戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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サイバー戦争によって地理への注目度が高まる?

今日の松山市はよく晴れてまして、とても気持ちのよい初秋の快晴でした。

さて、昨日の続きのような感じで一筆。

古典地政学の歴史の移り変わりを見ていくと、ひとつ痛感することがあります。それは地理という要素を無視しようとすると、逆に地理が復讐してくるという現象です。

これだけではわけがわからないと思いますので、最近の具体的な例を挙げますと、数日前の紹介したサイバー紛争の歴史にかんする本の中に書かれている、「サイバー戦争というのは、隣国の間でしか起こっていない」という興味深い事実。

サイバー紛争(戦争)というのは、その定義からすると、国家がからんだアクター同士が、サイバースペース上で政治的な意図を持った形で破壊行為に及ぶ、ということになるのでしょう。

ところがこの本の中では、いままで行われてきた国家同士のサイバー紛争では、そのほとんどが隣国の間でしか行われていない、と指摘されているのです。

これは「サイバー空間は地理を越える!」と言ってきた、いわゆるサイバーパワーの推進者たちにとっては頭をかしげるような事態なのですが、抽象度を上げて考えてみれば、このような現象は至極当然なことです。

なぜなら、ある一方の要素を完全に否定するような理論(この場合は地理を否定するサイバー理論)が必要以上に押し進められると、逆にある時からその否定された要素の重要性に焦点が当たるようになるからです。

昨日の絡みでいえば、地理を全く考慮に入れないで理論を構築したウォルツの弟子たち(ウォルトやポーゼンなど)は、すぐに師匠の理論に地理的な要素を補完するような行為に出ておりますし、第二次大戦後に「地政学」を最も強く否定したアメリカが、実は極めて地政学的な大戦略を冷戦時代に推し進めたことなどはその良い例です。

このような、「一つの要素を否定しようとしてその対極の要素の役割を強調しすぎると、逆に元の要素の重要性が浮かび上がってきてしまう」という現象は、なにも学問の世界だけの話ではありません。

たとえば「愛」を強調しすぎると、その反対にそれを説いている人の「憎しみ」の部分がふとした瞬間にスキャンダルとして出てきたり、リベラル的な政策を提唱している党の内部が、リベラルとは正反対の冷酷な人間関係で成り立っていたり、という例はザラなのです。

似たようなことはEHカーも言っており、彼の主著である『危機の二十年』の中では、

「リベラルの理想はリアリズムの現実の前にひれ伏すだろう。しかしリアリズムは何も理想を示せないために行き詰まる」

という主旨のことを言っています。これはどちらが正しいというよりも、二つの思想の要素というのは表裏一体であるということなのかもしれません。

沈黙があるから音が存在できるように、どうもわれわれの住む世界というのは、一方の要素を否定しようとすると、逆に否定されているという事実のおかげで、かえって否定できないもののようになってしまうのではないでしょうか?

サイバーで地理を越えられる!グローバル化で地理を越えられる!という楽観論もわかるのですが、最終的には「やっぱり地理って重要だよね」というところにかえってくるのでは。


Commented at 2013-09-19 06:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by masa_the_man | 2013-09-18 23:36 | 日記 | Comments(1)