戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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大学での教育の本当の価値は?

今日の横浜北部は気温は低めでしたが快晴の気持ちよい一日。

さて、面白い文系の話がありましたのでその要約を。著者はノートルダム大学の哲学科の先生です。

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なぜ私は教えるのか

by ゲーリー・ガッティング

●私のノートルダムでの授業もそろそろ年度末で今期が終了するが、結局のところクラスで実際に何を達成できたのかを考えている。

一般的な答えとしては、「授業で生徒に知識を与える」というものだろう。それはスキルであったり情報であったりする。

●そういう意味でテストというのは重要に思える。なぜなら生徒たちがコースの中で得た知識を計測することができるからだ。

●ところがたった数年前に良い点をとったテストの知識は本当にわれわれの役に立っているのだろうか?30年戦争の原因について議論せよ;メアリーは20歳で、それは現在のアンの2倍の年だ、アンは何歳?;シェークスピアの初期の喜劇は後期のロマンスものとどう違う?;メンデルの法則のかんたんなまとめを述べよ、などのテストだ。

●全体的にいえば、大学教育というのは複雑な知識をごく短い期間で覚えてしまうものであり、その知識はいくつかの支離滅裂なものを除けばすぐ忘れてしまうようなものだ。

●もちろん全員が読み方や書き方、それに基礎的な計算はできるようになるし、歴史と地理もわずかに記憶することになる。ところがそのような知識は、われわれがEメールや公共料金の支払い、それに新聞を定期的に読んだりするから身につくものであり、われわれが小学三年生の時に一気に覚えてしまったからではないのだ。

●同じようなことはわれわれが大人になってから身につけた知識についても言える。私は自分が大学や大学院で習った哲学者についてよくおぼえているが、それも後で何度も研究や教える時のために復習した人物だけである

●一般的に、人間というのは自分の仕事で何度も使う知識についてはよく記憶しているものだ。ところが一度ならっただけで何度も復習しない知識というのはほとんど忘れてしまうのだ。一度しか習っていない知識というのは、せいぜい「教養がある」と少し思われるくらいが関の山なのだ。

●私の結論は、大学のほとんどのコースの目標は「知識の獲得」ではなく、ある一定の知的作業に従事することにある、というものだ。

● 私は過去数年間に一年生の特待生クラスを教えるというチャンスを得たのだが、そこではプラトンやツキュディデスからカルヴィーノ、そしてナバコフまで幅広く素晴らしい文献を読むのだ。

●このクラスではしっかりと文献を読んだ上で活発な議論を行うのであり、生徒たちは特定のパッセージについて議論をした素晴らしい小論文を書いてくる。

●ところが彼らが得た知識の半減期はたった一年以内である。このクラスの目標は、ただ単に偉大な著作に出会って触れあうことだけにあるのだ。

●ではこのような「出会い」の価値はどこにあるのだろうか?

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時間がないので続きはまた明日。
by masa_the_man | 2013-06-02 22:30 | 日記 | Comments(0)