人類は戦争をせざるを得ない存在か? |
昨日は韓国に関する非常に面白いネタを仕入れたのですが、これはメルマガのほうで後ほど。
さて、今日はここ数日のものとは打って変わって、人類の戦争の関係についての壮大なテーマについて書かれた、ちょっと前の文化人類学の観点からの記事の要約。
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われわれは「戦争をする生き物」なのだろうか?
By ディビッド・バラッシュ
●戦争の足音が聞こえる。悲しことだが、これは別に新しいことではない。同時に、戦争が常にわれわれと共にあったし、これからも一緒であるという主張も驚くべきことではない。
●ところがこの中でも新しいのは、とりわけ進化生物学の分野で判明した戦争好きな「人間の本質」についての知見である。
●今年、ナショナル・インタレスト誌に掲載された「われわれの類人猿の親戚たちは戦争について何を教えてくれるのか」というタイトルの記事が、「なぜ人間は戦争をするの?」という疑問に答えるようなものであった。
●また最近のニュー・サイエンティスト誌に掲載された記事でも、「戦いは人類の進化の中で一定の役割を果たしている」と主張されており、サイエンス誌でも「戦いにおける死というものは狩猟社会ではあまりにも頻繁に起こっていたために、初期の人類の進化に重要な圧力を加えた」と主張している。
●近年登場しているこのような「人類が生物学的な面において戦いを好む性質がある」というコンセンサスは、実は怪しいものだ。それは単に科学的根拠に乏しいだけでなく、道徳的にも歓迎できるようなものではない。なぜなら人間の潜在性についてあまりにも狭い見方しか促進してくれないからだ。
●たしかにわれわれの先祖は戦争に近い活動を行っていたことはたしかなようですが、それでも全員がそうであったあったというわけではない。
●人類が脳を発達させたのは、たしかに自然淘汰によって他の者よりも頭の良い者が暴力的な闘争で選ばれてきたところもあるが、同時に知性を高めたのは自然淘汰によってとくにコミュニケーションや協力に長けている祖先が生き残ってきたからだとも言えるのだ。
●紛争を避け、和解して協力的に問題解決にあたるのは、生物学的にもありえることであり、自然淘汰での生き残りにもポジティブな結果をもたらすものだ。
●現在まで判明しているのは、チンパンジーはたしかに人間にとっての戦争のような活動を行うが、チンパンジーと非常に近いピグミー・チンパンジーは互いに愛しあうことで有名だ。
●多くの文化人類学者にとって、「狩りをする男」というのは典型的なモデルであるが、同時に「収穫する女」を想定している学者たちもおり、協力したり平和を保つような存在もあると見られている。
●60年代から70年代にかけてナポレオン・チャグノンがアマゾンの戦闘的なヤノマモ部族についての研究を発表した時、われわれ研究者の想定していた通りの暴力的な存在で適者生存を説明してくれる存在だったのでウケがよかった。
●ところが振り返ってみると、そのような1つの種族から人類全体まで一般化して、しかも戦争という複雑な現象を知ることができるかというと、甚だ疑問なのだ。
●私は、多くの進化生物学や生物文化人類学の学者たちが「原始時代の人類の戦争」という見方に引きづられすぎてしまっていると考えている。紛争回避や和解というのは(”自然”であり重要でもあるのだが)あまり注意を引かないものだからだ。
●ところがとくに遊牧民の間では平和づくりというものが顕著に見られるものであり、たとえばタンザニアのハッザ族の人々はたしかに喧嘩をするが、それでもどうやら一度も部族間抗争をした形跡はないのだ。
●ニュージーランド沖のチャタム諸島のモリオリ族は、社会的な冷やかしのような手段を使いながら、個人間の争いが決して集団間の抗争に発展しないようにするためのいくつかの方法を持っているのだ。マレーシアのバテック族も同様で、殺し合いをするなどはもっての他で、自分たちは実に平和的な集団であると認識している。
●したがって、「人類は本質的に戦争を好む」というのは単に間違っているだけでなく、平和構築が可能かどうか、そしてそれを目指すべきなのかという可能性について諦めさせてしまうようなものなのだ。もちろん私は歴史上の特定の戦争について述べていることではないことはご理解いただきたい。
●チェロキー族の言い伝えだと言われている逸話がある。
●ある女の子の夢の中に、二匹の狼が激しく戦い続けている場面が何度も出てくるという。これについて彼女は部族の長老格の自分のおじいさんのところに聞きに行くと、これは人間の中にある平和と戦争という二つの力が争っている様子だと説明される。
●これを聞いた女の子はがっかりして、どちらが勝つのかを聞くと、彼の答えは「お前がエネルギーを注ぐほうだよ」という。
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これは文化人類学からの戦争と人間の本質という大きなテーマについての意見です。
ここでの「人類」にもさまざまなタイプがあるということですから・・・・最後のチェロキー族の逸話は、ルトワックの「戦争のエネルギーを焼きつくすのが戦争の役割」という部分につながってきそうな。
