アメリカの中央アジアからの撤退 |
さて、久々にハードコアな古典地政学に関するニュースの記事を要約します。中央アジアにおいてアメリカが撤退しつつあるという興味深いもの。基地撤退に関するものなので、日本の沖縄の問題にからめて考えても面白いかと。
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中央アジアで「詰んだ」アメリカ
Byジョシュア・クセラ
●ペンタゴン(米国防省)は先月(10月)に、2001年から部隊と物資の拠点として使っていたキルギスタンの空軍基地を返還すると静かに告知している。
●この動きによってアメリカのアフガニスタン撤退はさらに困難になるはずであるが、この決断はそれよりも広範囲にわたる影響を及ぼすことになる。これは中央アジアという距離の離れた戦略地域で影響力を拡大しようとするアメリカの、短期的な試みの終了を意味するからだ。
●この基地は公式的には「マナス輸送センター」(the Transit Center at Manas)として知られていたが、ここは1500人の米空軍兵士が勤務しており、アフガニスタンを出入りするすべての兵士がここを通過すると同時に、航空機の燃料の補給所にもなっており、米軍にとっても重要性の高い拠点であった。
●そしてさらに重要なのは、ここが中央アジアにおけるアメリカのプレゼンスを誇示する最大の拠点であったということであり、しかもこの地域は、最近までアメリカの政治家たちにとっては神秘的な響きを持つような場所であったということだ。
●1990年代のソ連崩壊直後の時点で、ズビグニエフ・ブレジンスキーは中央アジアのことを「大きなチェス盤だ」と述べており、もしアメリカがグローバルな規模で優越状態を保ちたいと思うのであればこのチェス盤でプレイしなければならないと言っていた。ヘンリー・キッシンジャーもロシアと中国を分けるこの地域に親西洋の「バッファーゾーン」を作ることを提唱していた。
●ワシントン政府がこのチェス盤で最も前進していたのは1990年代後半であり、この時はカスピ海からグルジアやトルコを通るパイプラインの建設を進めていた頃である。これはこの地域の原油と天然ガスにおけるロシアの独占状態を打ち破った、史上初の例であった。
●ところが2001年9月11日のテロ攻撃の後、中央アジアにおける長期的な戦略目標は短期的な軍事面での都合にとって代わられることになり、アメリカはウズベキスタンとキルギスタンに航空基地を設置し、この地域全域に陸上の兵站ルートを張り巡らせた。
●もちろんこれらの動きはアフガニスタンでの行動と共に上手く行ったと言えるのだが、ワシントン政府がこの地域でつぎ込んだ外交努力のほとんどは軍事面でのアクセスを確保することに費やされたのだ。
●この優先順位が意味しているのは、中央アジア諸国のリーダーたちが常に外交の交渉面で優位に立ったということである。中央アジアの独裁主義の国々のトップたちは、ほんの気まぐれで米軍のアクセスを終わらせることができるようになったからだ。その証拠に、2005年にはアメリカが人権侵害を報告した後に、その報復としてウズベキスタン政府はカルシ・ハナバード(Karshi-Khanabad )空軍基地から米軍に撤退するように命じている。
●ここ十年間では、ロシアと中国が中央アジアで活動を活発化させている。クレムリンは自分たちの影響圏とみなしているこの地域における米軍のプレゼンスについて頑なに反対しているし、キルギスタンとタジキスタンで軍事基地を維持するための長期的な契約を交わしている。
●もちろん中央アジア諸国の中でロシアに支配されたいと思っている国はないのだが、彼らもアメリカがクレムリンの圧力にたいする本物の対抗手段になるとは考えていない。代わりに浮上してきように見えるのが中国であり、ここ数年でこの地域全体で経済活動を活発化させており、莫大な額の石油・ガス関連の取引を締結している。
