2013年 03月 01日
あるエアパワー理論家の講演 |
今日の横浜北部は雲が多めですが、風が生暖かくて強いです。こりゃ「春一番」でしょう。
さて、昨日のことですが、確定申告で忙しいというのに都内で開催された某理論家の講演会に行ってまいりました。
この理論家はアメリカ人で、エアパワー論者としては世界的に有名な人物で、私も訳書の中で彼の論文を一本訳したことがあります。
テーマは「冷戦後に直面した戦争でアメリカが得た教訓」というもので、彼は簡潔にその教訓を12個のポイントにまとめておりました。非常に親切。
===
(講演者近影)
●アメリカと同盟国が過去二〇年間に直面してきた戦争は五つあるが、細かいところまで合わせると九つあることになる。それらは以下の通りだ。
1、砂漠の嵐作戦(第一次イラク)91年
2、デリバレイト・フォース作戦(ボスニア空爆)95年
3、アライド・フォース作戦(コソボ空爆)、99年
4、不朽の自由作戦(アフガン介入)01年
5、イラクの自由作戦(第二次イラク)03年
6、カルギル紛争(印パ紛争)、99年
7、イスラエルの紛争(対ヘズボラ&ハマス:レバノン、ガザ)06,08、09年
8、アフガニスタンでの対テロ戦、03年〜
9、イラクでの対テロ戦、01年〜
*リビアはのぞく
●これらを全般的に見て私が得たと感じた教訓は以下の12個。
①エアパワーは将来の戦争においてもつねに重要な貢献要素となるはずだ。
これはとくに上記の1〜3ではとくに「唯一」と言っていいほど目覚ましい役割を果たした。他の戦いでも初期の段階ではその役割が特に重要視された。将来のCOINでも、偵察などの面ではエアパワーが必要。
②条件さえ整えば、エアパワー単独でも戦略目標を達成することができる。
これはとくに2と3のNATO空軍の場合には顕著。もちろん地上部隊を使うぞという脅しは必要であったが、ほぼエアパワー単独で強制(coercion)を行って目標を達成したと言いきってよい事例。ミロセヴィッチの場合もNATOの陸軍の脅威は関係なかった。
③いかなる作戦においても、陸上兵力のプレゼンスによってエアパワーの効果はほぼ常に上がる。
これは3の後の当時の米空軍のトップの発言:「陸上部隊を使わないと宣言してしまったのは大失敗だった」。常に使えるオプションを持っておくのは極めて大事。
④エアパワーは統合作戦においては常にメインの戦力になるというわけではない。
これはとくに低度のCOINのような場合には当てはまる。やはり陸上部隊がメインで、エアパワーはその支援に回っている。ただしここで覚えておかなければならないのは、コリン・グレイも言っているように、われわれの未来はまだまだ長いのであり、どのような脅威が待ち受けているのか誰にもわからないということ。晴れたからとして雨具を全て捨ててよいということにはならない。
⑤軍における古典的な「戦闘」の役割は、陸上部隊ではなく航空部隊が行うことになった。
ここ20年間では敵の破壊は主にエアパワーが担うことになったわけで、いままでの陸上部隊がやっていた役割が反対になったということ。
2003年のイラク戦では陸上部隊が遠距離攻撃で砲撃したのはたったの二回で、アパッチはたった80機しか使われなかったのに対して、同じ三週間では2万回の空爆が行われて1500箇所を爆撃している。陸上部隊は攻撃の役割から自由になり、攻撃の自由を与えられたということだ。
⑥これはアメリカの場合に限定されるかもしれないが、空母からの攻撃は、陸に基地のある空軍のエアパワーの代わりになることがある。
11隻も空母を持っているのはアメリカなので、これは他の国には当てはまらないかもしれない。しかし最初の湾岸戦争やバルカンでの二回の攻撃のように地理的に海が離れていた場所でも、アメリカは空母から攻撃を行うことができたという事実は重い。基地が設置できないところでも飛行機を飛ばせる能力は重要。
