シリアを空爆するがいい |
昨日は熊本まで一泊で出張してきました。加藤清正公が作った城が思ったよりも立派だったので驚きました。聞きしに勝るとはこのことですね。これを踏まえて山梨にはぜひ甲府の舞鶴城を復活させてほしいのですが。
さて、シリア情勢の緊張度が高まってきましたが、なかなか挑発的な意見記事がありましたので要約です。著者はノースウェスタン大学の若手のイアン・ハード准教授。
===
たとえ違法でもシリアを空爆せよ
By イアン・ハード
●最近のシリア内戦での虐殺では十万人以上が殺されており、アサド大統領のこれ以上の虐殺を止めるための何らかの緊急な対応が求められる。
●ところがこのような状況の中で、国際的な軍事力の使用についての法的な基盤についての混乱が見られる。
●まず法的な面からいえば、シリア政府の化学兵器の使用は、自動的にアメリカの武力介入を正当化できるものではない。
●ところが倫理的な面から言えば、この法はやぶってもいいことになるし、私は個人的にオバマ政権はシリアに介入すべきだと考えている。しかし、既存の国際法にはそれを正当化できるものが何もないのだ。
●ジョン・ケリー国務長官が今週の月曜日に強調していたのはまさにこの点であった。彼は化学兵器の使用は「国際的な規範が破られたことにはそれなりの結果が伴う」と述べている。彼が「法」という言葉の代わりに「規範」という言葉を使った点がミソである。
●シリアは1972年の生物兵器禁止条約の加盟国ではないし、1993年の化学兵器禁止条約の加盟国でもない。さらにもし加盟国であったとしても、この法が適用されるかどうかの判断は国連安全保障理事会によるのであり、これは大きな欠陥なのだ。
●シリアは戦争における毒ガスの使用を禁止した1925年のジュネーブ条約を批准しているが、この条約は第一次大戦後の国際的な戦争を念頭において作成されたものであり、国内での紛争は想定されていない。
●では「化学兵器がそもそも禁止されているものである」という主張はどうなのだろうか?
●たしかにいくつかの行動――たとえば民族大量虐殺、奴隷制、そして海賊行為――は、条約などが存在しなくともそもそも不法的なものであると考えられているが、それでも化学兵器はまだこれらのカテゴリーには入っていないのだ。
●今日ではおよそ10カ国が化学兵器を保持しており、その最大量を持っているのがロシアとアメリカだ。この両国とも段々とその量を減らしつつあるのだが、それでも約束を果たす期限となっていた去年の時点では全廃できていない。
●もちろんアサド政権が人道的な原則をこの二年間の内戦においていたるところで破っているのは間違いない。これには民間人を区別なく殺害することを禁じた1949年のジュネーブ条約を違反していることが含まれている。
●ところがこの条約は安全保障理事会が合意しないと行動を起こせないため、ほとんど意味がないことになる。これは現在の国際法の欠陥であり、普遍的に認められている介入の際の法的な基盤は存在しないのだ。
●1945年以降の世界の国家が従うべき法的な義務というのは国連憲章にある。この憲章では国家に「国土の統一やいかなる国の政治的独立にたいして武力の使用の脅し、もしくは実際の使用をすること」を慎むことを求めている。
●軍事力に使用が認められるのは、安保理に許可された場合か、自己防衛(ヨルダンやトルコはこの方式でアサド政権に対抗する同盟側に参加することを考えている)の場合であるが、それでも純粋に人道的な理由というのは認められていない。
●もちろん法だけではなく、倫理が政策的な決定を導かなければならないこともある。90年代のルワンダやバルカン半島で起こっていた虐殺以来、人道面からの介入のために武力の使用を許可するための「第三のカテゴリー」として設定すべきだという動きが出てきている。これは「保護のための責任」という概念で語られている。そしてこれは国連やほとんどの国々に受け入れられているものだ。
●ところがこれは国連憲章には存在しないし、法的な根拠も持っていない。
●同じようなことは1999年にNATOがユーゴ内のコソボを国連の認可なく爆撃した時にも出てきた問題だ。その当時も今回も、ロシアと中国が安保理での許可を与えようとはしていないし、「コソボに関する独立国際委員会」はのちにこれを「違法だが正統的」な軍事力の行使であると呼んでいる。
●この時にNATOは暗黙的に自分たちの行動が違法なものであることを認めていた。彼らは自分たちの行動を法的な面ではなく、倫理的、そして政治的な言葉で弁護したのだ。
●国際犯罪法の規範の制度機関というのは国際司法裁判所の11年間の経験を踏まえてそれ以降に強化されてきている。カンボジア、ルワンダ、そしてユーゴなどの特別裁判からわかるのは、虐殺犯たちは処罰されるべきだという総意ができつつあるということをあらわしている。
●ところがもしホワイトハウスが(国務省がやっているように)国際法を真剣に考慮することになれば、この両方のいいとこ取りはできない。つまり「違法だが正統性」な介入のほうが何もしないよりはマシだという主張をするか、もしくは国際法を変えるべきだと主張するかのどちらかだ。
●この戦略を、私は「解釈上の不服従」(constructive noncompliance)と呼んでいる。
●そして今回のシリアの場合、私は後者を選ぶ。ロシアと中国がどうしようもないことはわかっているため、オバマ大統領と同盟国のリーダーたちは、すでに国際法が発展してきたことを踏まえた上で、シリア介入には安保理の許可は必要ないと宣言すべきだ。
●これは多くの人々の賛同を得るはずであるし、私もこれは正しいと思う。ところがアメリカ政府が「法の支配」を文明社会の基礎だと認めるとするなら、これが新しい法的な道につながっていることは明らかなのだ。
====
新しく法を制定するか、それとも「違法」であることを知りながら「人道的・倫理的」なところから介入するのか・・・・ジレンマは続きます。
結局のところ、これも世界観というか、価値観の問題です。戦略とは価値観の話なんですね。