2013年 03月 05日
なぜ日本に「保守派」は少ないのか |
今日の横浜北部は朝からよく晴れております。寒さもやわらいで春らしくなってきましたねぇ。
さて、先頃日本に取材にきた人間が、日米の保守主義について分析した論説記事がありましたのでその要約を。
===
日本の保守派?
by ジェフ・ジェイコビー
●自民党が政権に復活した時の西側のメディアで報じられたのは「経済不安にかられた保守派が地滑り的勝利をもたらした」というものであった。
●たしかに2009年の日本国民は、長年支配してきた自民党(実際の名前よりもはるかに保守的な党だが)ではなく、その代わりに左の連立政権に運命を託したのだが、今はこれが完全に保守派の前首相である安倍晋三に取って代わられることになったのだ。
●では日本にもティーパーティー(茶会党)運動がやってきたのだろうか?
●アメリカ側の識者にとっては、安倍首相の地滑り的勝利は二年前のアメリカの下院で起こった60年ぶりの共和党の大勝利と重なるかもしれない。
●この時の勝利は「小さな政府」「税率の低下」「個人の自由」「規制の撤廃」などを目指すティーパーティー系の保守派の勝利だったわけだが、日本でも同じようなことが起こったのだろうか?
●もちろん日本国民も、健全な納税者による反乱を使うことができたかもしれない。日本の財政は悲惨な状況であり、高齢化も急激に進んでいる。過去15年間に日本は5回も景気後退を経験しており、国債の格付けは下がっている。
●80年代には経済の活況は奇跡的だったのだが、現在は「失われた何十年」という話も聞かれるし、消費も投資も落ちている。最近のワシントンポスト紙も「日本は長いスランプに陥っているだけでなく、その衰退は不可避だ」と書いたくらいだ。
●アメリカでもカーター政権時には同じような雰囲気が漂っていたが、レーガンの楽観な保守主義で復活している。この70年代の納税者たちの反乱は、経済成長支持派やリバータリアン的なメッセージを保守主義の伝統の中に残すことになったのだ。
●日本の場合も、巨大な財政出動を行ってきた政府にうんざりした納税者たちが、自由でオープンなマーケット、そして個人の起業などを支持するような運動を起してもいいはずである。
●ところがこれはありえない。
●たしかに日本にはリバータリアン的な運動が始まっている。この代表的な組織の名前は「東京茶会」であるが、結局はその活動は遠慮がちで注目されていない。
●「自由は奪うことのできない権利であり、政府の権限を縮小することよりも良い方法はない」と考える人は日本では少ないのだ。
●たしかに今回日本では「保守」(conservative)が勝利したのかもしれないが、私が一月に日本を訪れた時に感じたのは、日本とアメリカの「保守」にはほとんど共通項がないということだった。
●日本の保守派は「強い政府」を好む傾向を持つ、と論じるのは早稲田大学の河野勝教授だ。彼によれば「フリードマンのような、政府の介入を少なくすべきだ、という思想を持つ人は日本にはほとんどいない」という。日本の政治家で規制撤廃を唱える人でも、それが小さな政府という信念から発せられたものではないというのだ。
●もちろん自民党の中にも財政面での保守派はいるが、彼らは少数派である。日本の政治家たちは政府の財政を正すべきだという草の根レベルの民衆からのプレッシャーにさらされることがないのだ、とは河野太郎議員。
●ようするに日本の左右の対立というのは、経済や政府の規模についてではなく、むしろ対外政策や国家安全保障、それにアメリカとの関係についての議論でわかれるというのだ。
●東京茶会の創設者である渡瀬 裕哉氏でさえも、規制撤廃や高税率の問題を語ろうとはせずに、聴衆に向かって日本の民主制の歴史や自治を考えるように訴えかけるという回りくどい手段をとっている。日本の国民にはアメリカのような「われわれの自由を踏みにじるな」という議論はまったく響かないんです、とは彼の弁。
●単純にいえば、日本には個人の自由を賞賛するような伝統がないのだ。「出る杭は打たれる」ということわざは、このような文化を象徴しているのかもしれない。
●実際のところ、この東京茶会党でさえも、大きなグループの一部のようなイメージで見られたいと考えている。渡瀬氏がこの党名を選んだ理由もここにあるのだ。
●「茶会」というのは日本では歴史的な意味はなく、この東京の党も国際的な動きの一部であり、したがって「出る杭」ではないことになる。
●去年暮れの選挙では、とりあえず日本でもリバータリアン的な萌芽は見られた。「みんなの党」がそれであり、低い税金と小さな政府を堂々と訴えている。彼らは衆議院の480議席の中のたった18議席しか占めていないが、その中の何人かは物怖じせずに「自由」を主張している。
●私がその党の議員である若き弁護士の三谷英弘氏に話を聞いたところ、彼が有権者に訴えたのは「政府に頼るな」であった。
●たしかにこれは「われわれの自由を踏みにじるな」ほどはキャッチーではないが、このメッセージがもし広まれば、日本にも本当の「茶会」が生まれるのかもしれない。
===
日本とアメリカにおける「社会」の濃密度の違いということを考えると、こういう保守思想の比較はどうなんでしょうかねぇ。
政府の役割に頼りすぎているという面では日本の保守は「保守」ではないというのは同意できますが、その「保守」というのでさえアメリカの特殊な歴史から出てきたものですから。リバータリアンとアナーキズムは紙一重、というのもありますし。

さて、先頃日本に取材にきた人間が、日米の保守主義について分析した論説記事がありましたのでその要約を。
===
日本の保守派?
by ジェフ・ジェイコビー
●自民党が政権に復活した時の西側のメディアで報じられたのは「経済不安にかられた保守派が地滑り的勝利をもたらした」というものであった。
●たしかに2009年の日本国民は、長年支配してきた自民党(実際の名前よりもはるかに保守的な党だが)ではなく、その代わりに左の連立政権に運命を託したのだが、今はこれが完全に保守派の前首相である安倍晋三に取って代わられることになったのだ。
●では日本にもティーパーティー(茶会党)運動がやってきたのだろうか?
