2013年 02月 09日
ロボットはあなたを失業させる?! |
今日の東京駅付近はよく晴れました。相変わらず寒いですが、以前と比べて日差しは強くなってきております。
さて、本ブログでも何度も触れてきている「テクノロジーと人間社会」というテーマに沿った、なかなか興味深い記事がありましたのでその要約を。
この内容は、日米欧の比較文化論的な要素もありますね。
===
ロボットにたいする怒り(再び)
byキャサリン・ランペル
●「ロボットがやってくるぞ!」この言葉はあなたの仕事、人生、そしておそらくあなたの子犬にも当てはまるものかもしれない。
●ロボットは再びアメリカ国民の想像力を刺激する存在となったのであり、仕事を奪われる恐怖や、さらには人間の存在そのものを奪ってしまうような恐怖をかき立てている。
●先日放映されたCBSのドキュメンタリー番組(60ミニッツ)は、ここ最近雑誌や新聞でも議論されているロボットによる労働者の追放を、最も強烈に報じたもののうちの一つであろう。
●ケンブリッジ大学の教授たちとスカイプの共同創設者は、新たに「人類存亡リスク研究センター」を創設しつつあり、ここではスーパーコンピューターが反乱を起して人間を破壊しはじめるという、まさに映画「ターミネーター」のようなシナリオをこれから研究するという。
●ニューヨークで現在上演中の舞台では、ロボットが反乱を起すテーマのものが同時に四つ上演されているほどだ。
●そのうちの一つが「RUR」であり、一九二〇年にチェコで創作された演劇だ。これはロボットの反乱モノのジャンルの先駆けであり、現在われわれが使っている「ロボット」という言葉は、ここで初めて使われたのだ。
●このようなロボットにたいする不安の歴史は長い。ジョン・メイナード・ケインズは世界恐慌の最中に「テクノロジーによる失業」について書いている。
●産業革命では不満をもった労働者たち(これにはラッダイトと呼ばれる反産業革命派の人々も含まれる)が自動化された機織機を破壊し、これらの機械が自分たちの仕事を「盗んだ」として主張していた。
●一五世紀には写本筆写者たちが印刷機の導入に反発しており、この時の反発は、おそらく現在のジャーナリストたちの感じている無益な熱意と肩を並べるほどだ。
●なんとあのアリストテレスさえ、自動化によって労働の必要性が消滅すると予言しており、「もし織機のシャトルが勝手に縦糸の間を行ったり来たりしてくれたならば、また、もし琴のばちが勝手に琴の音をかき鳴らしてくれたならば、親方は使用人を必要としなくなるし、主人は奴隷を必要としなくる」と『政治学』の中で分析している。
●二〇世紀を通じてSF作家たちは、テクノロジーが人間を凌駕するようなポップカルチャーを作り上げた。
●その中でも最も重要なのは、一九五二年にカート・ヴォネゴットが発表した『プレイヤーピアノ』という作品だ。これは機械化によって下層階級の人間の職がうばわれ、富がエンジニアとマネジャーたちに集まった世界を描いたものだ。
●このような言葉は「プラハの泥人形」という一六世紀のユダヤ人の伝承の、設計者が自分たちを守るために造ったロボットによって破壊されてしまう話の中にもあり、これは現在ニューヨークの舞台でも復活して上演されている。
●このような「ロボットに破壊される」というストーリーには、ほぼフロイト的な心理学的理由があるともいえる。つまりわれわれが育てたテクノロジーが反発して、自分たちを破壊してしまうというものだ。
●ところがロボットがわれわれをここまで恐れさせる原因については明確なところがわかっていない。なぜならこのような恐怖は、景気のよい/悪いに関係なく発生するものだからだ。これはテクノロジーの変化の速度が加速することに原因があるのかもしれないとも言われている。
●しかし国際ロボット連盟の職員で、ドイツのロボット会社の幹部であるアンドレアス・バウアーは、同じようにロボット化が進んでいる日本やヨーロッパでは、このような恐怖感については聞いたことがないという。
●彼によれば、日本ではアメリカ人が気持ち悪がるような人間の形をしたロボットが人気であり、ドイツの工場では北米の会社が必死に隠すような自動化への投資を発表するための、巨大で派手な報道発表会があるくらいだからだ。
●アメリカ以外の先進国では労働者の立場は比較的守られており、新しく効率の良い機械などが入ってきても労働者を簡単には解雇できないようになっており、日本はこのような解雇を法律で禁じている。八〇年代に経済学者たちは、日本のこのような習慣が、逆に労働者の生産性を上げていると論じたほどだ。
●歴史の中にあるテクノロジーの変化による恐怖の例というのは、後から考えてみると実にアホらしいものが多い。なぜなら自動化によって結果的に人間の生活水準は上昇し、労働時間を安全かつ短期間なものにしてきたからだ。
●ノースウェスタン大学の経済史家のジョエル・モキールによれば、一九〇〇年のアメリカの労働者たちの半分は厳しい農業に従事しており、典型的な労働者は年間二三〇〇時間働いていた。ちなみに現在の労働者の年間労働時間は一八〇〇時間である。
●アメリカのアニメ「宇宙家族ジェットソン」が正しいとすれば、われわれは二〇二六年には週にたった二時間しか働かないはずであり、ケインズも似たような予測をしている。