長いので後半についてはまた明日。
さて、昨日のことですが、確定申告で忙しいというのに都内で開催された某理論家の講演会に行ってまいりました。
この理論家はアメリカ人で、エアパワー論者としては世界的に有名な人物で、私も訳書の中で彼の論文を一本訳したことがあります。
テーマは「冷戦後に直面した戦争でアメリカが得た教訓」というもので、彼は簡潔にその教訓を12個のポイントにまとめておりました。非常に親切。
===
●アメリカと同盟国が過去二〇年間に直面してきた戦争は五つあるが、細かいところまで合わせると九つあることになる。それらは以下の通りだ。
1、砂漠の嵐作戦(第一次イラク)91年
2、デリバレイト・フォース作戦(ボスニア空爆)95年
3、アライド・フォース作戦(コソボ空爆)、99年
4、不朽の自由作戦(アフガン介入)01年
5、イラクの自由作戦(第二次イラク)03年
6、カルギル紛争(印パ紛争)、99年
7、イスラエルの紛争(対ヘズボラ&ハマス:レバノン、ガザ)06,08、09年
8、アフガニスタンでの対テロ戦、03年〜
9、イラクでの対テロ戦、01年〜
*リビアはのぞく
●これらを全般的に見て私が得たと感じた教訓は以下の12個。
①エアパワーは将来の戦争においてもつねに重要な貢献要素となるはずだ。
これはとくに上記の1〜3ではとくに「唯一」と言っていいほど目覚ましい役割を果たした。他の戦いでも初期の段階ではその役割が特に重要視された。将来のCOINでも、偵察などの面ではエアパワーが必要。
②条件さえ整えば、エアパワー単独でも戦略目標を達成することができる。
これはとくに2と3のNATO空軍の場合には顕著。もちろん地上部隊を使うぞという脅しは必要であったが、ほぼエアパワー単独で強制(coercion)を行って目標を達成したと言いきってよい事例。ミロセヴィッチの場合もNATOの陸軍の脅威は関係なかった。
③いかなる作戦においても、陸上兵力のプレゼンスによってエアパワーの効果はほぼ常に上がる。
これは3の後の当時の米空軍のトップの発言:「陸上部隊を使わないと宣言してしまったのは大失敗だった」。常に使えるオプションを持っておくのは極めて大事。
④エアパワーは統合作戦においては常にメインの戦力になるというわけではない。
これはとくに低度のCOINのような場合には当てはまる。やはり陸上部隊がメインで、エアパワーはその支援に回っている。ただしここで覚えておかなければならないのは、コリン・グレイも言っているように、われわれの未来はまだまだ長いのであり、どのような脅威が待ち受けているのか誰にもわからないということ。晴れたからとして雨具を全て捨ててよいということにはならない。
⑤軍における古典的な「戦闘」の役割は、陸上部隊ではなく航空部隊が行うことになった。
ここ20年間では敵の破壊は主にエアパワーが担うことになったわけで、いままでの陸上部隊がやっていた役割が反対になったということ。
2003年のイラク戦では陸上部隊が遠距離攻撃で砲撃したのはたったの二回で、アパッチはたった80機しか使われなかったのに対して、同じ三週間では2万回の空爆が行われて1500箇所を爆撃している。陸上部隊は攻撃の役割から自由になり、攻撃の自由を与えられたということだ。
⑥これはアメリカの場合に限定されるかもしれないが、空母からの攻撃は、陸に基地のある空軍のエアパワーの代わりになることがある。
11隻も空母を持っているのはアメリカなので、これは他の国には当てはまらないかもしれない。しかし最初の湾岸戦争やバルカンでの二回の攻撃のように地理的に海が離れていた場所でも、アメリカは空母から攻撃を行うことができたという事実は重い。基地が設置できないところでも飛行機を飛ばせる能力は重要。
長いので後半についてはまた明日。
by masa_the_man
| 2013-03-01 17:14
| 日記