戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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大理論はなぜ必要なのか

今日の横浜北部はまた曇りがちで、午前中は少し雨が降りましたが、午後は蒸し暑い曇空でした。

さて、昔翻訳したものの中に現在の国際政治を見る上でも参考になる部分がありましたのでその抜き書きを。

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社会科学者たちは長年にわたって「秩序」(order)の問題に取り組んできた。しかし、筆者が知る限り、プラトンとアリストテレスが使用したカテゴリーの観点で分析が行われたことはない。

学者が研究で使用するのは、ボトム・アップ方式(問題を扱いやすい大きさに細分化して対処する方法)とトップダウン方式(ヘーゲルとマルクスの伝統にのっとった大理論の形式)である。

これらのアプローチは共に有用なものではあるが、先にプラトンのパラドックスに関する議論で述べたように、どちらの方式も、もう一方が生み出した知識がないと使用するのは難しい。それでも大理論が有用なのは、研究を行うための枠組みを提示し、実験論的な研究に適用可能な命題を示唆してくれるからである。

トーマス・クーン(Thomas Kuhn)が説得力を持って主張したように、ほとんどの研究はパラダイムか大理論(この二つは密接に関係していることが多い)の範疇で行なわれる。パラダイムや大理論がないと、研究プロブラムを組み立てたり実行したりすることが難しくなるか、おそらくは不可能になるだろう。

たいていの人々は理論を使用して世界の現象にアプローチするが、モリエール(Moliere)の作品の中でムッシュ・ジョルダン(Monsieur Jourdain)が散文を声に出して詠んでいるときと同じように、理論を使用しているという意識はないのかもしれない。政治家やジャーナリストの多くはムッシュ・ジョルダンと同じである。彼らが持ち合わせているのは、世界の動きに関する、中途半端であいまいな理論であり、その理論を使用するのは新しい状況に直面したときにその状況を理解するためである。

社会科学者がほかから区別されるのは、理論を明確にし、前提をはっきりと述べて理論の命題を理論の観点から正当化し、その命題を適切な証拠に当てはめてテストするか、最低でも評価するという点である。

ところがすべての社会科学者が実証主義の枠組みの中で研究しているわけではない。たとえば、社会の実体を構成し、アクターや行動に意味を持たせる背景や条件を理解することに興味を持っている社会科学者は多い。

「理解」(Verstehen)の側に身を置く学者も「説明」(Erklärung)の側に身を置く学者もともに、種類は異なるにしても、われわれの注意を特定の問題、関係性、証拠に向けさせるために理論を使用しているのだ。また、彼らは自分たちが「妥当だ」と考えるテストや評価方法に注意を向けさせる場合もある。

理論にはもちろんマイナス面もある。たとえば、理論は特定の問題を無視するか、切り捨ててしまう。また、特定の種類の調査を奨励しない一方で、認識面で一貫性を保つために、矛盾する情報をわれわれの期待に同化させることを奨励する。

たとえばハンス・モーゲンソーは、一九四〇年にフランスがあっけなく敗北したときに困惑している。なぜなら、当時主流を占めていた理論とは矛盾するという理由から、一般的にはこのような出来事は起こるはずがないと思われていたからだ。しかしこの出来事は、のちに過去を回顧することによって、既存の理論に当てはめて解釈され直されたのである。

このような巧妙なごまかしを使うことから、社会科学者は「事実が矛盾していることに照らして自らの前提を変えるというよりは、前提に固執するあまり、経験の前では敗北を続けてしまうという慢性的な傾向」を持っているのである。

互いに競合するパラダイムや大理論は、このような問題にとっては不完全で一時しのぎのものである。これらのパラダイムや理論は、新たな別の問題にわれわれの目を向けさせてくれるのであり、その問題が重要であると考えられる理由や、問題にアプローチするときの方法を教えてくれる。

また、異なるパラダイムや理論があることで、特定の大理論とは相容れなかったり矛盾したりする証拠を無視することが難しくなる。それらを無視すれば、ほかの理論やパラダイムの提唱者から間違いを指摘されるのは間違いないだろう。

国際関係には、リアリズム、リベラリズム、マルクス主義、構成主義というように、いくつかの競合するパラダイムがすでにある。英国学派、フェミニズム、プラグマティズム、認知心理学、社会学的制度主義、哲学的実在論などのおかげで、われわれの選択肢はさらに増える。これらのパラダイムは知的な細分化をもたらすとともに、知的な正直さを奨励する。その一方で、研究分野のかなりの部分を細分化させることにもなったのだ。

それでは、なぜさらに別のパラダイムと、それに関連する大理論が必要なのであろうか。

私は、これにはやむを得ない理由があると考えている。最も重要なのは、既存のパラダイムやパラダイムに組み入れられた理論には、人間の動機に関する説明がごくわずかしかないということである。

すでに述べたように、リベラリズムとマルクス主義は「物欲」(desire)を基礎としており、この点ではリアリズムも大きく違わない。リアリズムは「恐怖」(fear)を基礎としたパラダイムであり、このパラダイムに属する理論が主張するのは、アナーキー的な環境下にいるアクターは安全保障を第一の関心事としなければならないということであり、それが満たされてはじめて物質的な欲求に浸ることができるということである。

ところが、精神的な動機や、自尊心を求める人間の欲求をもとに構成されたパラダイムや理論は存在しないのである。また、名誉や地位を強く求めることが、どのように(政治行動を形成するとまでは言わないまでも)政治行動に影響を与えるかということについて説明しているパラダイムや理論も存在しない。

本書が提示する国際関係の理論は、ほかの理論では説明できない行動を説明し、新たな問題を見極め、わかりやすい方法で既存の理論を再構成するために必要なのである。より一般的に言えば、それは新しく実り豊かな研究プログラムを確立するためなのである。

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以上です。ちょっと難しいですが、非常に大事なポイントを言っているかと。


by masa_the_man | 2013-07-31 23:41 | 日記 | Comments(0)