●マナス基地を失ったことについてワシントン政府で起こるであろう反応は、「モスクワがキルギスタンを脅している!」というものだ。たしかにロシアはキルギスタンにアメリカを排除するように長年圧力をかけている。ロシア10億ドル以上の軍事援助と水力発電所の建設、それに債務放棄を約束した後に、キルギスタンの大統領は現在の2014年7月までの米軍の利用契約を終わらせる方向で動きはじめた。
●アメリカは水面下でマナス基地を維持できるように動いたが、それでもすぐに契約を更新できなかったことを認めざるを得なかった。
●ところがその原因をすべてロシアのせいにするのは正確ではない。ロシアは以前もマナスから米軍撤退に向けて動いており、2009年の時点で同じようなシナリオが展開されていた。ロシアは大規模な援助の提供を申し出ており、当時のキルギスタン大統領のバキーエフ氏はアメリカの撤退を求める声明を出している。ところがワシントン政府は新しい契約を交渉しており、バキーエフ氏は決定を撤回することにしている。
●ではその当時と変わったことは何であろうか?皮肉なことだが、それはキルギスタンがより民主的になったからだ。バキーエフ氏とその前の大統領の時代は、ワシントン政府はマナスで補給用の燃料を提供してもらう契約を大統領の親族の企業と交わしていたのだ。
●バキーエフ政権の後に暫定政権を率いて2011年12月まで臨時大統領であったローザ・オツンバエワ女史は反腐敗運動を展開してマナス基地に関するビジネスの契約を透明化させている。これによって大統領の親族企業が怪しい契約を結ぶことはむずかしくなり、これによって間接的に将来の大統領が基地を維持するインセンティブを落とすことになったのだ。
●2011年に大統領に立候補したアタンバエフ候補はアメリカ人を追い出すことを公約に掲げて選挙運動を展開している。これは選挙民たちにとっては最大の争点というわけではなかったが、反米的な運動は功を奏しており、国際機関の調査によれば、アタンバエフ大統領が選出された直後のキルギスタンの人々にたいする意識調査では、96%がロシアをパートナーであると答えており、脅威であると答えたのはたった1%以下であった。
●それにたいしてアメリカをパートナーであると答えていたのはたった8%であり、脅威であると答えたのは42%にものぼっている。
●キルギスタンはこの地域で唯一の議会を持つ国であり、しかもその機能はしっかりしている。公約としてアメリカの基地の撤退が掲げられた時、アタンバエフの計画を阻止するだけの票も集まると見られていた。ところがニューヨークの裁判所でバキーエフ前大統領の息子を本国へ送還する訴えが退けられ、これがキルギスタン国民の多くを怒らせることになった。彼らはバキーエフ一族がキルギスタンの国富から大量の資金を奪ったと考えられていたからである。
●この判決は結果的にキルギスタンの国会議員たちに米軍基地存続反対にまわしてしまったのであり、今年の6月には基地を排除することを制定した法案が91ー5の圧倒的賛成多数で可決された。ワシントン政府側は撤退を公式表明するのを遅らせていたのだが、これは(アフガニスタンからの撤退に使う)代わりの基地をルーマニアに見つけるまで時間がかかったからであるとされている。
●ルーマニアへの基地の移動は、西側への「戦略的撤退」という意味で大きな意味を持っている。NATOの東端は黒海の西岸であり、ルーマニアとブルガリアは共にEUとNATOへの参加国だ。黒海よりも東側の国々、とくにウクライナとグルジアの未来は、まだ未確定である。ところが中央アジアはすでに「遠すぎた橋」になってしまったと言えるだろう。
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アメリカが求めている民主制度のおかげでアメリカ自身がキルギスタンに影響力を発揮できなくなったというのは本当に皮肉なことです。
グルジアやロシアの状況をみると、やはりアメリカの覇権状態というのはほころびを見せているということですが、これもまあ「相対的にみれば」ということかも。
ここからどこまで「オフショア・バランシング」的なところまでいくかはまだ未確定なところが多いわけですが・・・・