自然は真空状態を埋めようとする |
さて、国際政治学、とくに古典地政学のような分野では、暗黙の了解として「自然は真空状態を嫌う」という考え方がどこか前提にあるような気がします。
これは19世紀のパワーゲームたけなわの頃の考え方に近いと言われておりますが、最近でもオバマ大統領のアジア訪問取りやめによってできたアジアでの「真空状態」は、中国によってその穴埋めがされたという解釈もなりたちますね。
ところがこれを現代人の個人レベルに応用して考えますと、むしろ自分の生活の中に「真空状態」をつくるのが困難になっているということが言えないでしょうか。
よく向こうの記事なんか読んでおりますと、「われわれは情報時代に生きているが、これを反対に言えば“注意をそがれる時代”(the Age of Distraction)なのではないか」という言葉がよく出てきます。
これはみなさんが手にしている携帯・スマホなどをはじめとする情報系のガジェットをはじめとする「テクノロジー」が、われわれの注意や集中している時間を常に邪魔しようとしている状態のことを示します。
要するに、われわれは自分たちの生活の中で「真空状態」を、つくりたくてもつくれない状態にあるわけです。
ところが世の中にあふれている情報というのは、どちらかといえばまだまだ「詰め込め、もっと詰め込め」と迫ってくるようなものばかり。真空状態ではなく、むしろ「圧縮空気を作れ」と言わんばかりの状態です。
「戦略とは優先順位を決めることだ」という考えもありますが、もう一つの考え方としては「何を減らすか」を考える、いわゆる劣後順位の考え方もあります。
これを私なりにいいかえれば「意識的に生活の中に真空状態をつくること」になるわけですが、これがなかなか難しい。
しかし自分の生活の中で何か新しいことをやろうとすれば、それにたいするエネルギーが必要になってくるわけで、その際に別のところで無駄に使っていたエネルギーを振り当てないと(つまり真空状態をつくらないと)何もできないのかなぁと考えております。
つまり「余計なことをするな」ということですが、人間というのは習慣の生き物でありまして、その無駄な習慣の中に大きな魔物が・・・・
そんなことを考えているより、早く仕事をせねば(苦笑