戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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「技術」と呼ぶのはもうやめませんか?

今日の横浜北部は朝から快晴でした。昨日よりは寒くないですが、それでも冬ですね。

さて、久々に感じたことをコメント。

今週末に開催予定の「戦略の階層」についての講演会なのですが、その内容について色々と考えているときにどうしても気になるのが、日本語での「技術」と「テクノロジー」のニュアンスの違いについて。

すでにご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、本ブログではかなり以前から「テクノロジー」が社会に与える影響について何度も指摘しております。

なぜ私がここまでテクノロジーについてここまでしつこいくらいに言及するのかというと、これは日本語に翻訳された「技術」という言葉と、戦略学をはじめとする海外の学問での捉えられ方に大きな差があるからです。

もちろん私は「テクノロジー」という単語を「技術」という言葉に訳したことにとりたてて異議をもうしたいというわけではないんですが、それでも日本人が海外でいわれている「テクノロジー」という言葉を単純に「技術」とするときに、大きな意味の「自動変換」をしてしまうように思えてならないのです。

では何が問題なのかというと、日本人の言う「技術」という言葉のもつニュアンスがが、どうも具体的すぎるというか、非常に唯物論的な感覚がしてならないわけです。

たとえば「ものづくり」という九〇年代から進められている「(準)国策」がありますが、これなどは、そこから感じられるニュアンスがとっても具体的。「もの」をつくるわけですから。

ところが最近はこれで結果が思うように出なかったために「ことづくり」のほうが良い、みたいなアイディアも出てきているほど。

イノベーション(革新)という言葉があります。これだって日本人の手にかかるとなぜかやたらと唯物的に変化します。つまり「具体的なハードウェアの発明」みたいな感覚でとらえられてしまうわけです。

ところが伝統的なイノベーション関連の本を読むと、どうも本質は違う感覚であり、どちらかといえば「仕組み」というか、ソフトウエア的な「やり方」の部分の革新という意味合いが強い。

つまり本来の意味は、日本人の考え方ほど「唯物的」では全くないわけです。

じゃあ唯物的ではないとすればどうなるのか。それはその反対の「形而上的」なものなのです。イノベーションとは、実はもっと抽象的というか、目に見えづらいものであるということでしょうか。

ここで「戦略の階層」の話が出てきます。私がこの概念が非常に有効だと考えるのは、日本人のクセというか、戦略文化のようなことを教えてくれるからです。

それは何かというと、日本人の考え方というのは、この階層の下、つまり具体的で抽象度の低い、どちらかというと唯物的なものに偏りがちだということなのです。

「いやいや、技術を突き詰めて独特の世界観を出しているじゃないか」

という反論も一理あるとは思いますが、それは私からみれば単なる言い訳でありまして、本来の「形而上」的な意味での抽象度の高い考え方は(集団レベルでは)全然できていないと思います。

その証拠が、西洋でいう「テクノロジー」を「技術」と訳しながら、その微妙なニュアンスまで伝えきれていないこと。

もうおわかりだと思いますが、「テクノロジー」という概念と、日本語の「技術」という概念では、ニュアンスがだいぶ違います

なぜなら日本の「技術」だと、具体的な物質の組み合わせやノウハウ、技(わざ)という、かなりハードウェア重視的な概念になるわけですが、「テクノロジー」という言葉にはもっと知識というか社会的なもの、いわばソフトウェア的な意味が込められてくるからです。

簡単に結論をいいますが、日本は「技術」という言葉の使用を廃止して、これからそれに代わって「テクノロジー」という言葉を奨励するべきかと。

「技術」というハードウエア的なものだけにこだわっていたら、いつまでたっても上のレベルからコントロールされて終わりだからです。

「ものづくり」がその典型です。これは単に「ハードウエアの生産でがんばりましょう」ということ。しかしいくら優秀なハードをつくっても、ソフトが付随していないから負け続けております。

この失敗の反省から出てきた「しくみづくり」というのも、まだまだ抽象度は低いまま。戦略の階層で考えても、せいぜい「作戦レベル」が関の山でしょう。

では日本が本来目指すべきだったのは何かというと、それはずばり

(世界を自分の都合のよい状態にコントロールするための)仕組みづくり

ということだと思います。

「自分の都合のよい状態にコントロールするだなんて、なんて野蛮な!」

という方もいらっしゃるとは思いますが、残念ながら、世界の国々(とくに西洋諸国)は互いにたいして、そして日本にたいして、いかに都合良くコントロールしようかと毎日必死で考えているわけです。

そのような中で、ただひたすら階層の下の「ものづくり」なんかに邁進していたら、日本がこれからも負けつづけるのは火を見るより明らか。

その上の戦術、作戦レベルでコントロールされて終わりですから。

では日本がコントロールされたとしても、少なくともわれわれ個人がそれを乗り越えるために重要なのは何なのでしょうか?

