人間は周囲の環境に合わせて自分の行動を決定している |
さて、地政学にも関係してくるような非常に面白い本を書いた著者の「環境決定論」についての興味深い論考がありましたのでその記事を要約します。
これを読むと、その場の雰囲気や状況に流されてものごとを決定してしまう人間の悲しいサガがよくわかります。これはそのまま対外政策における「グループ・シンク」の話にもつながってきますね。
言い方をかえれば「人間はカメレオンである」とも言えますが。
山本七平氏の言葉を借りれば「空気」の話、そしてさらに拡大解釈すれば「類は友を呼ぶ」という話につながると言えそうです。
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自分のいる場所が自分のアイデンティティーを決定する
By アダム・アルター
●1970年代初頭の実験に、何百通もの切手を貼った未送の手紙を、米国東部のある大学のいくつかの寮の近くに落としておき、そのうちの何通が無事に届くのかを調べるというものがあった。
●この研究チームは、送られてきた手紙を一通ごとに「慈善行為」としてカウントすることにしたのだが、手紙は落とされた寮ごとに送られてきた頻度が違ったわけで、いわば寮ごとの「慈善度」が違うことが判明したのだ。
●寮ごとの違いはどうやら寮の「人口密度」によって出たようで、最も閑散としていた寮の近くに落とした手紙は、そのほとんどが無事に送られてきたのだが、逆にほぼ満杯の寮の近くに落とした手紙は6割しか戻ってこなかったのだ。
●その後、同じ研究チームは別の学生たちにたいして「落ちてた手紙を見つけたらどうする?」と聞いたのだが、95%は自分の住んでいる場所に関係なく「ポストに持って投函してあげますよ」と答えている。
●一般的にほとんどの人々は自分のことを「親切だ」と考えている。自己申告のアンケートなどからわかる通り、人間というのは自分のことを親切で友好的で正直だと答えるものだ。われわれはこのような考えが、我々自身のアイデンティティーを作り上げていると考えがちだ。
●ところが実際のところは、われわれは自分たちの置かれた環境によって、直感的かつ意図しない形で、カメレオンのようにアイデンティティーを変えるのだ。
●2000年に行われた別の実験を見てみよう。スコットランドのグラスゴーにあるいくつかの建設会社は、街中の目立ったところに青色の光のでる照明を設置した。この目的はあまり見栄えのよくない地域でも魅力的に見せる効果を狙ったものだった。
●ところが数ヶ月後にグラスゴー市役所は驚くべき効果を発見した。青色の照明が集中しているところでの犯罪率が低下したからだ。
●この青い照明は、どうも人々に(英国の)警察車両に使われている青い色を想像させるようであり、これを見た人々は「警察が監視している!」と勘違いしたようだ、ということになった。
●2005年には日本の奈良県が青い照明を犯罪発生率の多い場所に設置したが、ここでも同じような結果、つまり犯罪発生率の減少が見られたという。他の場所でも試されたが、青い色の照明の下ではゴミの無断投棄や自殺率が低下したという。
●なぜ青い照明が犯罪を抑止するのかという点については様々な説明がある。暗い場所を明るく照らしだすことによって、薄暗いところでも「他人に見られている」という感覚を発生させるということや、その反対に、人を落ち着かせる不思議な力を持っている、ということも言われている。
●ところがそれよりも微妙な要因でも、実は同じような効果を発揮するようだ。たとえば、人はいる場所によっても「見られている」という感覚の違いを感じるものだ。
●英北東部のニューキャッスル大学の心理学者たちがある実験をした。これは、大学の職員が集う小さな食堂で、紅茶とコーヒーの代金を基本的に無料にするのだが、料金を入れる箱を置き、ここに払いたい人だけに支払ってもらうようにしたのだ。ただしその箱には、「見つめている二つの目」を写した写真と、単なる「花」の写真の、二つのタイプを用意している。
●研究者たちはその「二つの目」と「花」の写真を、10週間の実験期間の間に毎週架け替えており、しかも「二つの目」のほうは同じ印象のものにならないように男女別々のものを使っている。
●この実験の結果で判明したのは、「二つの目」の写真をつけた週の箱のほうが多くの料金を回収したということだ。この実験結果に触発されたイギリスの西ミッドランドの警察は、二つの目を写した大きなポスターを街中に張り出しており、報道によれば、これが街の犯罪発生率の低下につながったと言われている。
