされていた。
もちろん両家が仲直りしようと歩み寄った時期はあったのだが、その計画もあえなく崩壊したという。南アフリカのメディアもこのスキャンダルについて煽るように報じることがあるが、実際に家族に話を聞いてみると、両家が関係をなんとか続けられているのはマンデラ氏自身の存在だという。
ところがそのマンデラ氏という中心人物がいなくなったときにどうなるかは恐ろしくて考えられない。たとえば第一夫人の孫娘であるンディレカは、ANCが記念行事を開いた時に、ウィニー夫人が参加したことについて公式の場で異議を唱えた。
とくに両家でずっと問題になっていたのは、マンデラ氏の誕生日だ。彼は元々ボクシングをやっていたことで有名だが、観戦も大好きであり、95歳の誕生日には南アフリカで特別マッチが開かれる予定だった。90歳の誕生日のときは第一夫人の家族が新しくワインのブランド(House of Mandela)をアメリカのフロリダ州で立ち上げることになっていて、これを知った第二夫人側がパーティーへの参加をボイコットしたこともあった。
彼の周辺ではこのように彼のブランドを活用して一儲けしようとする孫たちの欲望が渦巻いている。たとえばマンデラ氏の家族の様子をドキュメンタリー化したリアリティー番組(Being Mandela)がアメリカなどで放映されたが、誰がこれを許可したのかについて再び家族間の紛争が激化した。
この計画を最初に提案したのは第二夫人の長女の二人の娘(孫娘)だが、彼女たちはマンデラ氏の顔がプリントされたT-シャツのブランド(Long Walk to Freedom: LWTF)をこの番組で宣伝して売りたかったようだ。実はマンデラ氏自身は2007年にこのブランドにたいして自分の顔をプリントしないように警告したという。彼自身は自分が「カルト化」されることを嫌っていたようなのだが、最近のこのTV番組やT-シャツのブランドの許可は、本当に彼自身が許したものなのかが疑問視されている。
マンデラの第一夫人には4人の子供がいる。センビ(ンディレカの父)は69年に24歳の若さで交通事故で亡くなっている。マクガトは2005年に55歳でAIDSにより死亡、マキが唯一の生き残りで60近くになっており、もう一人のマキは赤ん坊の時に死んだ。
第一夫人はマンデラが何度か浮気をしており、家庭内暴力も行っていたと非難している。この訴えは裁判で争われることはなかったが、それでもセンビは父の自分の母への態度を非常に不満に思っており、結局は父と仲違いしたという。
ちなみに息子のセンビはケープタウンで怪しいバーを経営しており、父が収監されていたロベン島には一度も訪問しなかったという。ンディレカの母は再婚や鬱病を繰り返し、彼女の二人目の夫も警察の牢屋に入っていた時に殺され、自身ものちに自殺している。
このような感じで、マンデラ一族の子どもたちや孫達は、すべからく家庭的に問題がある者ばかり。とくにマンデラ氏の直接の子どもたちはマンデラ氏を非常に毛嫌いしており、とくに自分たちの母にたいするマンデラ氏の態度に怒りを表明しているパターンが多い。
マンデラ氏には成人した子どもや孫が25人いるが、政治活動に興味を示しているのはたった一人だけ。第一夫人の孫であるマンドラ(Mandla)だけ。ところが彼はマンデラ氏の葬式の放映権を売ったりするなど、数々の利己的な権利の利用で評判が悪く、まだ40にもなっていないのに、すでに二度目の結婚をしており、前妻との間にトラブルが絶えない。
マンデラの国際的な評判は、数々の世界的な著名人を集めている。ビル・ゲイツ、リチャード・ブランソン、オプラウ・ウィンフリー、モーガン・フリーマン、そしてテニス選手のロジャー・フェデラーなど、とにかく一流どころが彼の名声を求めて集まってきているのだ。
これについて冒頭に出てきたマック・マハラジはどう見ているのかというと、「私は彼の家族にとっては部外者ですから、彼らが何をやろうと彼らの権利です。私が何か口を挟むことじゃありません」と言うだけだ。
===
ちょっと長いですが、いかがでしょうか。
おそらく彼が死んだばかりなので、このような彼の家庭内の闇のような部分は報道では全く紹介されないとは思います。
しかしわれわれが覚えておかなければならないのは、彼のような「ヒーロー」というのは、その代償として差し出すものがあまりにも大きい、ということなんでしょうな。
さて、マンデラ大統領の訃報が届き、今朝からすでに話題になっておりますが、私が今年の前半にイギリスに行ったときに読んだ、マンデラ氏の晩年の様子を書いた興味深い記事の内容を、私がメモ書きしたものがありましたので、その要約を。