その答えの一つが、私は「技術」という言葉を(一時的にせよ)捨てることだと思っています。

そしてもう一つの答えについて、私は今週末の講演会で詳しく語るつもりです。

ということでなんだか宣伝めいてしまいましたが、この問題は実のところ、なかなか根深いものなのかなと個人的には感じております。

みなさんのご意見をぜひ!
Commented at 2012-11-20 23:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-11-21 00:18 x
それなら、わが国には「○○道」という言葉があります。
もう1つ言うなら、おそらく、「OSフリーのデバイス」 
の方が日本人の世界観に合っていたということでしょう。

元来八百万の神の国ですから、アップルやMS社のように
単一の「仕組」(OS)にこだわっていれば、その時点で
デバイスとして失格となるのがわが国でしょうから。

で、そのような中で、「OSフリーのOS」という状況に陥ったのが
「グローバル化」のわが国の状況であり、それこそが

ガラパゴス化

の一因であるという仮説を立てておきます。
Commented by 秋の空 (1/3) at 2012-11-21 12:16 x
『形而上学的』に考えればそうです。技術ではなくテクノロジーという言葉を使わなければなりません。『はじめに言葉ありき』の西洋文明。あくまで『こと(事象・現象・事実)』が主であり、言葉(ことば)とは『こと』の『は(葉、端)』である日本文明。日本人が『形而上学』ではなく『こと(もの)』にこだわる原因はここにあると思います。

『我思う故に我あり』の国、フランスのマスコミは尖閣紛争でシナとの貿易に依存する『ものづくり日本』が負けると予想しました。事実(=こと)は貿易に依存しているのはシナであって日本ではありません(悲鳴をあげているのはシナ)。『ものづくり日本』が負けているわけではありません。米国流の市場原理主義という『形而上学』に振りまわされる馬鹿官僚や経済学者のおかげで『デフレから脱却できない』日本が困っているのが実体・事実(=こと)ではないでしょうか?
Commented by 秋の空 (2/3) at 2012-11-21 12:20 x
『我思う故に我あり』の上に形而上学で『世界観と人格』を組み立てる西洋文明には『コントロール』という概念が簡単に成立します。『我思う故に我あり』したがって『我思う故にコントロールできる』のであります。形而上学が暴走することのない日本文明にあっては、自然〔世界〕は人間の思うままにならないという経験知〔=事実〕がすべてに優先します。世界観が技術に優先することはわかっていても、戦略のタテの軸が成立しにくい、トップダウンの発想が成立しにくい理由もここにあるような気がしてなりません。『我思う(世界観)故に作戦・戦略・技術はこうなる』という発想がないのであります。

そういうわけで、私の場合、技術とテクノロジーではなく、『言語』による世界認識の違いという問題の周りをぐるぐる回るという話になってしまいます。そもそも奥山さんの仰る『技術と呼ぶのをやめてテクノロージーという言葉で考えよう』という提言とそのニュアンスを英語で表現するのは難しいですよね? 
Commented by 秋の空 (3/3) at 2012-11-21 12:20 x
コントロールの日本語訳は『制御』です。コントロールと制御はどう違うのでしょうか?面白いことにControl Theoryで重要なFeedbackという概念は電気工学で『帰還』という言葉があるほか漢字には訳されておりません、カタカナのフィードバックだけです。コントロールや戦略に必要なプロパガンダ・質問をフィードバック・コントロールという観点で論じている人は少ないと思います。それでは『形而上学』を介さずに(経験主義的に)『コントロール』することをどうしたら日本人がものにできるのでしょうか? 米国で暮らす人間の個人的経験で言えば『他者はあくまで敵』という強い思いで生きるとき日本人は『コントロール』するという言葉の意味を体得できるような気がします〔嘆息〕。久しぶりなんで的外れなコメントになっているかもしれません〔笑〕。
Commented by 中山太郎 at 2012-11-21 13:12 x
日本語と英語の違い。形而上と形而下の違い。目から鱗です。脱亜入欧で、日本のみしばらくは、他の東アジアを引き離していましたが、また、アジア帰りをしている状況です。日中韓がお互いに軽蔑しあうのも、二流国同志の目くそ鼻くそを笑うの状況でしょうか。
Commented at 2012-11-21 14:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 一医師より at 2012-11-21 14:22 x
なんとなく 文科系人の理科系に対するコンプレックスみたいに聞こえてきますね。「原子爆弾を作ったのは科学者だがそれをコントロールするのは政治家だ!」みたいな。あるいは、「こつこつものを作るよりFINANCEででっかく儲けろ!」のような。その形而上なんたらというお化けが日本や世界をRISKYにしているのも確かではないですか?

