戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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ドイツはなぜ地理的に難しいポジションにあるのか

今日の横浜北部は朝から快晴。しかし朝晩は寒くなりましたねぇ

さて、久々に地政学の話を。著者は東アジアのシーパワー研究の第一人者として名高いジェームス・ホームズです。

彼の分析ですが、ある程度は現在の中国にも当てはまる部分があるかと。

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ドイツの「地理の呪い」
by  ジェームス・ホームズ

●留学時代以来、20年ぶりにドイツを訪問した。そこではインド洋における海洋安全保障について話をしたのだが、ドイツ側の安全保障関係者たちは自分たちがアデン湾よりも先の地域でいかに安全保障に関われるのかを熱心に考えていた様子だった。

●ところがドイツというのは外洋での航海の自由を常に享受できたわけではない。なぜならドイツの戦略的地理は長いこと不利な状態にあったからだ。

●ドイツは地理的にライバル国家に囲まれたヨーロッパ半島の中央部に位置しており、しかも自然な防壁に乏しい状態であった。何世紀にもわたってドイツの王国や公国、それに都市国家などは、実質的にフランス、オーストリア、ロシアなどの紛争の「潤滑油」として機能してきた。ライバルに痛めつけられたら、その腹いせにドイツの国家を痛めつける、という具合に。

●私の妻(ドイツ系)の祖先がアメリカのペンシルバニアなどに逃げ出したのは当然であろう。来週になったらフランスかオーストリアになるような戦場で暮らすよりは、(プロアメフトのチームであるピッツバーグ・)スティーラーズを発展させることのできるアメリカの山の近くで生きるほうがよいのだ。

●一八七一年のドイツ帝国の統一は、一時的にせよ、彼らの状況を改善することになった。この潜在的に圧倒的かつ支配的な工業・軍事国家の突然の台頭は、ウィーン会議(1815年)のあとのヨーロッパ政治における大国間の微妙な均衡を崩すことになったのだ。

●周辺国がまとまって対抗してくるのを防ぐために、ベルリン政府は自らの野心をうまく隠さなければならなかった。そしてオットー・フォン・ビスマルクは1890年にヴィルヘルム二世に解雇されるまで、周辺国の恐怖を抑える役割を果たしていた。

●しかしその後のヴィルヘルム二世は周辺国を怖がらせるようになり、これが冷戦の終結まで全世紀を恐怖に陥れるきっかけになったのだ

●EUの創設は、統一ドイツの陸の国境をそれまでの数百年間とは比べてものにならないほど落ち着かせることになり、同時に政治面での抑制的な態度が周辺国を安心させることにつながった。両対戦はドイツに「行動を抑える」という教訓を教えたのであり、国境が安定したことによって、ベルリン政府はいままで領土保全に使っていた努力や資金を他のことに使えるようになったのだ。

●ヨーロッパ大陸での安全はドイツを解放したのであり、その気になればドイツが海を目指すことも可能にしたのだ。もちろん海の必要性は、EUによる縛りを考えると、現時点ではありえないことになる。それでも選択肢があるということは、強力な国家の権力を握っているリーダーにとっては望ましいことだ。ドイツ以外のヨーロッパの国々と同様に、ドイツには海への進出を考える余裕ができたのだ。

●しかしこのようなことはいままで不可能であった。ヴィルヘルム二世は一九世紀末のドイツ文化に海洋文化を植え付けようとしたのだが、「海洋地理」という壁に阻まれてしまったのだ。

●地図を一瞥しただけても、いざ周辺国が敵意をむき出しにした時にドイツが直面する困難がわかる。ドイツ北部の港からの商船が大西洋に抜けるためには、南方向であればイギリス海峡、北方向であればイギリス諸島とノルウェーの間から北海を突破しなければならないのだ。

●そういう意味で、イギリスはヨーロッパ北西部の海運のライフラインを支配するのに絶好のポジションにあることがわかる

●イギリスの水兵たちは自国の地理を活用するのにたけていた。コーベットが記しているように、英海軍は一七世紀の英蘭戦争におけるオランダ海軍との戦いで常に圧倒していたのだ。英海軍がすべきことはオランダの港に出入りする商船を脅し、経済のライフラインにリスクを発生させることだけであったのだ。

●オランダの水兵たちに残された選択肢は、勝利が不可能であることを知りながら戦うか、イギリス側のシーレーンのコントロールの優位を認めるかの、どちらかしかなかったのだ。

●このパターンは20世紀まで続いている。英海軍は第一次大戦時から北海に包囲網を敷いており、世界で最も優秀な海軍の1つであるドイツ外洋艦隊を係留地で錆びさせることに成功したのだ。第一次大戦後にヴォルフガング・ヴェーゲナー提督はドイツの海についての無知が劇画のようなことを起こしたことについて嘆いている。

●ヒトラーはフランスとノルウェーの港を占拠することによって自国の地理の不利を乗り越えようとしたが、彼の陸軍は海洋戦略を効果的に行うためには広大な土地を防御しなければならなくなってしまったのだ。

●これによって判明したのは、シーパワーというものがドイツにとって「遠すぎた橋」であったということだ。たしかにバルト海へのアクセスは、ロシアに圧力を加えた状態で、スカゲラク海峡やカテガット海峡を通る場合には可能かもしれないが、それ以外には残された選択肢は少ないのだ。

●ドイツの戦略家たち、そのようなジレンマから解放されたことを喜んでいることは間違いない。われわれはドイツの戦略的地理からの休暇状態が、今後も長く続くことを祈るばかりである。

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結局のところ、地理というのは国家の対外政策においていまだに大きな影響力を持っている、ということなのですが、これは全世界のどの国にとっても一緒です。

あらためて、国際政治における地理的な側面の重要性というものがよくわかる記事かと。


by masa_the_man | 2013-10-28 19:01 | 日記 | Comments(0)