2013年 06月 14日
余計なノイズに惑わされている人間が多すぎる? |
今日の横浜北部はまたまた梅雨の一日だったのですが、昼過ぎから少し晴れましたね。いきなり蒸し暑くなりましたが。
さて、またまた昨日のエントリーの続きを。
前回までは「成功している人/勝っている人」の特徴や共通項みたいなことについて書いてきたわけですが、これとは反対に「失敗している人/負けている人」を観察するというのもきわめて大事。
というのも、いわゆる「失敗学」と一緒で、ここから逆に成功するためのヒントがいくらでも導き出せるからです。
では「失敗している人」というのは、どういう共通項を持っているのでしょうか?
私がいままで見てきた身近な例から出てきた答えは、
「余計なことに惑わされている」
というもの。
たとえば一番よく見た例が、留学先で卒業できずに祖国に帰ってしまうことになった/ドロップアウトした人たちです。彼らの共通項は、なんといっても「論文を仕上げる」という本文を忘れて、友達や先輩、それにバイトや仕事などを優先した結果として、それを完成させられなかったというパターンばかり。
日本以外の国で勉強したことのある人はご存知かもしれませんが、向こうの高等教育機関というのは、コースについていけなければ容赦なく人を落とすシステムでして、とくにドクターコースなどはイギリスでは修了できる確率が3割以下であると聞いたことがあります。
ではあとの7割の人々はなぜ修了できないのかというと、私が見る限りでは非常にシンプル:勉強以外のことをやっているから、です。
ではなぜ勉強以外のことをやるのか?
自らの本分(この場合は論文を書いて卒業する)をすっかり忘れて、他の雑事にかまってばかりいて、集中しないからです。
ではなぜ集中できないのでしょうか?
これは自戒も含めて言いたいのですが、それは頭の中に「ノイズ」が発生していて、本当にやらなければならないことについて腰を落ち着けて集中できないからです。
ところが私は自分の論文が締め切りでピンチになった時に、この「頭の中のノイズ」を消すためにはどうすればいいかと考えて、いわゆる「引きこもり的な状態」をつくらなければダメだと感じたわけです。
そこである時からなるべく友人とも会わず、論文だけに集中できる「引きこもりの環境」をつくって、無事に卒業できることになったわけですが、その反対に失敗した先輩や後輩たちを見ていると、本当に彼らが「集中できていない」ということを痛感したわけです。
とくに一般社会に目を向けますと、失礼ですが一生うだつの上がらない人とかを見ていてもわかる通り、彼らの思考の中身はノイズだらけで、余計で無駄な迷いや欲望(これを仏教用語では“煩悩”といいますな)を抱えている人たちばかり。
かたや何かの分野で成功をおさめる人たちは、少なくとも自分が成功したいと思っている分野のことについては余計なことを考えずに作業を集中させており、その作業に入る段階までに躊躇したり、変に心構えやスタイルにこだわったりということがありません。
昨日のエントリーで私は「さっさと成功しちまいましょう」と書いたわけですが、実際に成功できる人たちは余計なことを考えずに成功することに集中できるわけで、その反対に失敗する人たちは、余計なことばかり考えて抵抗感を感じたりして、「さっさと成功」しようとは心の底からは思っていないみたいなんですよね。
ということで、一番最初に重要になってくる「頭の中の余計なノイズ」を取り払うためには、やはり一人きりになれる静かな環境というものが必要かと。
(大学の廊下)

さて、またまた昨日のエントリーの続きを。
前回までは「成功している人/勝っている人」の特徴や共通項みたいなことについて書いてきたわけですが、これとは反対に「失敗している人/負けている人」を観察するというのもきわめて大事。
というのも、いわゆる「失敗学」と一緒で、ここから逆に成功するためのヒントがいくらでも導き出せるからです。
では「失敗している人」というのは、どういう共通項を持っているのでしょうか?
私がいままで見てきた身近な例から出てきた答えは、
「余計なことに惑わされている」
というもの。
たとえば一番よく見た例が、留学先で卒業できずに祖国に帰ってしまうことになった/ドロップアウトした人たちです。彼らの共通項は、なんといっても「論文を仕上げる」という本文を忘れて、友達や先輩、それにバイトや仕事などを優先した結果として、それを完成させられなかったというパターンばかり。
日本以外の国で勉強したことのある人はご存知かもしれませんが、向こうの高等教育機関というのは、コースについていけなければ容赦なく人を落とすシステムでして、とくにドクターコースなどはイギリスでは修了できる確率が3割以下であると聞いたことがあります。
ではあとの7割の人々はなぜ修了できないのかというと、私が見る限りでは非常にシンプル:勉強以外のことをやっているから、です。
ではなぜ勉強以外のことをやるのか?
自らの本分(この場合は論文を書いて卒業する)をすっかり忘れて、他の雑事にかまってばかりいて、集中しないからです。
ではなぜ集中できないのでしょうか?
これは自戒も含めて言いたいのですが、それは頭の中に「ノイズ」が発生していて、本当にやらなければならないことについて腰を落ち着けて集中できないからです。
ところが私は自分の論文が締め切りでピンチになった時に、この「頭の中のノイズ」を消すためにはどうすればいいかと考えて、いわゆる「引きこもり的な状態」をつくらなければダメだと感じたわけです。
そこである時からなるべく友人とも会わず、論文だけに集中できる「引きこもりの環境」をつくって、無事に卒業できることになったわけですが、その反対に失敗した先輩や後輩たちを見ていると、本当に彼らが「集中できていない」ということを痛感したわけです。
とくに一般社会に目を向けますと、失礼ですが一生うだつの上がらない人とかを見ていてもわかる通り、彼らの思考の中身はノイズだらけで、余計で無駄な迷いや欲望(これを仏教用語では“煩悩”といいますな)を抱えている人たちばかり。
かたや何かの分野で成功をおさめる人たちは、少なくとも自分が成功したいと思っている分野のことについては余計なことを考えずに作業を集中させており、その作業に入る段階までに躊躇したり、変に心構えやスタイルにこだわったりということがありません。
昨日のエントリーで私は「さっさと成功しちまいましょう」と書いたわけですが、実際に成功できる人たちは余計なことを考えずに成功することに集中できるわけで、その反対に失敗する人たちは、余計なことばかり考えて抵抗感を感じたりして、「さっさと成功」しようとは心の底からは思っていないみたいなんですよね。
ということで、一番最初に重要になってくる「頭の中の余計なノイズ」を取り払うためには、やはり一人きりになれる静かな環境というものが必要かと。


by masa_the_man
| 2013-06-14 21:40
| 日記