●それでも創造的破壊というのは当事者には厳しいものだ。歴史的にみても、職を奪われた労働者の子供の世代は自動化によって恩恵を受けているのだが、それでも当の労働者たちは永久に時代遅れのまま取り残されてしまうのだ。
●「あらゆる発明や革新は、一定の数の人々の職を奪う原因になります」とはモキール氏の弁。「恵まれた社会ではこのようなことになってもリタイアしてフロリダのビーチにでも行って楽しむことができるかもしれませんが、厳しいところだとそれがギリギリの失業手当になるだけで終わりです」
●そして多くの経済学者たちは、これからのテクノロジーの変化はより厳しいものになると考えている。
●MITの経済学の教授であるエリック・ブリンヨルフソンは共著で『レース・アゲインスト・ザ・マシン』という本を書いている(この題名はRage Against the Machineというバンド名に引っ掛けている)のだが、彼は農業や工業分野における技術革新が高められた結果として、ついに人類の生産力の向上の限界点に到達したのではないかと論じている。
●たとえば販売や放射線医のようなコンピューターに任せられるような仕事は、どんなものであれ人間の失業につながるのだ。
●もちろんこれは新しい仕事が消滅することにはならないわけで、経済全体でみれば、以前の思想家たちが考えられなかったような(ナノテクノロジーやソーシャルメディアコンサルタントのような)形で新しい職種をつくり出したりすることによって調整されることになる。
●そして当然だが、問題は既存の労働者たちに新しいスキルを身につけさせて再就職させるためのトレーニングをいかに与えるのか、という点なのだ。
●モキール氏のような楽観主義者は、このような再訓練プログラムが拡大することによって経済は活性化するものだと考えている。
●たとえば製造業や事務職に大きな影響を与えるテクノロジーのショックというは、結局のところ教育にまで浸透しているのだ。モキール氏の先週火曜日のオンラインコースの講義では、なんと六万人もの人々が受講したほどだ。
●モキール氏はこのような授業が行われてしまうと、自分と同じような職を持っている人が失業するのではないかという懸念についても楽観的だ。
●「私はテクノロジーでとって代わられるかもしれませんけど、大学は私をやめさせることはできませんよ。なんといってもわたしには終身雇用契約がありますからね」
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うーむ、結局は「時代を見越してはやく自分を教育できた人間が生き残る」という意味にもなりますな。
さて、本ブログでも何度も触れてきている「テクノロジーと人間社会」というテーマに沿った、なかなか興味深い記事がありましたのでその要約を。
この内容は、日米欧の比較文化論的な要素もありますね。
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ロボットにたいする怒り(再び)
byキャサリン・ランペル
●「ロボットがやってくるぞ!」この言葉はあなたの仕事、人生、そしておそらくあなたの子犬にも当てはまるものかもしれない。
●ロボットは再びアメリカ国民の想像力を刺激する存在となったのであり、仕事を奪われる恐怖や、さらには人間の存在そのものを奪ってしまうような恐怖をかき立てている。
●先日放映されたCBSのドキュメンタリー番組(60ミニッツ)は、ここ最近雑誌や新聞でも議論されているロボットによる労働者の追放を、最も強烈に報じたもののうちの一つであろう。
●ケンブリッジ大学の教授たちとスカイプの共同創設者は、新たに「人類存亡リスク研究センター」を創設しつつあり、ここではスーパーコンピューターが反乱を起して人間を破壊しはじめるという、まさに映画「ターミネーター」のようなシナリオをこれから研究するという。
●ニューヨークで現在上演中の舞台では、ロボットが反乱を起すテーマのものが同時に四つ上演されているほどだ。
●そのうちの一つが「RUR」であり、一九二〇年にチェコで創作された演劇だ。これはロボットの反乱モノのジャンルの先駆けであり、現在われわれが使っている「ロボット」という言葉は、ここで初めて使われたのだ。
●このようなロボットにたいする不安の歴史は長い。ジョン・メイナード・ケインズは世界恐慌の最中に「テクノロジーによる失業」について書いている。
●産業革命では不満をもった労働者たち(これにはラッダイトと呼ばれる反産業革命派の人々も含まれる)が自動化された機織機を破壊し、これらの機械が自分たちの仕事を「盗んだ」として主張していた。
●一五世紀には写本筆写者たちが印刷機の導入に反発しており、この時の反発は、おそらく現在のジャーナリストたちの感じている無益な熱意と肩を並べるほどだ。
●なんとあのアリストテレスさえ、自動化によって労働の必要性が消滅すると予言しており、「もし織機のシャトルが勝手に縦糸の間を行ったり来たりしてくれたならば、また、もし琴のばちが勝手に琴の音をかき鳴らしてくれたならば、親方は使用人を必要としなくなるし、主人は奴隷を必要としなくる」と『政治学』の中で分析している。
