迷信的な行為はなぜ「効く」のか:心理学 |
さて、心理学についての実験で「迷信」にかんする面白い記事があったのでその要約を。
まずこれを読む前に注意していただきたいのは、「木を叩く」というのは英米圏での有名な迷信的行為である、ということです。
この辺の微妙な文化的違いを意識して読んでいただくと面白いかと。
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分別と迷信
By ジェーン・リーゼン&デイビッド・ヌスバウム
●迷信的な人間というのは、実に様々な不思議なことをするものだ。
●しかし災難除けを祈るために木を叩く(knock on wood)のは、迷信的な人間だけではない。たとえばわれわれは「ガンは一時的におさまっております。今後の順調な経過を祈りましょう」という言葉を口にしつつ、(木を叩くように)拳を握ってしまうこともある。
●実際のところ、われわれはこのようなことを全く意識せずに言ってしまったりしている。しかしここで重要なのは、災難除けの祈りなどを信じていない人が、なぜ信じてもいないことを実行するのだろうか、という点だ。そしてその理由は、実際にそれには効果があるからだ。
●もちろん悪運を祓おうとして木を叩くような行為というものは、実際にこれから起こることを変えるわけではない。実際のところ、ガンが一時的におさまるかどうかというのは誰にもわからないのだ。
●しかし木を叩くという行為は、われわれの信念に影響を与えるものであり、この行為自体がそもそも重要なのである。
●ある研究では、人間というのはその人が迷信的かどうかに関係なく、「悪い結果というのジンクスの結果として起こりやすい」と信じる傾向があることが確認されている。
●たとえば「自分は20年間自動車で無事故だ」と自慢しても、その夕方に運転して帰宅するのが心配になってくることがある。迷信的な人は、その心配が出てくるのは当然であり、その理由は宇宙があなたの傲慢さを罰することになるからだ、と説くのだ。
●ところが心理学的な研究では、それについて魔術的を説明をしてはいない。無事故を自慢することによって事故というアイディアがその人の考えの中に入ってきて、それが心配を引き起こすということになるからだ。
●これは直感的にも理解できることだ。しかしそれよりも直感的ではないのは、「木を叩く」ような単純な身体の動きが、このような懸念をどれほど解消してくれるのかという点だ。
●もうすぐ発表される予定のわれわれの研究では、一般的な大学生を集めて、そのうちの半分に「この冬に絶対に自動車事故を起こさない」と宣言させてジンクスをかけさせている。後に話を聞いてみると、ジンクスをかけなかった生徒と比較して、自分たちにジンクスをかけた生徒たちは「事故に会う確率が高まったように感じた」と答えている。
●このジンクスをかけたあとに、われわれは何人かの生徒たちに目の前の木のテーブルを叩くように指示した。叩いた彼らは、はじめからジンクスをかけられてない生徒たちよりも自分たちのほうが事故に合いそうだと考えないらしい。
●つまり彼らはジンクスの効果を、木を叩くことによって減少させたと感じたのだ。
●木を叩くという行為は魔法的なものではないが、それでもなぜこのような迷信的行為に効果があるのかを理解する助けとなることがわかっている。
●文化の違いに関係なく、迷信というのは悪運を祓うためのものであり、たとえば塩をまいたりつばを吐くという行為には共通項がある場合が多い。結局のところ、これらは回避行為なのであり、誰かを押し出すように、ある力を追いやろうとする行動が含まれる。
●この払いのけようとする行動はきわめて重要である。なぜなら人間の信念というのは、身体的な感覚や動きによって影響されることが多いからだ。
●たとえばある研究者たちによれば、(イエスと言うように)うなずくように頭を上下に動かすと、人間は同じ意見を聞いていても同意することが多く、逆に(ノーというように)横に動かすと否定しやすくなることが証明されてという。
●人間というのは悪運を払いのけようとするために、われわれは人間が「払いのける行動」と「害や危険の回避行動」を関連付けてきた、と考えている。
●これによって考えられるのは、人々が木を叩いたり塩をまいたりつばを吐くというのは、心を安定させるためのものであるというものだ。なぜならこのような回避行動は、実際に何か悪いものを回避したような感情や考え、それに感覚を疑似体験させてくれるからだ。
●これを検証するために、われわれは木を叩く実験において、実際に被験者の学生たちを、机を叩いて自分の身を遠ざけるグループと、机を下から叩き上げて自分の見に近づけるようにするグロープの二つにわけた。近づける側のグループの行為というのは、回避行動ではなく、接近行動である。
●その結果、自分のほうに招くように叩き上げたグループのほうは、木を叩くという意味では変わらなかったにもかかわらず、ジンクスを解消できたとは感じなかった。彼らははじめから木を叩かなかった人々と比べても、気持ち悪さが増したという。
●その次に、われわれは迷信とは関係ない回避行為でも同じような効果があるのかを検証した。ジンクスを聞いた後に木を叩いてもらう代わりに、われわれは被験者にボールを投げてもらったのだ。これは回避行動だが、迷信と関連付けて考えられている行動ではない。
●われわれは二つの実験を、シカゴとシンガポールでそれぞれ一つずつやった。結果としてわかったのは、どちらの文化でも、ジンクスの後にボールを投げてもらうと人々の心配の度合いが減るというものであった。しかも投げるマネをしてもらうだけでも、実際に投げた場合と同じ効果が見られたのだ。
●ようするにどのような行動も迷信的な行為に変えることができる、ということだが、最も残っていきそうな迷信的行為というのは、われわれの感じ方というものを最もうまく変化させてくれそうなものだ。
●われわれは啓蒙主義と進歩という名の元に迷信的な行為を克服しようとしてきたのだが、それでもいくつかの迷信は克服できないように思える。なぜならいくらそのような行為が非合理的(irrational)なものであったとしても、無理(unreasonable)ではないかもしれないからだ。
●迷信的な行為というのは実際に効果がある。しかしその効果は、魔術的な働きよるものではなく、心理学的なものなのだ。
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「自分から悪運を追い出す」という行為そのものに意味があるということで、しかもそれは「追い出す」という物理的な作用があるものであれば何でもよいし、どの文化にも共通して言えることだ、ということなんですな。
日本の例でいえば、子供にやる「痛いの痛いの飛んでけ〜」というものや、神社で神主さんがやる「お祓い」などもこの例に当てはまりますね。