技・術という日本語は、TECHNOLOGY(COUNTABLEでもUNCOUNTABLEでも)よりむしろ深淵だと思いますよ。政治や経済だってナントカ術が必要じゃないですか・・・話術とか。医も仁術です。世渡り術は生きていくのに必要ですよね。
Commented at 2012-11-21 18:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2012-11-21 18:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-11-21 22:02 x
視点を変えれば、「仕組み(OS)」に依存しない「ものづくり」であるということは、「仕組みが変わっても(そのまま)生き残ることができる」ということを意味します。

わが国の歴史・風土では、それが結構大事な【戦略眼】だったのかもしれません。
Commented by sdi at 2012-11-24 02:37 x
おくやま殿の主張されることはニュアンスというか方向はわかります。
問題はし「技術」という単語の語義が指し示すものが「technology」を包含した思想体系を含む広い領域を含むものだ、ということを今の日本人が理解できていないことが問題なのではないでしょうか?
Commented by tenryo at 2012-11-24 13:08 x
どうも、通りすがりで失礼します。
奥山さんの著書訳書を何冊か読んでここに流れ着いた若造です。

戦略以下作戦レベルでの敗北だと、
大きいので世界大戦時の諸々の失敗。
20年くらい前のBTRONがwindowsに駆逐されたのが思い当たりますね。
探せば政府民間問わず頭から押さえつけられて泣き寝入りせざる負えなくなった事案がいっぱい出てきそうですねぇ。
まぁ、お上の人達が足の引っ張り合いをしてればこうなるのも必然なのかもしれません。
次はどうやったら勝てるのか。
奥山さんの本やこのブログで勉強したいと思っています。
Commented by 私も理科系ですが。 at 2012-11-27 16:20 x
気掛かりなコメントを発見した。

>なんとなく 文科系人の理科系に対するコンプレックスみたいに聞こえてきますね。

どこにもそのような意思は窺えない。
むしろ、このようなコメントをすること自体、潜在的に文科系を見下している(もしくは見下したい)表れではないのか。

奥山先生は一貫して戦略にまつわる上で必要なものは何かという話をされているのはこれまでの論評からも窺える。

ここでは欧米諸語と日本語から導き出された概念の違いをお話されているのが興味深い。

欧米で哲学者や思想家、形而上概念を織り交ぜた世界システム論を提唱する学者が多く誕生するのも欧米では形而上的抽象概念力を育む土壌が豊かであるということの証明にもなっていると言えるのではないか。

これが言語に起因するものであるならば、
「技術」を一度捨ててしまおうという見解は説得力がある。
Commented by 一医師より at 2012-11-27 17:39 x
世界を自分の都合のよい状態にコントロールする=MBA上がりの拝金主義者が偽善的に弱者を丸め込んで世界を牛耳ろうとすること、ですね。

東京電力も経済学部上がりの会長が安全性を軽視して金儲けに徹したおかげであの通り(FUKUSHIMA)です。
アメリカのGM他自動車会社があんなになったのも、MBAのCEOが金儲けに突っ走って技術t的創造性を失ったおかげですね。

技術の重要性を再認識すべき時です。
Commented by 私も理科系ですが。 at 2012-11-29 21:47 x
【第96回 李白社メルマガ】の中で興味深い部分を
一部抜粋するのでご覧いただきたい。

