戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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シンボルとツッコミの無限ループ

今日の横浜北部は曇り空の一日でした。そろそろ梅雨空が帰ってきそうな雰囲気。

さて、数日前のエントリーのつづきを。

>「シンボル」の力の前には「理詰め合理的な説明」は無力である

ということを書いたわけですが、結局のところこれは、「国民」や「世論」のような大多数の人間を動かすには、「合理性」よりも「象徴」だといいたかったわけです。

それはなぜか。

私は人間という生き物が、理論や合理性ではなく、やはりあやふやな感情や印象、それに潜在意識のようなところで動かされている部分が非常に大きいからであると考えております。

もちろん中には「理詰め」や「科学的合理性」のようなきちっとした「説明」などによって動く人というのもある程度の数はいるとは思います。

ところが一気に大人数を一つの方向に動かそうということになると、やはり「風」というか「雰囲気」や「時代精神」のような、シンボリックな作用によるものでないとどうやらダメらしいのです。

おそらくこれをよく体感的にわかっているのが、政治家という生き物かと。

彼らはそもそも政治家を志した当初は「政府のあんなアホな説明はなっとらん。おれが理詰めでしっかりとした政治をやってやる」と考えるものかもしれませんが、いざ選挙に出馬してみると、やらされるのは「シンボル」の操作ばかり。

イヤだといって「理詰め」の説明ばかりしようとしても、町往く人は耳を傾けてくれませんし、支援者もついてこない。

ということでシンボル操作や印象操作にいそしんで当選することになるわけですが、一度これで「大衆を動かすにはシンボルしかない」と理解してしまうと、今度は「いかにシンボル操作で大衆を動かすか」というところに意識が行ってしまうわけです。

理詰めの精神が残っている人は、このような印象操作を行いつつも、実際は合理的な政策を実行しようとするわけですが、問題はそこで彼・彼女が、「言っていること」と「やっている」ことの間の強烈なジレンマに直面してしまうこと。

そうなったときに、彼らは「ウソ」をつかなくてはならなくなるわけです。

ジャーナリストたちは、この政治家の「ウソ」を指摘したり、彼らの印象操作の欺瞞をあばいたりするわけですが、逆に批判するジャーナリストたちが政治家にかわって政治を動かそうとすると、彼ら自身もわかりやすい「シンボル」(悪徳政治家など)を使わないと、大きな影響力を発揮できないわけです。

ようするに何が言いたいかというと、われわれがなるべく多くの人に自分の政治的主張やメッセージなどを理解してもらって、それによって社会を動かそうと思ったら、必ずシンボルなどを使ってイシューをわかりやすくしなければ無理だということです。

そしてわかりやすくすると突っ込まれ、その突っ込んだ側もわかりやすく解説できないと伝わらず、だからまたわかりやすいメッセージを持った人間があらわれ、それを突っ込む人があらわれ・・・という無限ループの完成です。

現実は複雑です。そして人間は単純化しないとわかりません。しかしわかりやすくすると突っ込まれます。

政治家とメディアと大衆の関係というのは、このようなジレンマを抱えながら、今後も未来永劫続いていくんでしょうな。
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(熊本のシンボル)
Commented by ちゃんきり at 2013-06-10 23:46 x
民主主義のジレンマなんですかね。政治の素人たち(僕も含めて)に政治を理詰めで説くのは難しそうですね。民主主義とデマゴーグの存在というのは切り離せなさそう。あと、今回の橋下さんは中途半端でしたねぇ。シンボルの使用も理詰めの程度も。。。
Commented by 中山太郎 at 2013-06-11 13:43 x
民主主義はメンドクサク手間がかかる複雑な政治システムなのです。橋下さん、渡米して、ご自分の思いのたけを存分世界に(現時点では英語で、且つ首都かNYで)話すべきでした。受け入れられないでしょうが、具体的に今後の戦術としてどこを変えて行けば良いのかを日本人皆へ伝えられたと思います。
by masa_the_man | 2013-06-10 22:10 | 日記 | Comments(2)