戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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ドイツ地政学者の証言:その2

今日の横浜北部は曇りの一日でした。しかし蒸し暑かったですねぇ。

さて、数日前のエントリーの続きです。

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●このドイツ人の内向きな「島国(?)根性」を打破するために出てきたのがドイツ地政学である。

●ところが海外情勢を教えるような場所は1920年代のドイツには存在せず、ドイツ全土で唯一それらを教えていたのがベルリン大学の「政治地理学研究所」であった。この研究所の所長は私の息子のアルブレヒトであった。

●ミュンヘンには研究所がなかった。私の自宅の書庫にある書物が最初の研究財産であった。

●私はこの時にミュンヘン大学からお金をもらっていない。すでに軍人としての年金をもらっていたからだ。大学からもらったら国から二重で金を受け取ることになってしまう。

●ドイツの研究者も、自国の役に立ちたいと考えていたため、完全に客観的な立場を貫き通すことはできず、ときとしてそのラインを越えて政策提言を行なうという誘惑に負けていたことは認める。私もそうだった。ただそれは、ドイツという国家が存亡の危機にあったからだ。

●1933年以降は、私はナチスに「圧力」をかけられていた。

●それまでのドイツ地政学というのは、60%から70%は客観的な「科学」であったと言えるだろう。よって、1933年以前と以後とでは、ドイツ地政学の性格はかなり違う。

●それまでのドイツ地政学のカリキュラムは、そのままアメリカで教えられていたものと同じだ。たとえば1944年の7月1日にジョージタウン大学で教えられていた地政学の「メソドロジー」というコースの内容は、そっくりそのままドイツの授業のものを使っている。これを証明する文書はアメリカのカウフマン氏とモー元スターン中佐に没収されしまったので(返すと言ってくれたが)、それを参照にしていただきたい。

●1933年以降の私の状況を考えてほしい。家族には圧力をかけられ、長男は1945年4月23日にゲシュタポに殺された。私だってダッハウ強制収容所に入れられている。地政学誌だって非常に厳しい統制を受けていた。

●ナチスは地政学を全く理解していない。それだけの知性のある人間はいなかった。私の地政学の理論を理解していたのはルドルフ・ヘス(彼は私の生徒だった)と外相のフォン・ノイラートくらいであり、しかもこれを実行に移すことはできていないのだ。ナチスはその中の言葉をキャッチフレーズとしていくつか使っただけである。

●しかし1933年以前はドイツ地政学を理解している人は多かった。シューレンブルグ、ザイペル、マサリク、ブリアン、デマンゲオン、モンタンドン、ガベッティ、ロレット、クーデンホーフ=カレルギーなどである。

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まだまだ続きます。

明日は都内の某有名進学校で特別授業に参加してきます。


by masa_the_man | 2013-07-05 22:54 | 日記 | Comments(0)