(引用開始)サムスン、LGをはじめとする韓国製品は、
東南アジアの若者たちから圧倒的な支持を受けている。

韓国のソフト戦略が奏功しているのだ。
東南アジアの若者たちは韓国カルチャーに染め抜かれている。
韓国のライフスタイルにあこがれるようになる。

括目に値するのはこれを一企業の戦略でなく、
国家プロジェクトとしてとらえ、
アジア各国にすべて無料で供給していることだ。

はたして韓国カルチャーと抱き合わせて
韓国製品を売る戦略は大成功を収めた。

いまやタンジブル(製品や不動産など目に見える資産)から
インタンジブル(ソフトウェアや知的財産など目に見えない資産)が
稼ぐ経済にすっかりシフトされてしまった。
これは時代の変遷として受け止めるしかない。

驚くのは、いまだに日本の技術は世界一だから売れるのだといった
「日本信仰」を持ち続けている 企業経営者がいることだ。
彼らがそこから抜け出さないかぎり、
東南アジアでの成功はおぼつかない。
(引用止め)
Commented by チキンホーク at 2012-12-01 10:55 x
一敗したからって、それがどうした。
もう、時間の無駄だから、ここでやめておきますね。
奥山さん、次作はあっというのを書いてください。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-12-01 21:35 x
わが国には「和魂洋才」という言葉があります。

つまり、西洋から導入する「技術」には「魂」も含まれていることを理解していたということです。だからこそ、「テクノロジー」から「魂」を分離して導入することとしたのでしょう。

そして、グローバル化に便乗して、わが国独自の「テクノロジー」を【ガラパゴス】といって必要以上に蔑んでいるのが、悲しいかなわが国の現状です。

過度の一般化は危険ですが、一神教の「魂」は相手を殲滅することをも厭わないものですから、西洋の「テクノロジー」をそのまま導入するということは

八百万の神という【他者との共存】というわが国の【世界観の否定】

まで行き着くのは想像に難くありません
(cf. Clash of Civilizations:「文明の衝突」)

ということで、わが国が「ものづくり」という「洋魂和才」という無意識の戦略をとったというのは、案外正しかったのかもしれません。

Commented by 待兼右大臣 at 2012-12-01 21:36 x
国外には、国家や民族の数だけ【魂】が存在する。日本の「テクノロジー」によって、他国や他民族に対してわが国の世界観(【魂】)を押し付けない。

わが国の「ものづくり」に他国・他民族の【魂】を込めて、それぞれの国家・民族に合った幸福を実現する。

【魂】を込めないのがわが国の【テクノロジー】

というのが、わが国に受け継がれた無意識の世界観なのでしょう
Commented by sik at 2012-12-20 09:14 x
今更ですが失礼致します。
他の分野の話ですが、日本の思想は抽象度が低くなる傾向があるというような議論を読みました。
実感論、実感信仰とでもいいましょうか、経験に重きを置きすぎる傾向があると。
秋の空さんが最初におっしゃられてる問題と少し関係が有る気がします。
しかし、その人はこれを日本人の傾向として諦め放置するのも、また実感などは必要ないと切り捨てるのも正解とは言い切れない、
実感論が日本人の性に合う気質がある以上、実感から離れるのは難しいでしょうが
しかし、どうにか「実感から一歩離れた抽象」それこそを「実感」したい
どうにかそれが出来ればと思っているというお話でした。
これは戦略に限らず、日本の思想全般に言える事なのかもしれません。

長々と駄文乱文失礼しました。
Commented by 枯山 at 2012-12-23 06:43 x
遲くなりますが、問題意識に就いては、同感の思ひであります。私なりに奧山樣の言葉を理解すると、テクノロジーといふ言葉を技術と飜譯した際に、本來ならばテクノロジーといふ言葉に附隨してゐる背後の概念が消え失せてしまひ、本來ならばある目的に從ふための方法論に自繩自縛されてしまふのではないかと懸念されたのではと理解してをります。

そのやうな状態であれば無理に飜譯するのはやめてしまふのが良いのではとお考へになるのも一考と考へます。ただ、飜譯をされてゐる奧山樣には痛感されてゐることだと感じますが、言葉は生活から切り離されると妙に唯物的にも觀念的にもなる代物です。技術とは反對に本來手仕事に意味を含んでゐたアートと云ふ言葉が日本では妙に觀念的な代物になりはててゐるのもまた事實なのであります。

さて、私なりの私見ですが日本人が方法論にやたら興味をもつのは、明治からの成功體驗が100年近く成功したための後遺症とみて良いと考へてをります。これをいまだに問題と自覺してゐないといふことに盡きると考へます。
by masa_the_man | 2012-11-20 23:06 | 日記 | Comments(21)