●鏡も全く同じ効果を持っているようで、しかもその効果はさらに強力だと言われている。なぜなら鏡は(比喩的な表現ではあるが)われわれ自身の心の中をそのまま覗きこませてしまうような効果を持っているからだ。
●その他の環境的な刺激もわれわれの行動に影響を与える。なぜならそれらが微妙な形で悪い行動を促すこともあるからだ。たとえば激しく議論されている「ブロークンウィンドウ理論」(割れ窓理論)では、人間はこわれた窓がある地域で犯罪を犯す可能性が高まるというものであり、これはこの地域の人々は自分たちの持っているものをそれほど大切にしない傾向があるということを暗示している。
●この理論を提唱したジェームス・ウィルソンとジョージ・ケリングは1982年にアトランティック誌に発表した記事で、もしある建物の窓が修理されていなければ、さらに建物まで壊される可能性が高まり、これがさらなる破壊行為を呼ぶことになると言ったのだ。
●同じことは街中のゴミ箱についても言えるという。ゴミが多ければ多いほどゴミは集まるというのだ。これがそのままだと人々は近くのファーストフードのゴミをそこで捨てるようになるし、荒れた場所だとこれが犯罪を引き起こすことになるというのだ。
●この二人がこの理論を提唱した1982年以降、とくにゴミ問題に関してはさまざまな実験が行われており、かなり多くの実証結果が出ている。
●たとえばある実験では、社会心理学者たちが病院の駐車場に停めてあった車139台のフロントガラスに無駄なチラシを置いておき、その車の持ち主がチラシをどう処理するのかを観察している。そしてここで出た結果も、環境が人間の対応の仕方に影響を与えるというものだった。
●その駐車場にゴミが散らかっている場合(もちろんこれは実験をやる人間たちがわざとゴミを置いたのだが)、車の持ち主の半分近くがそのチラシをその場に捨てて去っていったのだ。ところが駐車場をきれいな状態に保っておくと、そのチラシを駐車場に投げ捨てていったのは10人のうちのたった1人くらいだったのだ。
●これはつまり、ドライバーたちは無意識のうちに、そのエリアに最も最適だと思われる規範に合わせて行動を決めたということだ。
●このような実験でわかるのは、一体何がわれわれの存在やアイデンティティーを決定しているのかという、驚くべき、そしてやや衝撃的な、事実だ:つまりそこには個別の「あなた」や「わたし」という存在はない、ということだ。
●もちろんわれわれは個別の性格を持っているものだが、周囲からの刺激というのはその性格に大きな影響を与えて、自分自身を見失わせてしまうほど――もしくはある特定の状況の中ではどのように行動しやすいのかを教えてくれるものーーなのだ。
●もちろん「一人ひとりが根本的に違った性格を持っており、良い人たちは良い行動をするし、悪い人たちは悪い行動をし、これらの性格はわれわれの中にある」と信じることはわれわれを安心させるものかもしれない。
●しかし明らかになりつつある様々な証拠からわかるのは、あるレベルにおいて、われわれのアイデンティティー――たとえばゴミを捨て人間 vs. 良識ある市民――は状況によって変化するものであり、その場がどのような状況にあるのかによって左右されるということだ。
●このような周囲の環境による刺激は、われわれが町中のある地区から別の地区へと歩いている瞬間でも、われわれの行動を次々に変えていくのだ。
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ううむ、これはいわゆる「環境決定論」というか、古典地政学の議論にもけっこう近い話ですね。
要するに「環境があなたの行動を決定する」ということですが、たしかに「上品な町や場所には下品で怪しい人は少ないんじゃないか」という、われわれが普段なんとなく感じていることをうまく説明できているような。
面白いのはこの記事が、「アメリカのドル札になぜ目が描かれているのか」ということについて、いわゆる「フリーメーソン説」とは違う説明(監視による濫用の抑制?)の可能性に触れているというところでしょうか。
私は最近この著者が出版した “Drunk Tank Pink: And Other Unexpected Forces That Shape How We Think, Feel, and Behave.”という本を読んでいるのですが、これがうまくまとまっている最高に面白い本です。
ウサイン・ボルトがなぜ世界最速の男なのかという説明も、この「環境」によって決定するということなんですな。
類推すれば、少し前の韓国トップたちの怪しい世界観についての話も、これによってうまく説明できる部分はあるかと。