地政学が死んでいない理由:その2 |
さて、昨日のエントリーでは、進化の過程から見ると脳の構造が「古い脳」と「新しい脳」にわかれ、しかも「古い脳」はいまだに影響を与えつづけている、ということに簡単に触れましたが、今日はその続きを。
これがなぜ「地政学が死んだ」という人々の間違いを気付かせてくれるヒントになるのかというと、脳も、そして(地政学が含まれている)戦略学も、その発展の際に、実は同じように「古いもの」が残ったままになっていて、それがいまだに大きな影響を与えてつづけているからです。
たとえば戦略学で「古いもの」といえば、まさにランドパワーやシーパワーの理論であり、これに立脚しているのが地政学の理論。
これを脳の構造にたとえて考えると、地政学というのは、いわば「古い脳」の機能に注目して理論を組み立てている、と言えるわけです。
では「古い脳」の機能はどういうものかというと、自律神経のような無意識に行われている機能を統制していると言われますが、単純化していえば、人間の「情動」や「本能」を司っていると言えますね。
その反対に「新しい脳」の機能というのは、「理性」や「知性」、それに言語などの、いわば動物的というよりは人間特有の高等化された判断力を担っているとされております。
これを踏まえて考えると、単純に以下のような、
「古い脳」:情動、本能、リアリズム、地政学(ランドパワー/シーパワー)
「新しい脳」:理性、知性、リベラリズム、新しい地政学(スペースパワー/サイバーなど)
という区分けができるかと。
こういう風に考えると、先ほど述べた「地政学は“古い脳”の機能に注目して理論を組み立てている」ということがなんとなくおわかりいただけるかと。
その反対に、地政学を「時代遅れだ」と論じている人たちというのは、明らかにこの「新しい脳」の部分にだけ着目して理論を組み立てているような人々であることがわかります。
さらに問題なのは、彼らが人間の「新しい脳」が「古い脳」から発展しことや、さらには「古い脳」の影響をまだ受けていること、つまり脳は一体であるということを(意図的かどうかはわかりませんが)全く考慮しないで議論をしていることでしょうか。
これは彼らが「古い脳」の働きを認めたがっていないとも言えますし、sdiさんの言葉を借りれば、「“古い脳”を全否定する口実として“新しい脳”を使っている」とも言えます。
戦略論も脳の発展と同じように、陸からはじまってサイバーまで進化したわけですが(以下の図を参照)、古い理論を否定したい人々というのは、「古い」ランドパワーとシーパワーの理論から出来上がっている地政学のような理論は「もう現代の状況には当てはまらない!」と主張するわけです。
===“パワー”の発展の概略図===
サイバーパワー(情報域)
↑
スペースパワー(宇宙)
↑
エアパワー(空)
↑
シーパワー(海)
↑
ランドパワー(陸)
===
ところが「古い脳」が残っていて、人間の行動にいまだに大きな影響を与えていることからもわかるように、「古い」地政学は、その根本的なところでは有効性を全く失っていないわけだから困ったもの。
ようするにいくらサイバーが発展したとしても、古典的なランドパワーやシーパワーの重要性はまだ残っていて、人類が陸上に住み、そしてその産業が海運に依存しつづけている限り、地政学は決して消滅することはないんですね。
これはトフラー夫妻が「第三の波」と言ったところで、それでも「第一の波」の農業を生業として生きている人が日本にもいることを考えれば当然です。
私が翻訳したワイリーは、自身の構築した総合戦略論の「第四の原則」として、「戦争における究極の決定権はその場に立ち、銃を持っている兵士が持つ」ということを述べておりますが、これは戦略論において最も古いとされるランドパワーの重要性を強調しているわけです。
偶然かもしれませんが、『大国政治の悲劇』を書いたミアシャイマーも、ランドパワーの優越性を基礎にして、独自のパワー論による国際関係の理論を構築しております。
どちらかといえば「古い脳」の陣営に属する、リアリズム系の理論一般ににも全く同じことが言えます。
人間にリアリズムの理論が強調する「情動」や「本能」というものがある限り、いくら高度に発展した理性的な「リベラル」な社会であっても、リアリズム的な状況、リアリズムによって説明できる状況というのは、条件さえ合えばいくらでも発生してくるわけです。
世界は「新しい脳」だけで回っていると勘違いしていたリベラルなわれわれが、リアリスト的な状況を目の当たりにしてしまった例の一つが、今回のアルジェリアの事件なのかと。
最近は人間の合理性よりも、むしろ非合理的かつ「情動」的な面を強調した「行動経済学」のような分野が注目されつつあるのも、このような「新しい脳」だけに注目していたわれわれの間違いを気付かせてくれる一つのトレンドなのかもしれません。
人間は、いくら理性的かつ社会的に振る舞っていたとしても、その底には情動的かつ野性的な面を含んでいるわけです。ここから目をそらしてはいけないかと。
われわれはこの人間の二面性、複雑性、原始性というものを忘れてはならないわけで、地政学の理論が死んでいないという理由も、まさにこの点から説明できるわけなのです。