戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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テクノロジーの誘惑と教育の崩壊?その1

今日の横浜北部は雲が多めでしたがなんとか晴れ間が見えました。梅雨の晴れ間という感じです。

さて、私が長年興味を持って追いかけているテクノロジーについて、今度は教育についての興味深い記事が。かなり長いです。

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僕の子供はテクノロジーに没頭している。そしてその間違いは僕のせい。
by スティーブ・アーモンド

●数ヶ月前に自分の娘ジョシーの幼稚園の授業参観に出かけた。そのハイライトは、われわれの子供たちがiPadを使って書き方を習っている様子を映したスライドだった。親たちはここで驚いた。

●僕はたまたま先生の隣に座っていたので、自分が聞いた噂を先生に聞いてみた。翌年にこの町のすべての小学生たちが、それぞれ自分用のiPadを提供されるのではないかという話だ。

●先生の答えは、この試験的な計画はわれわれの家から三ブロックは慣れた新しい学校で採用されるはずだというものだ。ぼくの娘のジェシーは翌年そこに通う予定になっている。「あなたは幸運な親御さんですね」とは先生の弁。

●このような意見は学校のバスの停留所でも同じように聞かれた。iPadがやってくる!これでわれわれの子供たちは学ぶことが大好きになるだけでなく、彼らは最新のイノベーションを使ってそれを行うのだ!ところが僕はこのような会話の中で、一人大きな不安を感じていた

●僕が不安を感じていたのは、僕が反テクノロジー主義者(ラッダイト)だからではない。誓って言うが、僕はiPadがしっかりとした計画にのっとって導入さて監督されていけば子供たちの学びを強化するはずだし、自分たちの好きなペースで学習させることができると感じている。

●現在のようにクラスの人数が多い時代には、もちろんこれが実現するかどうかは誰にもわからないことなのだが、僕の直感では、われわれの学校はなんとかやりこなしてくれると思う。僕たちは才能溢れる先生や両親たちのいる地域に住んでいるからだ。

●正直に言えば、僕が気になったのはブランドの名前を冠した製品が学校の供給品として必需品にまでなった点である。

●さらに僕が心配になったのは、iPadがクラスを社会的環境から、それぞれの生徒が個人的な教育ガジェットをいじって離れることができなくなっているような、地下鉄の列車の中のような状況に変えてしまうのではないかという点だ。

●ところがこのような心配の底にあったのはさらに根本的な不満だ。それは学校システムが、そのつもりもないまま、僕の子供への教育を誤らせてしまうのではないかということだ。僕がとくに注意しているのは、子供になるべくスクリーンを見させないようにするという点だ。

●このような努力は、そもそも僕自身の初の「デジタル世代」としての体験から来ている。そしてこの葛藤は、僕の中でいまだに「テクノロジーの素晴らしい恩恵を活用する」というものと、「スローで不便なアナログ世界の歓び」として衝突しているのだ。

●僕がいま経験しているのは、実質的に世代的な「応報」であり、われわれの子供たちが、テクノロジー革命を突き動かすせっかちな欲望に直面しなければならないことを考えた時に吐き気をもよおすのだ。

僕はテレビを持っていない。そしてこのことを自慢するような「面倒くさい奴」かもしれない。そう思われて当然のところはあるだろう。

●でも実際にこれを言うのは誇らしい部分がある。なぜなら僕はまるで時代の表層的な動きとは逆行しているからだ。

●だがその理由について僕はほとんど口にしないことにしている。なぜならもしテレビを持っていると、僕はずっとそれを見続けてしまうからだ

●僕が子供の頃、僕と兄はテレビに夢中で、それに関する言葉を色々とつくったほどだ。テレビをつけてチャンネルを制御している兄は「発する」という言葉を使っていた。その意味はわからなかったが、僕もその言葉を「テレビをコントロールすること」だと理解していた。

●このような話は1970年代のことだ。僕たちはテクノロジーが発展し始めた新しい世界に生きていたのであり、その数年間に最新式の計算機やゲームセンターのゲーム機などが表れることになった。僕はそのようなゲームを最後のコインまで徹底してやるような子供だったのであり、それで寂しさを確実に紛らわすことができと知っていた。

●僕が大学を卒業するまでにはパソコンの時代が始まっていた。僕は自分のパソコンでフリーセルやトランプのゲームで没頭した。

●ところが20代半ばにくると一つの転換期が訪れた。僕は本を読んだり小説を書き始めたのだが、そこですぐ明らかになったのは、僕の仕事の質は無駄な事に使う時間をいかに省けるのかという能力に直接的に比例して上がるということだ。

●僕はここ20年間で、人間の注意を引きつけることにすべてをかけている「画面」の永遠の誘惑から自分を切り離す戦いを続けている。

●この戦いに僕は勝っているのだろうか?微妙なところだ。僕は同時代の人間より少し遅れているのだろう。

●でもテレビやスマホがなくても、僕たちの家はコンピューターに支配されている感じることがある。とくに僕と妻(彼女ももの書きだ)が家で働いている時などはそうだ。僕らはスクリーンと何時間もにらめっこしているし、そこでも仕事から注意をそがれていることが多いからだ。

●僕らの子供はこの不安をさらに増幅されている。僕たち夫婦はジョシー(6歳)とジューダ(4歳)の二人が一日に画面を見る時間を45分に制限している。でも彼らはうまくごまかしてそれ以上見ている。ビデオを抱え込んでおじいちゃんやおばあちゃんたちとテレビ電話をするとかだ。

●彼らはテクノロジーに溢れた世界でこれから育つわけだから、その誘惑も倍増することになる。

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長いのでこの続きはまた明日。


by masa_the_man | 2013-06-24 22:15 | 日記 | Comments(0)