●アメリカ側の識者にとっては、安倍首相の地滑り的勝利は二年前のアメリカの下院で起こった60年ぶりの共和党の大勝利と重なるかもしれない。
●この時の勝利は「小さな政府」「税率の低下」「個人の自由」「規制の撤廃」などを目指すティーパーティー系の保守派の勝利だったわけだが、日本でも同じようなことが起こったのだろうか?
●もちろん日本国民も、健全な納税者による反乱を使うことができたかもしれない。日本の財政は悲惨な状況であり、高齢化も急激に進んでいる。過去15年間に日本は5回も景気後退を経験しており、国債の格付けは下がっている。
●80年代には経済の活況は奇跡的だったのだが、現在は「失われた何十年」という話も聞かれるし、消費も投資も落ちている。最近のワシントンポスト紙も「日本は長いスランプに陥っているだけでなく、その衰退は不可避だ」と書いたくらいだ。
●アメリカでもカーター政権時には同じような雰囲気が漂っていたが、レーガンの楽観な保守主義で復活している。この70年代の納税者たちの反乱は、経済成長支持派やリバータリアン的なメッセージを保守主義の伝統の中に残すことになったのだ。
●日本の場合も、巨大な財政出動を行ってきた政府にうんざりした納税者たちが、自由でオープンなマーケット、そして個人の起業などを支持するような運動を起してもいいはずである。
●ところがこれはありえない。
●たしかに日本にはリバータリアン的な運動が始まっている。この代表的な組織の名前は「東京茶会」であるが、結局はその活動は遠慮がちで注目されていない。
●「自由は奪うことのできない権利であり、政府の権限を縮小することよりも良い方法はない」と考える人は日本では少ないのだ。
●たしかに今回日本では「保守」(conservative)が勝利したのかもしれないが、私が一月に日本を訪れた時に感じたのは、日本とアメリカの「保守」にはほとんど共通項がないということだった。
●日本の保守派は「強い政府」を好む傾向を持つ、と論じるのは早稲田大学の河野勝教授だ。彼によれば「フリードマンのような、政府の介入を少なくすべきだ、という思想を持つ人は日本にはほとんどいない」という。日本の政治家で規制撤廃を唱える人でも、それが小さな政府という信念から発せられたものではないというのだ。
●もちろん自民党の中にも財政面での保守派はいるが、彼らは少数派である。日本の政治家たちは政府の財政を正すべきだという草の根レベルの民衆からのプレッシャーにさらされることがないのだ、とは河野太郎議員。
●ようするに日本の左右の対立というのは、経済や政府の規模についてではなく、むしろ対外政策や国家安全保障、それにアメリカとの関係についての議論でわかれるというのだ。
●東京茶会の創設者である渡瀬 裕哉氏でさえも、規制撤廃や高税率の問題を語ろうとはせずに、聴衆に向かって日本の民主制の歴史や自治を考えるように訴えかけるという回りくどい手段をとっている。日本の国民にはアメリカのような「われわれの自由を踏みにじるな」という議論はまったく響かないんです、とは彼の弁。
●単純にいえば、日本には個人の自由を賞賛するような伝統がないのだ。「出る杭は打たれる」ということわざは、このような文化を象徴しているのかもしれない。
●実際のところ、この東京茶会党でさえも、大きなグループの一部のようなイメージで見られたいと考えている。渡瀬氏がこの党名を選んだ理由もここにあるのだ。
●「茶会」というのは日本では歴史的な意味はなく、この東京の党も国際的な動きの一部であり、したがって「出る杭」ではないことになる。
●去年暮れの選挙では、とりあえず日本でもリバータリアン的な萌芽は見られた。「みんなの党」がそれであり、低い税金と小さな政府を堂々と訴えている。彼らは衆議院の480議席の中のたった18議席しか占めていないが、その中の何人かは物怖じせずに「自由」を主張している。
●私がその党の議員である若き弁護士の三谷英弘氏に話を聞いたところ、彼が有権者に訴えたのは「政府に頼るな」であった。
●たしかにこれは「われわれの自由を踏みにじるな」ほどはキャッチーではないが、このメッセージがもし広まれば、日本にも本当の「茶会」が生まれるのかもしれない。
===
日本とアメリカにおける「社会」の濃密度の違いということを考えると、こういう保守思想の比較はどうなんでしょうかねぇ。
政府の役割に頼りすぎているという面では日本の保守は「保守」ではないというのは同意できますが、その「保守」というのでさえアメリカの特殊な歴史から出てきたものですから。リバータリアンとアナーキズムは紙一重、というのもありますし。

by masa_the_man
| 2013-03-05 14:24
| 日記

