国際政治はヤクザな世界だ |
さて、先週の「韓国トップたちの怪しい“世界観”」というエントリーの続きを少し。
このエントリーでは、韓国の上層部は、日本側から見ると強烈な「甘え」ともとれる世界観を持っている、ということを、最近韓国に行った人から得た情報を元にして紹介しました。
私がなぜこのような韓国側の「怪しい」ともいえる要素を指摘したのかといえば、それは何も韓国が憎いからではなく、それを知ることが大切である、と強調したかったからです。
それでもこのような指摘をすると、「おくやまは韓国を嫌いなのか!」と非難したり、「日韓友好を推進しているのではなく、敵対関係を増長させているだけだ!」と目くじらを立てて怒る人もいるわけですが、実際はその反対です。
私は「リアリズム」という観点から、韓国の問題も「善悪」や「好き嫌い」という面から判断しない
と述べたわけですが、ここで大事なのは、
「日韓親善や国際理解のためには、相手の汚いところ・奇妙なところも直視する」
という姿勢だと思うのです。
たとえば、リベラル系の人々というのは(ここでの「リベラル」というのは、リアリズムとは反対の、経済相互依存万歳の理想主義的な考えの人という意味)どうも相手の不都合なところには目をつぶって、とにかく良い面だけを見ようとしがちです。
日本の国際政治に関する議論だと、たとえば「右派」といわれる人々は「中・韓にたいして厳しく、米国に甘い」という傾向があり、逆に「左派」の人々は「米国にたいして厳しく、中・韓にたいして甘い」という傾向があるといわれております。
私は、このような傾向がそれぞれ出てくるのは理解できるのですが、自分の基本的な姿勢としては、このような偏りというのはアンフェアー(不公平)だと思っております。
なぜならそれは、どちらの側(中韓vs米?)に対しても、片方の「良い面」を強調するばかりで、どちらかの「汚い面」を見ようとしていないからです。
なぜこういうことが起こるのかというと、これはどちらも国際政治の現状に対する「冷静な分析」で見ているのではなく、単なる「イデオロギー」から見ているからです。
それが「保守」であれ「リベラル」であれ、現在の日本の置かれた状況をイデオロギー的にみてしまうと、大きく判断を誤ってしまう可能性が出てきます。
まさに韓国の日本にたいする姿勢が、このイデオロギー的(というか、もはや宗教的?)なものであることは昨日のエントリーでもおわかりいただけるかと。
このような「イデオロギーが国際政治におけるトップの判断を難しくしている」という点について、日本の経営学の泰斗である野中郁次郎氏が、ある雑誌のインタビューで良いことを言っておりました。それは、
「なぜイデオロギーがまずいかというと、白か黒の二元論だからで、現実は灰色なのです。二極の間のどこかに真理があるわけです。そういう健全なる常識がジャッジメントなのです」
というものでした。私はこの「健全なる常識」として、日本人の国際情勢の戦略的な判断のために、まず相手の汚いところ、奇妙なところから認めるという「リアリズム」的な視点が、リベラル的な解釈に染まりきった日本人にとってのちょうど良い「解毒剤」になると考えているのです。
しつこいようですが、大切なことなので、何度でも言います。
本物の「国際親善」「日韓友好」のためには、日本人は、相手の汚いところ、奇妙なところ、おかしいところがあるということを、身も蓋もない「現実」的な視線から率直に認めましょう、ということなのです。
戦略論や、それがベースになっているリアリズムというのは、どう公平に見積もっても、あまり「気持ちの良いもの」ではありません。
国際政治というのは危険なビジネス、いいかえれば「ヤクザな世界」の話なわけですから、そのようなヤクザ的な要素の部分はまずしっかり押さえましょう、というのが本ブログを書く私の基本的な姿勢です。