ヒーロー扱いされているマンデラ大統領ですが、実は自分の家庭が崩壊状態で大変みたいです。
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戦争状態の家族:マンデラ家の内幕(←元記事発見しました)
2013年3月
マック・マハラジは数年前からマンデラ元大統領の「ボケ」が始まっていることに気づいていた。彼はマンデラと一緒にANC(アフリカ民族会議)という南アフリカの政党で50年も一緒に活動してきたが、最近のマンデラ氏(2013年のはじめ頃)は長年の親友である彼のことさえも忘れてしまったように思える。
「誰も口にはしないんですが、彼はボケてます」とはマハラジ氏の弁。彼はマンデラ氏の家族がマンデラ氏への直接の面会を認める数少ない人間のうちの一人だ。
マンデラ氏には3人の夫人がいる。現在の3番目の奥さんはグラサ・マシェルと言い、彼女がマンデラの身の回りの世話をしている。元モザンビークの元大統領夫人。マンデラ氏と結婚した時はすでに50代半ば。
マハラジ氏が最近マンデラ氏を訪れた時にはグラサ夫人が側にいたが、マンデラ元大統領はもう完全にボケていて、自分のことは誰だか気づいたような様子はなかったし、そもそも顔を動かすことができるのかさえ怪しかったという。
マハラジ氏は現在のズマ南アフリカ大統領にも近く、70代後半であるにもかかわらず、彼の公式報道官であり、彼の特使もつとめている。マハラジ氏はマンデラ氏が死んだ時に葬儀などを執り行う委員会のメンバーでもある。
マハラジ氏にインタビューしてみると、「マンデラ氏が長く生きすぎると、逆に彼の名声にとってよくない」とハッキリ言う。健康を害しているために、彼の名声にあやかってビジネスをしようという人々にいいように利用されてしまう恐れが出てきているから。
もちろんマンデラ氏の葬式などについては世界の誰を呼ぶかというところまで細かく決定されているようだが、問題はどの家族が葬式で最初に名前を呼ばれるか、という点にある。
南アフリカで「公然の秘密」なのは、マンデラ氏が深刻な家族の問題を抱えているというものだ。特に彼の最初の二人の妻の子供たち同士は目も合わせないほど仲が悪いことが知られている。
最初の奥さんはエヴェリン・マセ(Evelyn Masa)だが、二番目の奥さんのウィニー・マディキゼラ・マンデラ(Winne Madikizela-Mandela)とは犬猿の仲。
全般的に言って、最初の夫人であるエヴェリンの家族は、二番目のウィニー夫人の家族によって自分たちの果たした役割が奪われたと感じている。
ちなみにエヴェリン夫人は1944年に結婚して1958年に離婚。その後に「エホバの証人」の熱心な信徒となり、マンデラ氏の出身地であるイースタンケープ市で店を経営し、2004年に死んでいる。
ウィニー夫人とは1990年にマンデラ氏が釈放された後の1996年に離婚しているが、彼女はある弁護士と堂々と浮気をしていたことが知られており、若い男性の死亡事件にも関与していたことが疑われていた。
現在の三番目の夫人(というか未亡人)のグラサと結婚したのは、98年、マンデラ氏の80歳の誕生日。このグラサ夫人が、第一夫人の一家と第二夫人の一家の仲直りを促すような調停者的な役割を果たしているという。ところがグラサの調停はあまり効果なし。たとえば第二夫人の一家はマンデラ氏の葬式の計画に参加することを公式に拒否している。彼らは独自の葬式を行うのではないかと疑われている。
両家族とも、お互いに「あっちはマンデラ氏の名声を利用しようとしている!」という非難合戦を行っている。たとえば第一夫人の孫娘であるンディレカ(Ndileka)はマンデラの最初の息子(センビ)の娘であるため、自分のことを「マンデラ氏の最初の最初の孫」であると言っているが、第二夫人の家族が自分の祖父を独り占めしようとしていると非難している。
2010年の南アフリカ開催のサッカーのワールドカップの前日に13歳のひ孫娘(第二夫人一族)が交通事故で死んだ時も、両家族の間にトラブルがあったという。
この両家族に共通しているのは、マンデラ氏が政治活動に忙しくて家族と過ごす時間を全くとれなかった点。最初の結婚の時はマンデラ氏は逃げまくっていたのであり、1962年に逮捕されてからは27年間ロベン島に収監されていたのだ。つまりマンデラ家は、父が不在の家族崩壊の危機に常にさらされていた。
