質問の質が人生を左右する?その2 |
さて、二日前のエントリーのつづきを。
「質問がいかに重要か」ということなんですが、これは前回お話しさせていただいように、人生の質を左右します。
つまり、自分に問いかけている質問の善し悪しが集めてくる情報の質を変えてしまい、その結果として自分の意識の方向性までを決定してしまう、というメカニズムになっているわけです。
そしてこのような「質問」の機能は、戦略を考える上でも極めて決定的な役割を果たしております。
たとえば何か問題が起きたときも、よい「質問」ができていれば、その解決法や対処法が一気にクリアーになることがあります。
その一例が湾岸戦争の時の、ノーマン・シュワルツコフ米陸軍将軍の問いかけた「質問」。
シュワルツコフは、91年の湾岸戦争の時に「砂漠の嵐作戦」で陸上部隊の指揮をとり、彼の「左フック」という機動展開は有名ですが、それ以上に大切なのが、彼が作戦を執行するにあたって、たった一つの質問を自分の判断基準にしていたということ。その質問とは、
「これは、イラク軍をクウェートの領土内から撤退させることに必要か?」
というもの。
そうなると、この質問に合致しない問題、たとえば
「サウジアラビア政府が自分たちの野菜を米軍に納入させてくれと騒いでます!」
とか、
「イスラムの聖地であるサウジの米軍基地内で米軍女性がTシャツで肌をさらして歩いているのはけしからんという意見が沸騰しております!」
という問題や非難が発生したとしても、前述の質問に当てはまるかどうかという基準だけを考えれば、これらの問題を捨ておいて、ひたすら戦略の遂行、つまり「イラク軍のにクウェート領土内からの撤退」という本当の問題に集中することができるわけです。
これと同じような「質問」のメカニズムは、われわれの生活や仕事、それに組織の運営などでも応用できるのではないでしょうか?
戦略をうまく遂行できている人々というのは、このような「よい質問」を考えることによって、問題の本質をとらえるレンズを設置し、それを通じて目の前に起こっている複雑な現象の中から適切な解を導き出すやり方を、意識的か無意識的か知っているようなのです。
何度もいいますが、質問はレンズです。
そしてこの質の高いレンズを用意できるかどうかが、戦略だけでなく、われわれの人生の質をも決定してくるということは、いくら強調してもし足りないほどです。
日本の教育というのは、どちらかといえば「正しい答え」を導き出すことに主眼がおかれております。
しかし上記のようなことを考慮すると、よい「答え」ではなく、先によい「質問」を考えることのほうがいかに重要か、ということがなんとなくおわかりいただけるかと。