●二〇世紀を通じてSF作家たちは、テクノロジーが人間を凌駕するようなポップカルチャーを作り上げた。
●その中でも最も重要なのは、一九五二年にカート・ヴォネゴットが発表した『プレイヤーピアノ』という作品だ。これは機械化によって下層階級の人間の職がうばわれ、富がエンジニアとマネジャーたちに集まった世界を描いたものだ。
●このような言葉は「プラハの泥人形」という一六世紀のユダヤ人の伝承の、設計者が自分たちを守るために造ったロボットによって破壊されてしまう話の中にもあり、これは現在ニューヨークの舞台でも復活して上演されている。
●このような「ロボットに破壊される」というストーリーには、ほぼフロイト的な心理学的理由があるともいえる。つまりわれわれが育てたテクノロジーが反発して、自分たちを破壊してしまうというものだ。
●ところがロボットがわれわれをここまで恐れさせる原因については明確なところがわかっていない。なぜならこのような恐怖は、景気のよい/悪いに関係なく発生するものだからだ。これはテクノロジーの変化の速度が加速することに原因があるのかもしれないとも言われている。
●しかし国際ロボット連盟の職員で、ドイツのロボット会社の幹部であるアンドレアス・バウアーは、同じようにロボット化が進んでいる日本やヨーロッパでは、このような恐怖感については聞いたことがないという。
●彼によれば、日本ではアメリカ人が気持ち悪がるような人間の形をしたロボットが人気であり、ドイツの工場では北米の会社が必死に隠すような自動化への投資を発表するための、巨大で派手な報道発表会があるくらいだからだ。
●アメリカ以外の先進国では労働者の立場は比較的守られており、新しく効率の良い機械などが入ってきても労働者を簡単には解雇できないようになっており、日本はこのような解雇を法律で禁じている。八〇年代に経済学者たちは、日本のこのような習慣が、逆に労働者の生産性を上げていると論じたほどだ。
●歴史の中にあるテクノロジーの変化による恐怖の例というのは、後から考えてみると実にアホらしいものが多い。なぜなら自動化によって結果的に人間の生活水準は上昇し、労働時間を安全かつ短期間なものにしてきたからだ。
●ノースウェスタン大学の経済史家のジョエル・モキールによれば、一九〇〇年のアメリカの労働者たちの半分は厳しい農業に従事しており、典型的な労働者は年間二三〇〇時間働いていた。ちなみに現在の労働者の年間労働時間は一八〇〇時間である。
●アメリカのアニメ「宇宙家族ジェットソン」が正しいとすれば、われわれは二〇二六年には週にたった二時間しか働かないはずであり、ケインズも似たような予測をしている。
●それでも創造的破壊というのは当事者には厳しいものだ。歴史的にみても、職を奪われた労働者の子供の世代は自動化によって恩恵を受けているのだが、それでも当の労働者たちは永久に時代遅れのまま取り残されてしまうのだ。
●「あらゆる発明や革新は、一定の数の人々の職を奪う原因になります」とはモキール氏の弁。「恵まれた社会ではこのようなことになってもリタイアしてフロリダのビーチにでも行って楽しむことができるかもしれませんが、厳しいところだとそれがギリギリの失業手当になるだけで終わりです」
●そして多くの経済学者たちは、これからのテクノロジーの変化はより厳しいものになると考えている。
●MITの経済学の教授であるエリック・ブリンヨルフソンは共著で『レース・アゲインスト・ザ・マシン』という本を書いている(この題名はRage Against the Machineというバンド名に引っ掛けている)のだが、彼は農業や工業分野における技術革新が高められた結果として、ついに人類の生産力の向上の限界点に到達したのではないかと論じている。
●たとえば販売や放射線医のようなコンピューターに任せられるような仕事は、どんなものであれ人間の失業につながるのだ。
●もちろんこれは新しい仕事が消滅することにはならないわけで、経済全体でみれば、以前の思想家たちが考えられなかったような(ナノテクノロジーやソーシャルメディアコンサルタントのような)形で新しい職種をつくり出したりすることによって調整されることになる。
●そして当然だが、問題は既存の労働者たちに新しいスキルを身につけさせて再就職させるためのトレーニングをいかに与えるのか、という点なのだ。
●モキール氏のような楽観主義者は、このような再訓練プログラムが拡大することによって経済は活性化するものだと考えている。
●たとえば製造業や事務職に大きな影響を与えるテクノロジーのショックというは、結局のところ教育にまで浸透しているのだ。モキール氏の先週火曜日のオンラインコースの講義では、なんと六万人もの人々が受講したほどだ。
●モキール氏はこのような授業が行われてしまうと、自分と同じような職を持っている人が失業するのではないかという懸念についても楽観的だ。
●「私はテクノロジーでとって代わられるかもしれませんけど、大学は私をやめさせることはできませんよ。なんといってもわたしには終身雇用契約がありますからね」
===
うーむ、結局は「時代を見越してはやく自分を教育できた人間が生き残る」という意味にもなりますな。
by masa_the_man
| 2013-02-09 20:20
| 日記