もちろん両家が仲直りしようと歩み寄った時期はあったのだが、その計画もあえなく崩壊したという。南アフリカのメディアもこのスキャンダルについて煽るように報じることがあるが、実際に家族に話を聞いてみると、両家が関係をなんとか続けられているのはマンデラ氏自身の存在だという。
ところがそのマンデラ氏という中心人物がいなくなったときにどうなるかは恐ろしくて考えられない。たとえば第一夫人の孫娘であるンディレカは、ANCが記念行事を開いた時に、ウィニー夫人が参加したことについて公式の場で異議を唱えた。
とくに両家でずっと問題になっていたのは、マンデラ氏の誕生日だ。彼は元々ボクシングをやっていたことで有名だが、観戦も大好きであり、95歳の誕生日には南アフリカで特別マッチが開かれる予定だった。90歳の誕生日のときは第一夫人の家族が新しくワインのブランド(House of Mandela)をアメリカのフロリダ州で立ち上げることになっていて、これを知った第二夫人側がパーティーへの参加をボイコットしたこともあった。
彼の周辺ではこのように彼のブランドを活用して一儲けしようとする孫たちの欲望が渦巻いている。たとえばマンデラ氏の家族の様子をドキュメンタリー化したリアリティー番組(Being Mandela)がアメリカなどで放映されたが、誰がこれを許可したのかについて再び家族間の紛争が激化した。
この計画を最初に提案したのは第二夫人の長女の二人の娘(孫娘)だが、彼女たちはマンデラ氏の顔がプリントされたT-シャツのブランド(Long Walk to Freedom: LWTF)をこの番組で宣伝して売りたかったようだ。実はマンデラ氏自身は2007年にこのブランドにたいして自分の顔をプリントしないように警告したという。彼自身は自分が「カルト化」されることを嫌っていたようなのだが、最近のこのTV番組やT-シャツのブランドの許可は、本当に彼自身が許したものなのかが疑問視されている。
マンデラの第一夫人には4人の子供がいる。センビ(ンディレカの父)は69年に24歳の若さで交通事故で亡くなっている。マクガトは2005年に55歳でAIDSにより死亡、マキが唯一の生き残りで60近くになっており、もう一人のマキは赤ん坊の時に死んだ。
第一夫人はマンデラが何度か浮気をしており、家庭内暴力も行っていたと非難している。この訴えは裁判で争われることはなかったが、それでもセンビは父の自分の母への態度を非常に不満に思っており、結局は父と仲違いしたという。
ちなみに息子のセンビはケープタウンで怪しいバーを経営しており、父が収監されていたロベン島には一度も訪問しなかったという。ンディレカの母は再婚や鬱病を繰り返し、彼女の二人目の夫も警察の牢屋に入っていた時に殺され、自身ものちに自殺している。
このような感じで、マンデラ一族の子どもたちや孫達は、すべからく家庭的に問題がある者ばかり。とくにマンデラ氏の直接の子どもたちはマンデラ氏を非常に毛嫌いしており、とくに自分たちの母にたいするマンデラ氏の態度に怒りを表明しているパターンが多い。
マンデラ氏には成人した子どもや孫が25人いるが、政治活動に興味を示しているのはたった一人だけ。第一夫人の孫であるマンドラ(Mandla)だけ。ところが彼はマンデラ氏の葬式の放映権を売ったりするなど、数々の利己的な権利の利用で評判が悪く、まだ40にもなっていないのに、すでに二度目の結婚をしており、前妻との間にトラブルが絶えない。
マンデラの国際的な評判は、数々の世界的な著名人を集めている。ビル・ゲイツ、リチャード・ブランソン、オプラウ・ウィンフリー、モーガン・フリーマン、そしてテニス選手のロジャー・フェデラーなど、とにかく一流どころが彼の名声を求めて集まってきているのだ。
これについて冒頭に出てきたマック・マハラジはどう見ているのかというと、「私は彼の家族にとっては部外者ですから、彼らが何をやろうと彼らの権利です。私が何か口を挟むことじゃありません」と言うだけだ。
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ちょっと長いですが、いかがでしょうか。
おそらく彼が死んだばかりなので、このような彼の家庭内の闇のような部分は報道では全く紹介されないとは思います。
しかしわれわれが覚えておかなければならないのは、彼のような「ヒーロー」というのは、その代償として差し出すものがあまりにも大きい、ということなんでしょうな。
by masa_the_man
| 2013-12-06 20:47
| 日記