戦争の原因は「平和」だ |
さて、Twitterのほうにも少し書きましたが、戦争と平和の問題について少し。
最近思うところがあり、昔訳したグレイの『戦略の格言』を読み返しているのですが、これになかなか良いことが書いてあります。それは格言5の
「平和と秩序は自律的なものではなく、誰かによって維持・管理されなければならない」
という主張。グレイはこれを再びマイケル・ハワードのこれまた有名なエッセイの中に書いてあることをインスピレーションにしながら、この格言の意味を説明しております(pp.52-59)。
もちろんここでのグレイの意見は、どちらかといえば「世界秩序は誰かによって守られるべきである」ということであり、暗にそれを守るのがアメリカ(とイギリス)の役目であるという意味を含んでおります。
しかし私は、さらにそれに対して付け加えたいことがいくつかあります。それは「平和」という一つの「秩序」(order)についてです。
すでにTwitterのほうにも書いた通りですが、一般的なリアリストや戦略研究の専門家たちにとって、「平和」というのは「戦争の一時休止の状態」という認識が(極端かもしれませんが)けっこう一般的です。
ミアシャイマーの「攻撃的リアリズム」などは、まさにこの典型ですね。
ところがこれ以外にも、彼らの中で一般的に多い解釈は、「平和=秩序」という解釈。どちらかというとグレイはこちらの解釈を採用しているようで、ある特定の秩序(たとえば現在のアメリカ主導の国際社会の枠組み)を守るために、アメリカは戦争をすることがある、ということを述べております。
しかしこの「秩序」の考え方からわかるように、このような秩序というのは実は「誰かにとって有利な価値観によって構成されてる」秩序でありまして、現在の場合はそれが「アメリカに有利な秩序」ということになります。
これを大胆にいいかえれば、「秩序」、そしてそこから生まれる「平和」というのは、もともとその価値からして完全に中立なわけがないのです。
そしてこのような国際的な「秩序」や「平和」というものが完全に中立なものではないということがわかると、我々はここで恐ろしい事実に気づくことになります。
それは、戦争の原因は(価値的に中立ではない)「平和」にあるという冷酷な事実です。
これをさらに言えば、「平和」こそが戦争の原因になるということです。
冷静に考えてみましょう。戦争が起こる前というのは、そこには常にある一定の秩序が保たれている状態の「平和」が常にあったわけであり、その秩序による平和に我慢ならなくなった人々が、少なくとも自分たちにとって有利になる「新しい秩序」を求めて戦争をはじめてきた、いうのがほとんどの人類の戦争の歴史に残っているわけです。
われわれは日本の教育において、「平和は素晴らしいもんだ」と長年教わってきましたし、いまだにメディアを通じてそういうメッセージを受け取っております。
これはこれでいいものかもしれませんが、実はその「平和」や「秩序」って、本当に全人類にとって望ましいものなんでしょうか?
「平和」には価値判断が含まれており、しかもこの特定の「平和」に納得しない人間はかならず一定数存在する、ということについて、われわれはもっと敏感になるべきなのかもしれません。